愛さないで。壊れてしまうから

木山花名美

第1話 呪われた王女


 呪われた王女……これが?


 高い塔の天辺の部屋。こちらを見る女は、無表情なのに息を呑む程美しい。


 腰の下まで真っ直ぐに伸びる、シルバーブロンドの艶やかな髪。同じ色の長い睫毛の下で煌めく、金色の瞳。

 雪のように白く清らかな肌に浮かぶのは、つんと高い鼻と、やや口角の上がったローズレッドの小さな唇。


 刺繍も装飾もほとんどない白いワンピースを纏う彼女は、その華奢な身体つきからも、精巧に作られた人形ではないかと錯覚してしまう。



『王女の瞳を見てはならぬ』



 王妃の言葉を思い出し、慌てて目を伏せる。そのまま床へ膝を突き、此処へ来た目的を淡々と告げた。


「王女殿下、私は王室の護衛騎士、アルフレッド・サイラスと申します。間もなく敵国が王宮に攻め込む恐れがある為、王妃陛下の命で、貴女様をこの塔から安全な場所までお連れするようにと仰せつかりました。今すぐ私と一緒に、この塔を出てください」


 部屋履きに包まれた白い足は、言い終えてからしばらく経っても微動だにしない。

 口は利けないと聞いていたが……耳も聞こえないのだろうか。


 目を合わさないように注意しながら視線を上げれば、こくりと頷く白い顎が見えた。


 彼女は静かに動き出すと、ベッドから何やらぬいぐるみらしき物を掴み、肩からポシェットを下げてまた自分の前に立った。準備は整ったという意思表示だろうか。


 あ……


 自分も立ち上がると、部屋の隅に一足だけ置かれた靴を見つけ、王女の足元へ置いた。


「長旅になります。こちらへ履き替えてください」




 揺れる馬上で自分の腰に手を回す王女の手は、白く冷たく、人形というよりは幽霊のようにも思えてきた。


 宵闇が近付く森に入れば、そこは想像以上の不気味さだった。僅かなランプの灯りに照らされ、木々の尖った枝が、暗い爪となり地面に伸びている。


 呪われた森と、呪われた王女。


 敵に見つからず、安全に国境を越える為には、今夜中にこの森を抜けねばならない。そこから更に隣国を移動し、山ともう一つの国境を越え……王妃の祖国であるラヴェット国の神殿まで辿り着くには、二週間近く掛かるだろう。

 果たして王女に呪われることなく、生きて任務を完了することが出来るのだろうか。

 今となっては、王妃の命だからと安易に引き受けてしまった、自分の忠誠心を悔やんでいた。



『王女を塔から出し、私の叔父が神官を務めるラヴェット国の神殿まで無事に送り届けて欲しい。知っていると思うが、王女はその身体の内に強力な呪いを秘めている。そなたや周りに危険が及ばぬように、今から私が言うことを必ず守るように』



 王女の瞳を見ないこと、人前に出る時は必ず王女の顔を隠すこと、そして……決して王女に情を抱かないこと。


 注意事項と共に渡されたのは、もし王女の身に何か異変が生じた場合にのみ開けろと指示された封筒。どうやら呪いを抑える特別な護符が入っているらしい。それと、神殿への地図と携帯食、数枚の硬貨が詰まった財布だけ。報酬は、王妃の指に嵌まっていた金の指輪だった。


 ……財宝をもらったところで、呪われて命を落とせば何の意味もないのに。


 だが、王室……とりわけ王妃陛下には恩があった。先の対戦で戦争孤児となった自分を、剣の才があると孤児院から引き取り、一人前の護衛騎士として育ててくれたのだから。


 ろくな教養もない上に、こんな見た目で。もしあのままだったら、孤児院を出た後の自分は、暴力三昧の荒んだ生活を送っていただろう。


 ふと、塔で見た王女の美しい顔が甦る。王にも王妃にも……両親のどちらにも似ていないのは、やはり呪いのせいなのだろうか。

 端から見たら、自分の方がよっぽど呪われた顔だろうにと自嘲する。

 長い前髪が覆う目元に手をやれば、ザラリとした醜い傷痕に触れた。



 こんなことを考えつつ、暗い森を慎重に進んでいると、背中にコンコンと何かがぶつかった。王女の両手は自分の腰にある。ということは、これは王女の頭か?


 不規則なリズムで、コン……コン……と。

 まさか……

 馬を止めたのと、王女の身体がぐらりと揺れたのとは同時だった。手綱を離した後ろ手で、落ちそうな王女を咄嗟に支える。バランスを崩し危うく共に落ちる所だったが、鍛え抜いた腹筋で何とか堪えた。


 あっぶね……


 ゆっくり振り返れば、やはり王女は目を瞑り、コクコクと気持ち良さそうに船を漕いでいた。

 ……どうしたものか。


「王女様、王女様」


 ペシペシと腕や背中を叩いて見るも、寝息は深まるばかりだ。

 呪われた王女も寝るんだな……それにしても、寝顔までこんなに美しいとは。

 今なら見ても大丈夫だろうと、ついまじまじと眺めてしまう。目元に影を落とすシルバーブロンドの長い睫毛は、その一本一本が煌めいており、王族や貴族の服を飾るどんな絹糸よりも綺麗だった。

 ……いや、そんな場合じゃない。何とかしないと。


 荷物の中から縄を取り出すと、背中の王女と自分をしっかりと結び固定した。王族を縄で縛るなんて……平時なら極刑ものだな。


 起きていた時よりも密着する王女の身体は、手と同様に冷たく、自分の熱を奪っていく感覚さえあった。その一方で、背中にかかる寝息はほんのり温かく、冷たい身体の内側にはちゃんと熱があるのだと知る。

 呪われてようが何だろうが、彼女は生きた人間。改めてそう思った。



 正式に王室の護衛になった自分に任されたのは、王女の住まう塔の警護だった。

 ほぼ毎日入口に立ち続ける内に、あることに気付く。

 家庭教師から下女に至るまで、同じ顔は二度と見ないということに。毎日違う顔と接する王女の心境はいかがなものかと、最初の内は気になったが、彼女にとってはそれが当たり前の生活なのかもしれないと思い直した。


 今思えば、王女に情を抱かせないようにする為だったのだろう。一回限りの事務的な対応。それが呪いを避けつつ彼女を育てる為の防衛策だったのだと思う。


 ……確かに、こんなに美しい王女と何度も接していたら、瞳を見なくとも情を抱いてしまうかもしれない。


 自分が王宮に来た十一歳の時には、既に塔に居た王女。何故、どんな経緯でそうなったのかは分からず、誰かに訊くことも憚られる。王女や塔の話題はタブーとする、そんな雰囲気が王宮には流れていた。


 王と、王妃と、王女の弟である王太子。

 幸せを絵に描いたような家族の裏で、ひっそりと生きる王女。

 ただ、時折王宮の窓から塔を見つめる王妃の横顔は、愛に満ちた一人の母親に見えた。

 さっき見た塔の部屋の棚には本がぎっしりと並び、きちんと教育されている様子が窺える。また、靴を足元に置いても自分では履けなかったことから、王女として大切に育てられてきたのだと感じた。それに何より、こうして娘を真っ先に逃がそうと自分に託したのだから。




 それからは特に大きな問題もなく、空が白み始めた頃には無事に森を抜けようとしていた。

 一晩中自分に凭れていた身体が、背中でごそごそと動き出したのに気付き、振り向かずに言った。


「……お目覚めですか?」


 まだ背中に押し付けているらしい頭が、一回こくりと頷く。


「もうすぐ森を抜け、安全な隣国に入ります。馬を置いて少し休憩したら、今度は馬車で移動しましょう」


 もう一度、さっきよりも大きな動きでこくりと。


 やはり、耳は聞こえているみたいだな。



 国境を越え、友好国である隣国の街に入るも、早朝の為まだ静かだった。それでも何処かの家の煙突からは煙が立ち昇り、井戸の水を汲む音も聞こえる。人の気配を感じることで、やっとあの不気味な森から解放されたのだと安堵した。


 もぞもぞと背中で忙しなく動き出すものに、ハッと気を引き締める。

 油断するな……まだからは解放されていないのだから。

 それにしても一体どうしたのだろう。さっきまでは大人しく座っていたのに。


 すると、腰から王女の右手が離れ、背中に冷たいものがつうと這い出した。

 指……? 何かを書いている?


 一旦馬を止め、振り返らずに手のひらを差し出し、くいくいと動かしてみた。

 理解したのか、王女はその冷たい指で、俺の手に何かの文字を書き始める。


『ご……ふ……じょ……う……』


 ……あっ! 思わず振り向けば、王女は苦しそうに目を瞑り、もぞもぞと必死に何かを逃していた。

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