第6話 好き嫌い
自分のことをなるべく他の人に話して、分かってもらおうと考えた梅林は、どうも、何かを勘違いしているようだった。
人に、
「自分の気持ちを聞いてもらいたい」
と思っているにも関わらず、態度がどうもおかしいのだ。
だから、最初は、皆、
「別に聞くくらいならいいか」
と思うのだったが、実際に話を聞いてみると、
「おや? どうして、俺はこいつの話を聞いてやっているんだ?」
と途中から思うようになるのだ。
最初は分からなかったが、途中から、どこか押しつけのような雰囲気が伝わってきて、「まるで、高飛車のようではないか?」
と感じるのだった。
「こっちは聞いてやっているのに」
と思っていて、確かに最初は、聴いてほしいという態度だったものが、話を聞いているうちに、相手の話の聞き方に、どこか不満があるようだった。
「聞いてほしいと思っているのに、相手の聞き方の態度をどうこういうというのは、ちょっとおかしいんじゃないか?」
と言われても仕方がないのだが、どうやら本人は、まるで、
「ありがたい教えでも、説いている」
かのようなつもりに見えるらしいのだった。
確かに、人がたくさん集まってくれば、そういう輩は一人くらいはいるだろう。
しかし、今まで自分のまわりに一人としていないタイプの人間だっただけに、普段であれば、
「新鮮に感じる」
と思うのだろうが、少しでも態度が悪いと、
「何様のつもりだというんだ」
という思いに方向転換してしまうことだろう。
最初は彼も、そんなに何かの教えを説くというような雰囲気でもなかった。あくまでも、自分の性格的なことを話すのに、これまでの経験であったり、普段感じているようなことを話すだけであった。
それがいつのまに、こんな他人との関係が、こじれそうな性格になったのか、自分でも分かっていないようだ。
そもそも、桜沢のようでは、何となく分かっていた。だから、梅林に対して、
「あいつには近づかんどこう」
と思うようになっていた。
そして、梅林のことを、
「反面教師」
と見立てて、
「やはり、自分のことをペラペラ話すというのは、結果として、ロクなことにならないんだな」
と思うのだった。
桜沢は、それでも、自分の姿勢を変えようとはしない。まわりから、胡散臭そうに見られているのも分かっているはずなのに、どうしても、高飛車のようになっているのだが、その態度を辞めようとはしないのだった。
「まるで、宗教団体から、洗脳されているかのようではないか?」
と感じていた。
桜沢は、自分の家族を見ていると、頑なな態度を取ると、自分が損をするということを分かっているつもりだったのに、そのくせ、
「人と同じでは嫌だ」
という気持ちを抱いていた。
しかも、この思いは優先順位としてはかなり高く、基本的に、この考え方が、自分の中の発想の中枢を担っているといっても過言ではないだろう。
梅林が反面教師のはずが、どこか、少しおかしな感覚を受けるのであった。
喋り方にそんな角が立つような感覚はないのだが、話しているうちに、どこか苛立ちを感じる。
「どこかに、しつこさのようなものがあるのだろうか?」
と考えてみた。
だが、話を冷静に聞いてみると、
「俺の意見にいちいち、似ているところがあるんだよな?」
と感じた。
かといって、それが、同意を得るほどのものでもない、その証拠に、すぐには理解できなかったではないか。
つまり、
「どこか、言葉に重みが感じられない」
ということなのだ。
それを思うと、苛立ちというよりも、もっと次元の違うところでの感覚の違いがあるような気がした。
いろいろ考えてみると、
「相手のことを考えて、話しているわけではない」
と感じるところであった。
耳障りが悪くないのは、
「相手に話を合わせている」
というところから来ているのではないだろうか?
その思いがあるからこそ、こちらが、話を深めていっているつもりなのに、相手がそこに入ってこないことで、苛立ちを覚えるのだ。
そんな人間は、意外に結構いるのかも知れない。だが、桜沢には、今まで感じたことのほとんどなかった感覚だった。
桜沢は、そういうタイプの人間というのは、最初に少し話しただけで、すぐに見抜けるだけの力を持っていたのだ。だから、気に入らない相手であれば、こっちからブロックを掛けて、近寄ろうとはしない。
たまにそれを、
「何か冷たいやつだな」
と思っているような人もいるようだが、
「これを冷たいと思うような人とも、関わり合いにありたくもない」
という思いがあったのだ。
そういう意味でいけば、早い段階で嫌いなタイプの人間を見分けることができる。
ただ、その反面、
「自分のことを嫌っているのではないか?」
と思えるような相手を早い段階で見抜くことは苦手だった。
もっとも、相手が嫌っているのであれば、相手の方から遠ざかっていくだろうから、それほど気になることはない。
「来る者は拒まず」
という性格であり、
「去る者も追わず」
という性格でもあった。
ある意味、人間に対して、ドライなところがあるタイプの人間なんだといってもいいだろう。
そんな桜沢が、今回、梅林に対して、苛立ちを覚えたというのは、正直、今までにないパターンだったこともあって、自分でも、この心境の変化を不思議に感じていた。
そもそも、人とのかかわりは、以前からずっと苦手だと思ってきた。特に、相手が何を考えているのか分からないという時期が子供の頃に結構あったので、その思いの強さから、自分でも、どうしていいのか分からないという気持ちになってくるのだった。
相手の考えていることが分からないという発想は、小学生の頃の担任の先生にあったのかも知れない。
あまり勉強が得意ではなかった桜沢だが、その原因の一端を作ったのが、小学生の時の担任だと思っている。
最初こそ、一生懸命に勉強をしていたつもりだったのだが、根本的な最初のところが理解できないでいたのだ。
これは極端な話であるが、
「一足す一は二」
という算数の、基礎中の基礎があるが、それが、まず理解できなかった。
本当であれば、そんなものは理解するものではなく、スルーしてから、
「そんなものなんだ」
と思えばいいことなのだろうが、桜沢少年はそうはいかなかった。
もっとも、引っかかってしまったのは、気持ちの上での、
「タイミング」
だったのかも知れない。
その時の精神状態は、それ以外の精神状態であれば、普通にスルーできたのだろうが、たまたま、スルーできないタイミングに入り込んでしまったのかも知れない。
それは、100のうちの1くらいの確立の低いタイミングだったのだろう。中には、桜沢のように、いきなりひっかかる人も少なくはないのだろうが、少なくとも、同じように、最初で躓いてしまったというような人間と出会ったことはない。
ただ、その感情を、自分で分かっていても、それを他人に明かそうという人自体がいないのかも知れない。
かくいう桜沢もそうだった。
「こんなこと、人に話すことではない」
と思っていたのだ。
ただ、いきなり引っかかった問題をそのままにしておくわけにはいかない、学校の授業は、基本的なところは、
「皆分かっているはずだ」
ということで、先生も気にせずにどんどん先に進んでいく。
小学3年生くらいまでは、それほど算数で引っかかるところはないのが普通だと思っていた。
自分も、最初さえ引っかからなければ、算数に苦手意識を持つわけはないと思っていたのだ。
それを苦手だと思うようになったのは、先生に相談したからではなかっただろうか?
先生に相談した時は、さすがに恥ずかしかった。その時はすでに2年生になっていて、先生から言われることは分かっていたからだ、
「何で、最初に教えた時に、分からないって言わないんだ」
ということであった。
案の定、先生はそう言って、少し呆れたような表情をした。
しかし、桜沢が、
「先生、じゃあ、教えてください。どうして一足す一が二になるんですか?」
と聞くと、先生はとたんに困った顔になった。
明らかに、第一声と矛盾しているからである。
「今聞いて困るくらいだから、最初に聞いても困ったはずではないか?」
と思うと、腹が立ってきた。
「じゃあ、さっきの文句を言える資格なんかないじゃないか?」
ということであった。
これが相手が先生でなかったら、文句もないだろう。そもそも、先生でなければ分かるはずはないとも思っていて、先生だって、本当の理由を知らないのかも知れないとも思っていた。
それを分かっていたので、最初に聞けなかったというのもある。しかし、聴いた時に、
「なぜ早く言わなかった?」
と聞くなど、ありえないことだろう。
そんなことを思うと、先生に対する不信感が募ってきた。
すると、先生は、次第に苛立ってきたようで、そのうちに、キレたかのように、
「そうなっているんだから、そうなのよ。あまり深く考えずに、あなたも、そういうものだって思うようにしなさい」
と言われた。
「この一言は、ないわ」
と正直感じた。
そもそも、こんな言葉を聞きたくて聞いたわけではない。正解などあるはずもないし、あったとしても桜沢少年にわかるはずもない。
それなのに、出した答えがこれとは、実に情けないと言えるだろう。
この言葉は、正直、
「NGワード」
である。
罰ゲームに値するくらいのもので、いや、そんな生易しいものではない。
「そんな答え方をすれば、生徒に勉強に対してトラウマができるのではないか?」
と感じないのだろうか?
この返事が、算数だけではなく、普通に入ることができた。国語は理科や社会などの教科についても、理解できるものではないことを示しているに違いない。
さすがに、他の教科に影響することはなかったが、算数に関しては、四年生の後半くらいまでは、まったく理解ができなかった。
何しろ、最初から分かっていないのだが、分かっていないものの上に何を載せても、結果は一緒のはずだ。
1,2年の頃は同じ担任だったが、3、4年では違う担任になっている。
さぞや、三年生以上の担任からは、
「どうして、桜沢君は、算数がこんなにひどい成績なんだろう?」
と思われていることだろう。
最初の担任からの引継ぎがあったとしても、ここまで詳しいことの、説明を受けているわけでもないだろうし、もし、引継ぎが必須だったとしても、自分のマイナスになりそうなことを、あの担任がいうはずもない。
それはもちろんのことであり、そもそも小学校の先生というと、ブラックと言われるほど忙しいという。
そんな状態で、生徒一人一人の、
「申し送り」
などできるはずもないだろう。
それを思うと、桜沢は、先生のことを、
「少し可哀そうかな?」
とも思ったが、
「先生である以上、しなければいけないことはあるはずだ」
という思いもあり、放っておくわけにはいかないことも多いはずではないだろうか?
そんな先生のことを気にはしていたが、それでも、自分のことだけに、先生を気にしている場合でもない。
ただ、もう、他の先生に聞くこともできなかった。
やはり、前に聞いた時のトラウマが残ってしまったからである。
そんな桜沢が、
「算数の呪縛」
から逃れられたのは、ある意味偶然だったといってもいいだろう。
その偶然があまりにも、偶然だったということもあってか、どういうことだったのかというのも覚えていない
覚えていないのだが、何かのきっかけがあって、いつの間にか、算数の呪縛から逃れることができるようになったのだった。
それまで分かっていなかったことが、さっと解けてくると、この四年間の問題は一気に解決できたような気がした。
要するに、
「最初の歯車が噛み合っていなかっただけだった」
ということなのだ。
つまり。
「一度狂った歯車が噛み合えば、そこから後ろはしっかり噛み合っている」
ということであり、今回噛み合わなかった歯車が、たまたま最初だったというだけのことだったのだ。
たまたまというのは、今まで分からずに苦しんでいた自分自身に悪いということなのであろうが、それでも、歯車が噛み合ってくると、それまでの悩みが一気に晴れてきたのだった。
そして、それから、二年もしないうちに算数が面白くなってきて、気が付けば。小学生を卒業していたのだ。
だが、今度は、算数が、数学という科目に変わった。
「言葉が変わっただけなのかな?」
と思ったが、内容もかなり変わっているように思えたのだ。
それは、桜沢が特に感じたことであって、他の生徒も若干は感じていただろうが、そこまで変わったという意識はないような気がした・
だが、それは、小学生の頃の算数に対して向き合ってきた視線が、桜沢と他の生徒で、かなり違っていたからではないだろうか?
というのも、小学生の頃の、算数という学問は、自分の自由な発想で解くものだったのだ。
先生が言っていたこととして、
「算数は、答えがあっているかどうかということよりも、それを導き出すために過程というものが大切になってくる」
ということであった。
そして、先生はさらに、
「答えはいくら一つであっても、その解き方がどのような解き方であっても、間違ってさえいなければ、すべて正解なんだよ」
というではないか。
他の人がその言葉を聞いてどう感じたのかは分からなかったが、桜沢にはその言葉の意味がよく分かっていた。
「なるほど、この考え方を、自分の中で無意識に分かったから、一足す一の呪縛から解き放たれたのかも知れないな」
と思ったのだ。
算数を好きになったのは、それまで理解できなかったことが、短時間で一気に理解できるようになったからというのも、その通りなのだが、それ以上に、今の先生の理屈を、言われる前に、自分で理解できていたからなのかも知れない。
ただ、中学生になってから、今度は算数が、数学に変わった。
数学というのは算数と違って、
「公式:
というものがあり、基本は、その公式に当てはめて、答えを導き出すというようなものが数学だった。
幾何学という別の種類のものが数学にはあるが、それ以外は、
「代数」
という言葉で表されるとおり、
「公式に数字を当てはめて、それを決まった法則の元に解く」
というのが、数学だったのだ。
まるで、積み木遊びのようではあないか。
つまり、決まった法則に当てはめるだけ、それをいかに正確に解けるかということであり、そこには算数のような自由な発想はないのだ。
算数の頃の自由な発想は、すべて、数学における公式の中に当てはめられてしまい、それ以外は存在しないという、ある意味で、乱暴な学問なのではないか? と思えるようになったのだった。
「数学には、遊びの部分はないんだな」
と感じた。
その遊びというのは、
「余裕」
であったり、
「自由な発想」
という二つの意味での発想ができないということであった。
「せっかく、算数を理解して、これから、いろいろたくさんの自由な発想をしていこうと思っていたのに」
という気持ちが強く、数学になると、またしても、最初で躓いてしまった。
今回は、算数の時のように、
「偶然のタイミング」
起きなかったのだ。
好きな発想はどこにもなく、勉強をしているつもりでも、ついていくのがやっとだった。
しかし、幸いなことに、数字や、パズル的なことは嫌いではなかったので、数学の中でも、因数分解や、展開、さらに、高校に入ってからの、三角関数のようなものは嫌いではなかった。
それでも、他はまったく興味がなかったので、分かるはずもなく、テストを見た先生は、
「桜沢のやつ、どうして、こんなに分かるものと分からないものの差が激しいんだ? しかも、分かりやすく全問正解していたり、全問不正解だったりというのは、どういうことなのだろう?」
と思っていることだろう。
しかし、これも、桜沢も性格を考えれば分かることで、それだけ、彼は好き嫌いが激しいということなのだ。
そのことを理解していれば、先生も、もう少し桜沢の気持ちが分かるというもので、少なくとも、今の学校の先生のレベルでは、桜沢のような生徒がいるということを理解できている先生はいないのだろう。
カリキュラムや、それ以外の問題で頭がいっぱいになっていて、しかも、まるで奴隷のごとく働かされて、よくこれで、
「病んだりしないよな」
と思うようにならないかというものである。
桜沢は、それほど、好きなものと嫌いなものの違いというものに対して、露骨なほどの思いを持っているということを、なかなか分かっている人は少ないことだろう。
もちろん、それは数学に限ったことだけではない。他の科目でも同じことで、特に好きな科目の中では結構ハッキリしていたりする。
特に、歴史などは、それが顕著に表れている。しかし、それはちょっと矛盾しているのではないかと思うのだが、その理由としては、
「歴史というものが、時系列で続いてきているからだ」
という。当たり前のことからであった。
確かに、歴史の中には無数の、
「転換期」
なるものが存在していて、それが、いかに変化しているかということが分かってくる。
だが、基本的には、時系列に矛盾なく続いてきたものが、歴史になるわけだ。
歴史には時間を紡ぐことで、歴史という一つの世界を形成し、それ以外の他の世界をいくつも作っているという考えになることもある。
それが、いわゆる、
「パラレルワールド」
であり、その派生形といっていいものが、
「マルチバース理論」
といえるのではないだろうか?
歴史に、もし、や、だったらなどという言葉は禁物だと言われるが、最近の歴史番組であったり、歴史に関する著書には、それらの、
「もしも」
などというキーワードで語られることが多くなった。
さらには、歴史で言われていることが、実は間違っていたら?
というような話も結構言われていたりする。
例えば、悪人と言われている人が、実は善人だったりで、その人が暗殺されたりした人であれば、歴史認識が変わってくることになる。
「そんな過去のことをいまさらほじくり返したって」
という人もいるかも知れないが、果たしてそうだろうか?
「歴史は、前にしか進まないものだから、ちゃんとした認識を持っていないと、今がどうしてあるのかということを見誤ると、今後の未来がおかしくなったまま進んでいくことになる」
という人もいるだろう。
しかし、これも考えようであるが、
「世の中がどうなろうが、知ったことではない」
と思っている人だっているだろう。
そんな人から見れば、そんな話はきれいごとでしかなく、
「何で、俺がそんなことに関わり合わなければいけないんだ?」
ということになる。
そもそも、
「そんなことを思っている人もいるだろう?」
ではない。
「そんなことを思っている人間ばっかりではないか?」
という方が当たっているような気がする。
そんな人に対しては、皆きれいごとにしか見えない。そう考えると、ちょっとでもいいことをいう人に対して、偽善者的な目で見る人が究極多いように思うのは、当たり前のことではないだろうか?
だから今の世の中は、結局、
「皆、自分のことしか考えていないんだ」
といえるだろう。
そもそも、
「自分のことを考えられない人間が、人のことをあれこれ言ったって、それは偽善なのか、理解もせずに、多数派意見に従っているというだけの最低な人間であり、今の世の中、政治家にそんな連中が多いというのも、実に皮肉なことではないか?」
と思っていることだろう。
政治家の連中は、ちゃんと歴史を勉強したのだろうか?
歴史を勉強したうえで導き出された結論は、
「他の人などどうでもいいから、自分さえよければそれでいい」
ということになったのかも知れない。
確かに、歴史を勉強していると、そっちの方に結論を持っていきがちになるのは仕方がないことのように思える。
その理由は、
「そう考える方が、楽だからである」
といえるのではないだろうか?
例えば、歴史の中で、古代の一番のクーデターとして有名な、乙巳の変というのがある、
これは、ざっくりといえば、中大兄皇子と、中臣鎌足が、当時、朝廷の中で権勢をふるっていた蘇我氏の長であった、蘇我入鹿を殺害した事件のことである。
歴史上、なかなかないと思えるようなクーデターであり、何と言っても、まず大きなこととして、その舞台が、
「飛鳥板葺宮」
という、平安京の中の、天皇が配下のものと謁見するところでのことで、当然、天皇の目の前での殺害ということになる。
さらに、大きなこととして、クーデターの張本人であり、最初に入鹿に切りかかったのが、中大兄皇子であり、これは、当時天皇であった、皇極女帝の実の息子である中大兄皇子が、母親である天皇の目の前で、逆賊を討ち取るという形のものだったのだ。
だが、果たして、この事件は、中大兄皇子や中臣鎌足のいうように、
「蘇我入鹿は、今の政府の転覆を企んでいた」
という言葉をそのまま信じていいのだろうか?
昔から、
「政府転覆を目指した蘇我氏が、中央集権を目指す、中臣鎌足一派の制裁を受けた」
というのが常識として、教育を受けてきたのではないだろうか?
しかし、実際には、それが本当のことなのかどうか分からない。何と言っても、
「死人に口なし」
ということで、死んでしまった蘇我入鹿しか知らないことは封印されて、クーデターを起こした連中がいう言葉しか歴史上では出てこないからである。
そして、その後の歴史が正解だということになっていることで、蘇我入鹿が、罪悪人であったということで決まってしまったということだろう。
これこそ、理不尽なことだと言えるだろう。
「勝てば官軍」
という言葉、この事件からも言えることではないだろうか?
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