第26話 セルフネグレクト

 スマートフォンの画面に、夕夏の顔が映し出される。頬は赤く、目が据わっていた。完全にできあがっている。


「ほら顔洗え、ほら今今今!」


 酔っ払った彼女は止まらない。辰巳はやれやれと思い、腰を上げた。


 縁治から届いた箱から、改めてスキンケア用品を取り出す。


 それを見た夕夏は絶叫した。

「それ高級ラインの方じゃない! いいなあ。ピンクと紫があるんだよ。紫が高い方」


「ふーん。欲しけりゃそのまま送るけど」

「プレ横流しすなぶん殴るぞ」


 強く言われ、辰巳は黙る。本当に怒っているのがわかったのだ。


 夕夏に指示されるままに洗面所にセットを持って行く。ボトルの裏に書かれた使い方をよく読み、まず洗顔料をフェイスブラシにとった。


「フェイスブラシは持ってんだ。なにで洗ってんの?」

「百均のだけどね。台所用の石鹸でも泡立つし」


「最悪か?」と夕夏は吐き捨てる。辰巳は笑って顔を洗った。


 確かに普通の石鹸よりも泡立ちがよく、皮膚にべったりとつくこともなかった。香りも清潔感があり高級だ。自分からこんな匂いがするのかと思うと、なんだかこそばゆかった。


 お湯で流すと、さっぱりしているのにひきつれる感覚がなかった。高いだけあるなと、辰巳は感心する。こんなに違うものなのか。改めてボトルの裏の成分表を読むが、何がどう効くのかさっぱりわからなかった。


 そのままスキンケアを一通り行う。


「洗顔、導入化粧水、化粧水、美容液、乳液……」


 辰巳が呟くと、夕夏は驚いた表情になる。


「使う順番知ってたんだ?」

「縁治が言ってた」

「はー。はいはいのろけのろけ」


 ふてくされたような顔をして、夕夏は缶の酒をあおる。これ以上刺激しないよう、辰巳は口を閉じた。


 スキンケアを進める度、手のひらに触れる肌が、柔らかく変化していく。鏡を見ると、高校生の頃は脂ぎり、今は乾ききっていた顔が、ずいぶんと透き通って見えた。

 一回でこんな変わるものか、と辰巳は驚く。プラセボ効果もあるかもしれないが、少なくともやっただけの違いはあるように思えた。


 スマホに顔を向けた辰巳に、夕夏は微笑む。


「顔、つやっつやじゃん」


「こんなに変わるもんなんだな」

「そりゃもう、化粧品って科学だし? すっきりしたでしょ」


 確かにと辰巳はうなずく。あくび混じりに夕夏は言った。


「辰巳ってセルフネグレクトしがちでしょ。特にメンタルの方」


「ネグレクト? なんだっけ、育児放棄?」


「大人になったら、自分のケアするのも、成長させるのも、全部自分でやんないといけないでしょ。

 でもあんたは、自分のことを二の次にしがちじゃん」


 チューハイを持て余しているのか、夕夏は缶をちゃぽちゃぽと振る。


「自分なんて価値がない、って思ってケアしないでいると、どんどん悪くなって、やっぱ価値ないんだなーって自分で感じて、さらにケアできなくなって。ってループに入るのよ」


「あー……わからんでもない」


 柔らかくなった自分の頬を撫で、辰巳はうなずく。


 先ほどまで、自分の肌がこんなに柔らかくなると知らなかった。だからこそ、石けんで洗い、放置して、がびがびになっても、それが普通だと思っていたし、変わろうと思うこともなかった。変わる意味もないと思っていた。


 だが今、実際に使って、自分が変化することを知った。


「なんか今、『これが私……?』って感じだな。俺」

「ヒロインじゃん」


 夕夏は得意げに顎をあげる。


「じゃあさ、明日から貰った服を着て、写真を私に送ってね」

「どういう話の流れだよ」

「自分の価値に気づき始めたヒロインを、自分でプロデュースしたいんだわ」


 ははっと明るく笑い、夕夏は最後のチューハイを飲み干す。空になった缶をテーブルに置いて言った。


「縁治に送るのはまだ気持ち的に厳しいでしょ? 先に私で慣れてきな」


 にやっとした笑みに、彼女が面白がっていることを辰巳は察する。苦笑いしつつ、辰巳はうなずいた。


「よろしくな」


 自己改革だなんだと、大仰にやるのは気恥ずかしい。だが、友がコンテンツとして楽しんでくれるなら、少しずつ手を出していこうと思えた。

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