第23話 押しつけられた好意

 配達員の押すインターホンの音で辰巳は目を覚ました。


 どうやらぬいぐるみの刺繍をしている内に眠ってしまったらしい。最後に見たとき、三時をさしていた時計が、今は十時をさしている。


 針に気をつけながら起き上がり、玄関を開ける。不在届を書こうとしている配達員と目があった。辰巳はつい謝ってしまう。


「すみません、お待たせして」


 配達員も恐縮して頭を下げた。お互いにすみません、ありがとうを繰り返しつつ、荷物を受け取る。


 差出人は縁治だった。住所の欄も几帳面に記入してあり、思わず気後れしてしまう。

 こんな無防備にプライベートをさらけ出さないで欲しい。


 縁治から届いた荷物は、無地で小さな段ボール箱で、サイズの割に重みがあった。持ち運ぶと左右に振れる。中身は水分だろうか。


「水素水じゃないよな……」


 辰巳は不安を抱いた。

 辰巳は水素水を信じていない。SNSをやっているオタクなら、ミームとしていじられている場面に出会う方が多いだろう。

 もしも、自分が信じていないものを、推しが信じていたら。推しに賛同すべきだろうか。


 ファンは信者としての側面もあるが、推しの全てを肯定しなくてはいけないのか、というのは、よくSNSでも議論されていた。


 テーブルの上の刺繍用品を脇に寄せて、荷物を置く。

 送り状は何かの時のために捨てずにとっておくことにした。推しの個人情報を気軽にゴミ箱に入れるのも怖い。


 こわごわとテープをはがして開けると、綺麗な紫色のプラスチックボトルや、細身の箱、丸いふたのケースが数本入っていた。


 とりあえず飲み物ではなさそうだったので、ほっとする。


 自分の生活に関わったことがないものだが、つい最近見たような気もする。辰巳は裏の使用方法や成分表示を読んだ。


「化粧水……?」


 他の瓶やケースを見ていく。

 洗顔料と化粧水が数個あり、他は導入化粧水、美容液、乳液と書かれていた。

 既視感はおそらく、颯大のコラボショップで見たからだろう。確か、縁治の事務所に所属するインフルエンサーが宣伝をしている、新作のスキンケアシリーズだ。


 刺繍のセットと化粧水が置かれたテーブルは、まるで女子の部屋のようだ。元々ぬいぐるみや縁治の写真が飾られている為、全体もそう見えるかもしれない。


 辰巳は大きくため息をついた。


「縁治は俺をどうしたいんだ?」


 ひどく弱り切っていた。

 つい先日まで、無計画に縁治を推していた。勝手に好きでいられた。だが今は彼との関係性が生まれ、彼から向けられるものを受け止められずにいる。


「お礼言わなきゃだよな……」


 スマホを取り出し、しばらくためらう。

 今日の出勤は十二時からだ。昼の準備をするためにも、出来れば早めに入りたい。簡単に礼だけ言うのがいいだろう。


 辰巳は縁治にメッセージを送る。


「ありがとう、今届いた」

「よかった!」


 すぐに既読がつき、返信が届いた。


「事務所でわけて貰ったんだけど、オレは気に入ってるやつがあって持て余してたんだ。

 使い方わかるか? 洗顔、導入化粧水、化粧水、美容液、乳液の順番だからな」


 ぐいぐいと押しつけられているように感じ、辰巳は息が苦しくなる。


 俺がスキンケアしてどうなるというのだろう。ぬいぐるみは好きだが、別に女子になりたいわけでもない。縁治にあこがれているが、綺麗になりたい気持ちもない。


 なれる気もしない。

 最低限でいいのだ。

 だって自分が最底辺なのだから。


 辰巳はしばらく迷った末、短く伝えた。


「でもこういうの困る」

「なんで?」


 縁治の真っ直ぐなまなざしがよぎる。

 辰巳は、自分の卑屈な感覚をどう伝えようか考えあぐねていた。伝えれば、おそらく縁治は彼のいいところを沢山答えてくれるだろう。

 だがそうやって、慰められるのも嫌なのだ。


 結局辰巳は、自分の気持ちに一般論をかぶせることにした。

「ファンをそんなにかまうなよ」

「辰巳だけだよ」

「それが嫌なんだって。他のファンにやれないことを俺だけにやるな」


 上手く正論を言えたのではないだろうか。縁治は公平な男だ。きっと辰巳の言葉を理解してくれるはずだ。


 だが返答は、辰巳にとって思いも寄らぬものだった。


「まだ自分のことを、ただのファンだと思ってんのか?」


 ぐっと息を詰まらせ、辰巳はスマホを見つめる。


 確かにそうだ。自分はすでに、ただのファンから逸脱している。ファンだからと言って、縁治と境界線を引くのはもはや無理だった。


 どこで選択を間違ったのか。

 当然、縁治が居酒屋に乗り込んできた時だろう。


 推しのお願いだからと、安請け合いして連絡先を交換しなければ良かった。あるいはもっと前、彼の出演している番組を見た時だろうか。ここまで彼にのめり込んでいなければ、もっと真面目に生きて、貯金も出来ていた可能性はある。


 ぶるりと辰巳は震える。

 自分に何か価値があるのかもしれない、と思うのが怖かった。最底辺ではいずっていれば、遠くの光を拝むだけで満足できる。

 立ち上がったら転ぶだけだ。だから過去のことを振り返りたくもないし、推しに近寄ってこられたくもない。


 辰巳はメッセージアプリを閉じる。

 時計を見ると、そろそろ家を出る時間だった。


「……仕事行かなきゃ」


 貯金はない。仕事への意欲もそんなにない。

 好きなことを出来れば十分で、自分を高めたいとも思わない。


 そんな日常に、辰巳は逃げるように戻っていった。

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