03 推すってなんですか?

第17話 推す≠恋愛

 夜のピーク前に休憩をもらい、辰巳はバックヤードに向かう。


 土曜日の定食屋兼飲み屋はまずまず盛況だった。金曜よりも勤め人は少な目だが、土日休みを堪能しようと思ってか、閉店ぎりぎりまで居座る人も多い。

 これから一気に忙しくなるだろうと、辰巳は気を引き締めた。


 休憩室のテーブルには、北海道土産のお菓子が広げられていた。

『お休みありがとうございました。食べて下さい。阿部』と書かれた紙が添えてある。ありがたく一つ貰った。


 チケット代確保のために食費を削っている辰巳にとって、こういったお菓子も日々のカロリー源、かつ心の潤いの一つだった。


 ウォーターサーバーでくんだ水とお菓子を口にしていると、隣に座った同僚――阿部がにこにこと笑いかけてきた。


「おいしい? それうちの実家の銘菓なのよ」

「すっごく美味しいです」


 実感を込めて言うと、阿部は嬉しそうにうなずいた。

 頬の肉が大きく揺れる。おだやかでふくよかなおばさんだ。


「そうなのよー。でもほら、見た目が地味でしょ? だからあんまり人気がないんだけどね、絶対美味しいから」


 力説するところを見るに、阿部はこのお菓子が好きなようだ。テーブルを挟んだ向かいに座っていた、厨房の新人が苦笑した。


「俺あんまり得意じゃなかったですね。食べ慣れないっていうか」

「まーくんは若いからねえ」


 正人の意見に、阿部は怒らずにうなずく。そしてお菓子を数個つかみ、辰巳の前に置いた。


「若い子はあんま食べないみたいだから、辰巳君食べちゃいなさい」

「ありがとうございます」


 数個をポケットにいれ、一つを開封する。良質な小豆と砂糖の和菓子は、いくつ食べても飽きなかった。


 正人と阿部はのんびりと世間話をする。二人ともマスクはしていなかった。辰巳は水を一口飲み、マスクを引き上げる。コロナが五類に移行したとはいえ、もはや習慣になっているそれをやめることは出来なかった。


 舞台鑑賞を趣味にしていると、かかったときの負担を、自分事として考えることも出来るからだろう。もしもかかったら、チケット代が無駄になる。舞台を楽しみにしている観客にうつしてしまうかもしれない。劇場や推しにも迷惑がかかる。そう思うと、しっかり感染対策するしかなかった。


 正人はエナジードリンクを飲みながら問いかける。

「阿部さん実家行ってたんですね。だるくないですか?」

「私の実家だからねえ、逆にだらだらさせてもらいに行ってるって感じよ。旦那の実家は気を使うけど」


「へー、そういう感じなんですね。

 そう言えば、辰巳さんも昨日お休みでしたけど、どこ行きました?」

「あ、舞台を見に」

「辰巳くん、『推し』がいるのよねー。だから休みの日は大体舞台行ってるわよ」


 実は昨日は、舞台を見たあと推しと一緒に、死んだ俳優のことを調べていました。とは言えずに、辰巳は曖昧に笑う。

 正人は興味深そうに目を開いた。


「辰巳さんに推しって意外です! なんかもっとインドアかと思ってました」

「舞台見るのって割とインドア系の趣味じゃないか?」

「現場に行ってるんだから、アウトドア寄りですよ」


 ドアを境に考えればそうなのだろうか。

 空腹を感じた辰巳は、もう一つお菓子をポケットから取り出す。マスクをずらして口に含むと、滋味深い甘みが広がった。


 正人はニコニコと話す。


「推しがいるっていいですよね。俺も推してるアイドルがいて……

 辰巳さんの推しって誰です? なんか清楚系好きそう」

「辰巳くんの推しは男の子よー。乾縁治くんっていうの」


「えっ、そっち系なんですか? 辰巳さん」


 勘違いに勘違いを重ねている気配を感じ、辰巳は困惑する。どう説明しようか悩んだ末、出てきたのは質問返しだった。


「なんで?」

「だって、推しってことは結婚したいんですよね?」


 きょとんとした顔の正人に、辰巳は苦い表情で返した。


 こういう勘違いに、辰巳は何度もあってきた。俳優やアイドルが好き、推している、すなわち恋愛的な好意であると認識されてしまうのだ。

 現場でも縁治のファンから、ボーイズラブを期待されることがあった。


 だが違うのだ。

 辰巳は縁治のことが好きで、推しているが、それはあくまで俳優としてだ。人間性も好きではあるが、そこに恋愛感情はない。


 辰巳はマスクを引き上げ、首を振った。


「結婚とか、恋人になって欲しいとか、思ったことないな」

「それって、好きって言えるんですか?」


 好意から問われ、辰巳はむっとした。

 正人は立て続けに問いかける。


「何のために推してるんですか?」

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