第16話 彼の死んだ場所

 すでに規制テープなどはなく、森はただの森だった。


 夏を前にして生い茂った葉の重なりは厚く、日差しを遮っている。木漏れ日もまばらで、足下の土や下草はじっとりと湿っていた。足を踏み出す度に、青い匂いが立ち上る。


 張り出した枝は、立派なものが多い。よく見ると、小さく新芽が出ていた。これからもっと沢山の枝葉をつけ、立派に育っていくのだろう。


 この枝のどれかが、颯大の体重を支えたのだ。

 葉の陰になっているからか、ロープの跡も見つからない。


「暗いな」


 ぽつりと縁治は呟く。辰巳も「ああ」と答えた。


 森の中は薄暗く、夜ともなれば真っ暗になってしまうだろう。街灯の光も届かず、自分の影が落ちている場所すらわからない。


 ここで一人、颯大は死んだのか。


 死ぬというのは案外と重労働だ。誰にも気づかれないように縄を調達し、日時を決め、実行する。遺書などの準備も必要だろう。普段しなれないことばかりで手間取るに違いない。


 だが颯太はそれをやりきり、自殺した。

 強い決意のもと、彼は枝に縄をかけた。


 辰巳の脳裏で、首をくくる颯大のイメージに、縁治の顔が重なる。


 もしも。自分の推しが死にたいと思っていたら?

 自分の推しが死んだら、心臓が止まったら。


 不安が押し寄せ、冷や汗が吹き出した。推しの心の内など、オタクはほとんど知らない。表面上、見せたいと感じていることだけしか見ることが出来ないのだ。


 それは普通の人間の関係性でもそうだ。人の内面なんて想像しか出来ない。わかるはずもない。ただ、オタクから推しへの一方的な執着が、その『わからなさ』をより悲しくさせる。


 一心に愛したところで、推しには届かない。内側に触れられない。どこまで行ってもひとりよがりだ。


 辰巳の首筋を汗が伝う。凪結の涙が脳裏をよぎった。

 『颯太』と呟いた彼女の言葉には、純粋な悲しみがあった。愛情があった。だがそれは颯太の糧にはならず、彼は一人で死を選んだ。


 推す、ってなんだ。辰巳の心臓がぎゅっと痛む。

 どれだけ愛していようが、取り残されるばかりじゃないか。


 知らないうちに縁治へと伸ばされた自分の手に、辰巳は気づいた。

 冷え切った指先をぎゅっときつく握りしめ、触れる前に止める。

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