第10話 俺にできること
縁治に図星をさされ、辰巳は眉を下げた。
「いやー、まあ、乗り気じゃないっていうか。
俺なんかがそんな手伝えることなんてないしって思ってて……」
「辰巳って、結構自分に自信ない系だよなー。もらった手紙見てても思うもん」
「バレてるなあ……」
はははと乾いた笑い声をあげ、目を傘の縁に泳がせた。たまっては落ちる水滴を追って、地面を見つめる。
「俺は縁治の追っかけしかしてないからさ、あんまキャラ立ってなくて」
「男の追っかけしてて料理とぬいぐるみが作れる男、相当おもしろくないか?」
「一つずつ見たら中の下以下だよ」
追っかけをしているとは言え、仕事と稼ぎの都合で全通、つまり全公演を見るほどの熱烈なファン活動は出来ていない。
料理は調理の現場に就職したからやっているだけだ。ぬいぐるみは、縁治と出会う前からやってはいるが、ただの趣味でしかない。
出来ます、やれますと胸を張れるものは一つもなかった。
自分の薄汚れたスニーカーが、縁治のよく手入れされたゴアテックスシューズと交互に視界に入る。縁治の言葉に適当に返しながら、地下鉄の改札をくぐり、来た電車に乗り込んだ。
顔を上げると、電車の窓に自分と縁治の顔が並んでいた。
マスクをしていても、目元の覇気が違うのがわかる。こんなに肌汚かったんだなと思い、辰巳は自分の顔に触れた。とはいえ、人前に立つ仕事をしていないので、ケアをする気にもならないが。
辰巳の隣で、縁治がぽつりと呟いた。
「オレ、辰巳に嫌われたかと思った」
目を見開いて辰巳は縁治を見る。彼は困ったような笑みを浮かべた。
「最近言うじゃん、蛙化現象って」
「かえる……何?」
「知らない? あれだよ、相手のことが好きだったはずなのに、好きって言われたら冷めるーみたいな」
初めて聞く言葉とその意味に、辰巳はたじろいだ。
「き! らいに、なんて、なるわけが……」
わななく唇から出た言葉は予想外に大きく、切れ切れになりながら音量を調節するが、最後は逆に小さくなりすぎてしまった。
一度空気を補充して、もう一度答える。
「縁治は俺の推しだよ。……今日の舞台もよかった」
推しから興味関心を向けられて、驚いたのは事実だ。そして、全力で受け止めて喜ぶのではなく、自分はオタクであり相手は推しであると、わきまえることで感情をやり過ごした。
それでも、嫌いになったり、冷めたりは絶対にしていない。
縁治は相変わらず辰巳の心臓であり、生きるために必要なものだった。
「マジ? ありがと」
縁治は深く息を吐く。
肩が落ち、身体のこわばりが抜けていく。それを見た辰巳は、縁治が緊張していたことに気づいた。もしかすると、居酒屋での距離の近さも、気持ちが空回りしてのことだったのかもしれない。
真剣な表情で縁治は言う。
「オレ、本当に颯大のことを知りたいんだ。アイツが何を思って、あの選択をしたのか。だって――」
辰巳をちらりと見て、縁治はわずかに目尻をゆるめた。
「アイツ、まだ情報解禁されてなかったけど、でかい仕事が決まってたんだよ」
「……これからって時だったんだな」
「そう。でかい仕事じゃ珍しい、ガチのオーディションでさ、他のすげー奴らにも、オレにも勝って、掴み取った役だった」
大きな興業では、基本的にオファーでキャストが決まるというのは、辰巳も聞いたことがあった。
番狂わせを期待するより、確実に費用を回収できる方が優先されるからだろうか。明確に、客にもわかる形でオーディションであることが宣言されている作品を、辰巳はあまり知らなかった。
「オレに勝って……どんな芝居見せてくれるのかと思ったら、こんな形で勝ち逃げされて、すげー悔しくてさ」
じっと、真っ直ぐな目で縁治は辰巳を見つめる。
「だから、辰巳に声をかけたんだ」
「いや? 役者だけどちょっとオタク寄り、みたいな友達もいるだろ? なにも、自分のオタクに声かけなくても……」
視線をよけるように、辰巳は電車の振動にあわせて身体を揺らす。だが縁治の視線や声は、彼を離さなかった。
「お前以上に信頼できる奴はいない」
「そんな……」
「あとさ、お前の手紙とかSNSでの感想を読んでて、自分の見たものとか、感じたことをちゃんとオレに共有してくれそうだなって思って。
相棒にするならそういう奴がいいだろ?」
推しからの信頼が厚すぎて重い。
辰巳は自分の胸に手を置く。心臓が重く、異物のように鼓動していた。縁治の信頼に応えられるのだろうか。いや、応えるしかないのだろう。
「俺はファンで、縁治は推しだからな」
呼吸の代わりに小さく呟き、辰巳は縁治にうなずく。
「わかった。とりあえず、颯大のコラボショップからだな」
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