02 死の真相を探りに

第9話 待ち合わせ

 五月十二日はあいにくの雨だった。


 舞台『カンテラ』のマチネ公演を見終えた辰巳は、傘を開いてエントランスを出る。

 舞台の後の雨が、辰巳は嫌いじゃなかった。柔らかい雨音のノイズの中、誰にも邪魔されずに、今目にした世界に思いを馳せることが出来る。通行の邪魔にならないところに移動し、辰巳は目を伏せた。


 暗闇の中、誰もが炭坑からの脱出をあきらめたとき、縁治が現れて言うのだ。

『まだ灯りは消えていない。誰も死んでいない』

 疑心暗鬼にとらわれ、互いを出し抜こうとしていた仲間たちは、改めて一致団結して、炭坑の外へと向かう。


 ももなや女性陣の待つ青空の下へと帰った時の、縁治たちの晴れやかな顔。観客たちは――少なくとも辰巳は、大戦が間近にあることや、炭坑の栄華が長く続かないことを知っているし、物語のラストでもその描写がある。


 だがこの一瞬を生ききった縁治たちの輝きは褪せずに、辰巳の瞼の裏に残っていた。


「いやでも、照明暗すぎない? 全然推しの顔見えなかったんだけど」

「カンテラが照明に埋もれてたら、タイトル回収にならないじゃん」


 観客たちが言い合う言葉に、辰巳も心の中でうなずく。

 リアリティを追求してか、照明もそこまで明るくなく、衣装も地味だったので、推しの顔どころか、どこにいるのか探すこと自体難しかった。

 辰巳は今日で四度目の観劇のため、出番や立ち位置を把握しているが、一度しか見ない人には不満が残るかもしれない。


 辰巳はスマホを出し、時計を見る。縁治が楽屋口に来てほしいと言っていた時間の十分前だ。

 客もほとんど引けており、辰巳が楽屋口にいくのを見咎めるものもいなそうだった。


 見咎めるって。辰巳は苦笑する。

 縁治は基本的に出待ちを認めていなかった。

 出待ちとは、楽屋口やその近辺、あるいは駅などで、役者が出てくるのを待っていることだ。以前はジャンルや本人によっては許可されていたが、新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言以降は、ほとんどの劇場で禁止された。


 禁止となると、厳しくなるのはスタッフよりも同じファンたちのまなざしだ。オタクは自分たちのいる界隈の自治をする。逸脱者は白い目を向けられ、つまはじきにされる。

 推しが嫌がっている。推しに病気をうつすかもしれない。そういう理由がある分、自治はより厳しいものになっていた。


 そもそも、辰巳の行為は出待ちではない。縁治と約束して落ち合うだけ。

 それでも、自分はあくまでもファンであり、推しは推しだという意識が、後ろめたさを生み出していた。


 辰巳は楽屋口に回る。出待ちしているファンはいなかったが、念のため、少し離れたところにあるコンビニの軒先に移動した。


 縁治にメッセージを送る。

「雨降ってるし、コンビニ前にいる」

「了解。あと五分で行きます」


 即座に帰ってきたメッセージに、辰巳は感慨を覚える。スマホの向こう、回線でつながった先で、今まさに推しが生きているのだ。


 軒先を借りる礼もかねて、コンビニでホットの缶コーヒーを買う。ちびちび飲んでいると、縁治が楽屋口から出てきた。


 辰巳に気づき、傘もささずに駆け寄ってくる。辰巳は傘を差しだしながら、縁治を迎えた。


「風邪引くぞ」

「大丈夫だって。オレも缶コーヒー買おっと」


 さっさとコンビニの中に入り、缶コーヒーを買って戻ってくる。邪魔にならないように辰巳が外に一歩出ると、縁治もついて出てきた。

 傘を差すのが面倒なのだろうか。縁治の腕にかかったビニール傘を見つつ、辰巳は彼を自分の傘に入れる。


「サンキュー」と、縁治は親しげに軽く礼を言う。

 缶を開けてコーヒーを飲む彼を見下ろしながら、辰巳はマスクをつけた。


「お互い傘さしてるとさ、喋りづらいじゃん」

 辰巳が口にしなかった疑問に、縁治は答える。

「今日の作戦会議もしたいし」

「まあ確かに、大声で話し合う内容ではないかも」

「だろ?」


 飲み干した缶コーヒーを、大きめのジャケットのポケットに入れて、縁治もマスクをする。キャップにスニーカーを合わせた彼は、割とどこにでもいる青年のように見えた。


「今日あんまり黒くないんだな」

「若俳っぽくないだろ? そういう辰巳はいつもと同じ服だけど」


 痛いところをつかれ、辰巳は目を泳がせる。

 彼はあまり服を持っていない。自分を着飾るということに意味が見いだせず、金があるならチケットに使いたかった。とはいえ、縁治の現場に普段着のヨレたTシャツで行くわけにもいかない。アパレルショップでトルソーが着ていた一式を買い、丁寧にケアしながら着続けていた。


 目をすがめて、縁治はうなずく。

「ホント見慣れちゃったよその服」

「はは……」


 この服もそろそろ潮時だろうか。とはいえ、どんな服を買ったらいいのか思いつかなかった。縁治を推すこと第一で、自分に対してリソースを割くのが苦手なのだ。


 縁治は自分のジャケットを引っ張る。裏地は鮮やかなオレンジ色だった。


「オレはさ、颯大のショップに行くから、あんまりアレっぽすぎると目立つかなと思って」


「縁治も店の中に入るのか?」

「いや、同じ階にアクセサリーのセレクトショップがあるからそっちにいるわ」


 これから二人は颯大の献花台が置かれたコラボショップに行く。


 今でも連日颯大ファンが訪れているショップだけに、縁治の求める『ファンから見た颯大』を知ることが出来ると踏んだのだ。


 縁治はスマホの地図アプリを開く。行き先を確認し、辰巳を見上げた。


「なんか、ショップと自殺現場も割と近いんだって?」

「ああ、繰り返し『巡礼』してる人もいるって、フォロワーからも聞いたな」


 颯大は、四月二十五日の深夜、都心にある自然公園で首を吊った。

 遺体や出動した警察の目撃者も多く、ニュースやネットのまとめ記事で、簡単に自殺現場を知ることが出来た。


 熱烈な颯大ファンは、巡礼と称して自殺現場とショップを訪れ、颯大に思いを馳せているらしい。


 縁治は意外そうに辰巳を見た。


「ファンの人に聞き取りしてくれたんだ」

「いや、一応……」


「あんまり乗り気じゃないと思ってたからさ、ちょっとびっくりした」

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