第6話 解釈違いです

「あー待って待って。

 辰己テンパってるだけだから。嬉しいことは嬉しいんでしょ、辰己?」


 慌てて手を伸ばし、夕夏は辰己と縁治を仲裁する。

 縁治を怒らせてしまったことに気づき、辰己は狼狽した。


 嬉しい。

 嬉しくないわけがないのだ。

 目の前に推しがいて、これだけ話せているのだから。


 ただ、自分に会いに来て貰うだけの価値があると思えない。会ったことで、推しに迷惑がかかるかもしれない。

 推しには手の届かない存在であって欲しいという、自分勝手な願望もある。


 感情がぐちゃぐちゃで、早くここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


 握手会や撮影イベントは良い。金を払っているという免罪符があるし、時間も数十秒から一分程度だ。

 どれだけ複雑な感情が生まれても、すぐに深呼吸して落ち着くことが出来る。


 辰己は自分の呼吸が浅くなっていたことに気づく。無理矢理大きく深呼吸し、一拍おく。

 ああもう、なんでもいいからお金を払わせて欲しい。


「……ここ、俺がおごりますね」

「いいから! 無理すんな、貯金なし男ッ!」


 思わず夕夏がつっこみ、縁治は吹き出した。


「仲良いなー。つきあってんの?」


「ありえない」

「私は女の子が好き」


 辰己と夕夏は即座に言い返す。ごめんごめんと詫びる縁治に気がほぐれ、ようやく辰己は彼をまっすぐ見ることが出来た。


 自分の隣に座っているのは、一人の男だった。舞台の名残は髪だけでなく顔にもあり、目の際にアイラインが残っていた。


 辰己は自分の目を指さす。


「メイク残ってる」

「ああ、焦って出てきたから」


 店員が注文とおしぼりを持ってくる。縁治はおしぼりを開いて顔を拭った。舞台用のメイクは強く、全く落ちない。

 ぱっちりとした縁治の目は、アイラインを引くことでより美しく際だつ。地味な居酒屋では、それがどこかシュールでもあった。


 縁治はふと思い立ち、辰己の顔をのぞき込んだ。


「そういえば、オレぬいはどこ?」

「鞄にしまってある。ずっと出してると汚れるし」

「大切にされてるなーオレ」


 辰己がぬいぐるみを出すと、縁治は嬉しそうに抱き上げた。ぬいぐるみの服をめくり、裏地まで確認する。


「衣装もしっかり作ってあるじゃん。あ、でもここのベルトは違うか」

「ゲネの写真見て作ったから、細かいところはわからなくて……」

「今度、写真送ろうか。連絡先教えて」


 辰己は深く息を吐き、止めた。

 推しからの距離の詰め方がエグすぎる。同性同士だから、友人のように思っているのだろうか。異性だったら一発で記事になりそうな台詞だ。


 見かねた夕夏が助け船を出す。


「縁治、距離詰めすぎ」

「え? ほんとだ、狭かったな」


 腰を浮かせて、縁治は辰己から離れたところに座り直す。縁治と辰己の間に、ぬいぐるみを座らせた。

 夕夏はツッコミを入れたそうな顔をする。辰巳も、そうではないと言いたい気持ちはあったが、呼吸をする時間をくれたことにまず感謝した。


 辰己も軽く座り直し、縁治に問いかける。


「さっきさ、焦って出てきたって言ったよな」

「うん。写真見て、帰っちゃう前に行こうって」


「そこまでして、俺に会いに来た理由って何だ? 『どうして』会いに来た?」


『どうやって』は聞いた。次は『どうして』の番だ。

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