第3話 誰かの推しが死んだ

 この居酒屋のツマミはどれも塩気が強い。喉が乾く。

 ビールで軽く口を湿らし、辰巳は答えた。


「ももなも縁治も揃ってたから、颯大なら来ただろうな」

「売れっ子なのに、必ず顔出してたもんね」


 颯太は義理堅い男だった。五年前の縁も大切にし、縁治やももなとも絶えず交流していた。


 辰巳はまたビールを飲む。グラスは結露で湿り、手が濡れてしまった。


「もう二週間……まだ一ヶ月も経ってないのか」

「報道された日が『カンテラ』初日だったから、リアルにお通夜だったもんねえ」


 颯大が自殺した日の夕方、『カンテラ』の幕が開けた。

 颯大の同期である縁治とももながいた為、普通の舞台には珍しいほど、ゲネプロに記者が詰めかけたという。


 しかし彼らの目的は縁治達の舞台ではない。死んだ人気俳優のプライベートだ。書き立てるためのネタだ。


 ゲネプロ後の囲み取材で、真っ先に死んだ颯大への言葉を求められた縁治は、はっきりこう言った。


「颯大は最高の役者です。オレもアイツの友達として恥ずかしくないよう、これからも誠心誠意、全力で舞台にぶつかっていきます」


 そして、それ以降の舞台に関係ない質問は全て無視した。

 SNS上の颯大ファンは、颯大が死んで悲しくないのかとか、さんざん悪く言っていたが、辰巳には縁治らしいと思えた。


 縁治は別のジャンルで活躍する颯大を尊敬していた。だからこそ、自分が役者として出来ることを突き詰めようと考えたのだろう。


 夕夏はぽつりと呟く。

「なんで颯大死んだんだろ」

「俺たちにわかるわけないだろ」


「そうなんだけど。颯大推しの子達のこと考えるとさ」


 辰己はつまみを口に入れて、沈黙の口実にする。夕夏も酎ハイをちびちびと飲んだ。


 突然推しを失ったときのことなど、想像もしたくない。だが、颯大を推していたファンたちは、それが現実になってしまった。


 この二週間は、ファンたちにとってどれだけ辛かったか。毎日のように颯大の特集が組まれ、生きていた頃の活躍や、自殺理由への憶測が垂れ流される。

 彼がいなくなったこと、あるいは彼自身を忘れようとしても、目から耳から現実を塗り込まれ、逃れられない。


「ミュープロも散々だよね。若手の売れっ子が立て続けにさ」

夜光ヤコか。あれも急だったよな」


 一昨年にメジャーデビューした、夜光というシンガーソングライターがいた。

 元々動画サイトでブレイクしていた歌い手で、彼女も颯大と同じ事務所に所属し、ヒットを連発していたが、今年に入ってすぐ、一月二五日に転落事故で亡くなっていた。

 ミュージアムプロモーションは所属アーティストのケアを怠っているのではないかと、ファンの間でささやかれていた。


 SNSのトレンドワードにあがった、古谷颯大やミュープロの名前をタップすると、『自殺をする前に相談して』という警告が出る。

 だが皆が憶測を流しあい、感情を増幅する流れは止まらない。辰巳も自殺をほのめかすファンを見かけたし、実際に後追いをした者も数人いたようだ。


 颯大の葬儀は一般には公開されず、お別れ会も開かれなかった。

 そのかわり、一ヶ月前から始まっていた颯大のコラボショップが、店舗の一部を改装し、メモリアルブースと献花台にしたらしい。SNSのフォロワーも、花を供えに行っていた。


 そろそろ温んできたビールで、辰己は口の中の塩味を洗い流す。


「前にさ、颯大のぬいぐるみを依頼してくれたフォロワーがいたんだ」

「ああ。颯大推しの特オタの人」


「その人、献花台にぬいを供えてきていいかって聞いてきたんだよね」

「オッケーしたんだ?」

「うん。全然問題ない、って伝えた」


 献花台に供えたぬいぐるみの写真を、フォロワーは送ってくれた。ファンから手向けられた花の中で、颯大のぬいぐるみはどこかほっとしたような表情をして見えた。


 辰己がその写真を見せると、夕夏は困ったように笑った。


「ちょっともったいない気もするけどね」

「うーん。まあ、作ったのは俺だけど、持ち主はその人だし、ぬいもその人の推しだしな」


 友人たちの推しを模したぬいぐるみに、辰巳はあまり執着していなかった。もちろん自分の作品としての愛着はある。型紙づくりも、目の刺繍もこだわってやった。


 だが推しのぬいぐるみは、誰かを愛している人に頼まれた、愛するものの写し身だ。

 制作者の愛着よりも、所有者の心のままにある方がいいだろう。


「家で大切にすることも考えたけど、見るだけで辛いから、って言われたらさ……」


「ああー。わかる。私もそういう気持ちになるわ。好きだからさ、ももなのこと」


 わかる、わかるわーとつぶやきながら、夕夏はゆらゆら体を揺らす。

 そのまま居酒屋の壁に頭を預け、横目で辰己を見た。


「辰己だったらどうする? もしも……」


 もしも、縁治が死んだら。

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