第2話 「いや、見てたでしょ」
「いや、見てたでしょ」
舞台が終わった後、辰己は同じ舞台を見ていた彼女と落ち合い、近くの飲み屋に入った。
ももなのファンである夕夏とは、久々に現場――推しの出る舞台が一緒になった。お互いに、同担以外に気兼ねなく推しの話をしたいこともあり、予定が合えば飲みに来ていた。
半個室の席で、二人でひとしきり作品の感想を語った後、辰己が『俺、気が狂ったかも』と切り出した。
夕夏は辰巳の不安を聞き取った後、先ほどの言葉で、あっさりとなぎ払ったのだった。
「上手のサブセンに座ってたでしょ? そこガン見だったよ」
「確かにそこに座ってたけど……そう言えば俺が喜ぶと思って言ってる?」
「んやぁ。
縁治の目線の先見て、ご新規JKが『あの人、俳優さんかなあ?』って沸いてたし」
「JK言うなおっさんか」
「可愛い女の子が好きなだけでーす」
ピースしながら生中をあおる。夕夏は凛々しく引かれた眉に似合わない、にたにたとした笑いを浮かべた。
ツマミの三種盛りを持ってきた店員に、からになったジョッキを渡し、追加注文する。今日もよく飲みそうだなと思いながら、辰己は鞄からぬいぐるみを取り出した。
大きな明るい色の瞳に、赤みがかった黒髪の十五センチ程度のぬいぐるみは、辰己が縁治をイメージして作ったものだ。
夕夏はめざとくぬいぐるみに気づく。
「新作?」
「そー。衣装作った」
料理の隣に今日のチケットと、舞台『カンテラ』の衣装を着たぬいぐるみを並べ、辰己はスマートフォンを構える。夕夏がピースサインをかぶせてきたが、気にせず撮影した。
夕夏のネイルに乗せられた桃色のストーンがキラリと光る。
「そっちのネイルも、ももなのキャラモチーフだな」
「わかる? まあバリバリのキャラ絵じゃないけど」
「よくまあそんな細かいことを」
「ぬいの刺繍も細かくない?」
チケットとぬいぐるみとネイル。お互いの推しの概念が映りこんだ写真は、中央はただの居酒屋のツマミだというのに、特別感があった。
撮った写真を夕夏に確認してもらい、SNSにアップする。
辰巳のSNSアカウントは、縁治のファンアカウント兼、ぬいぐるみの写真置き場だ。ほとんど日常のことは書かず、ぬいぐるみの制作過程や観劇の記録だけを残していた。
辰己はぬいぐるみづくりが趣味だ。
主に縁治や、彼の演じたキャラクターのぬいぐるみを作っている。時々、友達が推している存在のぬいぐるみ制作も請け負っていた。自分の作ったぬいぐるみと一緒に写真を撮る、ぬい撮りもよく楽しんでいた。
ぬい撮りはいい。自分が映るよりも、格段に可愛い。それでいて『自分の写真だ』とわかるのだ。
そういえばと、辰己は夕夏に問いかける。
「前作ったももなぬいはどうした?」
「家でお留守番。汚したくないし」
以前、辰己は夕夏の推しである、はじらいももなのぬいぐるみを作った。夕夏に渡した後、彼女のSNSアカウントの写真でしか見ていない。
その写真も、所謂祭壇と言われる、大量のグッズを美麗に飾り付けた場所の中央に置かれたものがほとんどなので、確かに大切にしているのだろう。
「また作るのに」
「自分の技術安売りしないでよ」
夕夏は苦笑する。
「時間も労力もお金もかかるでしょ」
「いや、誰にでもやるわけじゃないし」
実際、夕夏はももなぬいを渡した後、焼肉を奢ってくれた。材料費もちゃんと貰ったのに申し訳ないと断ったが、こうでもしないとももなに悪い気がすると言われて押し切られたのだ。
論理性はともかく、推しの名前を出されると辰己は弱ってしまう。自分もそうだからだ。お題目という程でもないが、推しの為と聞くとつい身体が動いてしまう。
やれやれとばかりに、夕夏は首を振る。店員が持ってきたレモン酎ハイをあおった。
「売り物にしてもいいレベルだよ、辰巳のは」
「いや、趣味だからさ……」
辰巳は言い濁し、縁治のぬいぐるみを鞄にしまう。本当に、ただの趣味なのだ。生業に出来るほど上等なものではない。そう自分に言い聞かせる。自分はそんなにすごくない。
奇妙に視線が泳いでしまった。
ツマミをひとくち食べ、辰巳は話を逸らす。
「今日、結構関係者席埋まってたな」
「ももなの後輩ちゃんとか来てたみたい。若手俳優もいた?」
「いたいた。縁治の事務所の後輩。今度縁治と同じシリーズ出るって」
「そっかー……」
酎ハイのジョッキを置き、夕夏は目を伏せる。
「
辰巳は無言のまま、別のツマミを口に入れた。
古谷颯大は『響心戦隊ズッキュンジャー』でブレイクした俳優だ。
その後、ドラマの主役を次々射止め、テレビCMにも多く出演していた。縁治の同期の中では一番の売れっ子だったし、誰もが名前と顔を知っているレベルの俳優だった。
だが死んだ。
自殺だった。
二週間前の四月二五日、明け方に、屋外で首をつった。
『みなさん、お世話になりました。ご迷惑おかけします 古谷颯大』
そんな短い遺書を置いて、彼は去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます