第4話 自分の推しが死んだら?

 颯大の死を知ってから、何度も考えたというのに、夕夏の言葉に新鮮なショックを受けた。


 もしも推しが死んだら。

 いや、死ぬだけじゃない。舞台にあがらなくなったら、芸能界から消えたら、推しとして推すことのできない存在になったら――自分はどうなるだろうか。


 答えない辰己に変わって、夕夏が言葉を続ける。


「私はわかんないんだよね。仕事もあるし、親も心配だし……ぬいぐるみも、多分祭壇に飾っておくと思う。辛かったら、その時だけカーテンつけるかな」


「俺も……。ぬいぐるみはそのままかな。でも……」


 夕夏は安堵したように目を上げる。だが続く言葉に、瞳を曇らせた。


「自殺はするかもしれない」

「辰己……」


「なんかさ、俺、縁治以外なんもないんだよ。貯金もないし、仕事もそんな……チケット代稼げればいいやって感じで」


 辰己は飲食店で調理を担当している。シフト制の正社員で、平日の休みを都合しやすいところが一番気に入っていた。

 舞台はどうしても土日が混みやすく、平日は空いている。推しを見やすい良席は、平日の方がとりやすかった。


 勤続年数も四年を越え、去年調理師免許もとった。社員同士の仲はまずまずで、過ごしやすい職場だとは思っているが、それ以上の感情はない。


 夕夏は小さくため息をつく。

「あんたらしいよ」


「はは。ぬいぐるみはさ、作った手間があるから、多分自分じゃ手放せないんだけど、なんか俺自身のことだったら別にいいかなーって」


「あんた作るのに、もっとコストかかってると思うけど」

 厳しい口調で言われ、辰己は苦笑する。


「死にたいってより、生きていられないって感じなんだよ」


 推しに依存している自覚はある。

 縁治は辰己の心臓だ。ただ停滞して生き続ける身体に、血を循環させ、酸素を送り込んでくれる。たくさんの感情を生み出してくれる。推しの姿に鼓動が高鳴るときだけ、自分はここにいるのだと感じられた。

 脳が活性化し、視界が開け、世界が美しかったことを思い出す。


 そんな推しがいなくなったら?

 身体は停滞すらやめて、生きたまま壊死していくだろう。想像するだけで、指先が冷えていく。


 手よりもあたたかいビールグラスに触れる。メニューの表示されたタブレット端末を操作し、ホットのウーロン茶を注文した。


「夕夏はなにかいる?」

「あー。肉……」

「ローストポーク美味かったって言ってたな」


 この居酒屋は、以前の舞台で縁治がキャストたちと来たらしい。ファン向けのトークイベントで、縁治がそう話していた。それ以来、近くの劇場で観劇したときには、この居酒屋を使っている。

 推しが来たらいいな、というスケベ心はあるが、実際に来ても困るだけだろう。もしかしたら、という、わくわく感を楽しんでいる部分も大きい。何より、推しが好きなものを食べられるのが嬉しかった。


 ローストポークを注文し、端末をテーブル端に寄せる。

 スマホを取り出して見ると、居酒屋に来てから一時間ほど経っていた。


「ここも縁治がオススメしてたから来たし。自分がないんだよなーってのは常々感じてるよ」


 夕夏は気まずそうに酎ハイを口にした。つっこんでくれるかと思っていた辰己は、拍子抜けする。

 空回りしてしまったのが恐ろしく、わざとらしく笑った。


「オタク、推しにアイデンティティ託しがちなんだよ」

「それ言われると、私もだわーってなるわー」


「そもそもオタクの現場だと、本名言わないし、仕事言わないしな。推しの名前と、かろうじてSNSの名前くらい」

「そうそうそう。別にいらないんだよね、私自身なんてさ」


 オタクあるあるネタを振り、ゆるく共感しあうのも、きっとアイデンティティ不在の会話なのだろう。そんなことを感じながら、辰己は夕夏と笑いあう。


 ホットウーロン茶とローストポークを手に、店員が半個室の扉を開く。


「お連れ様が来ました」

 連れ? 誰だ?


 辰己は奇妙に思いつつ、店員をむげに出来ず、明るく笑ってありがとうと告げる。こういうときに誰だと問われても、店員にだってわからないのは、同じ飲食店に勤める辰己もよくわかっていた。


 当然のように半個室に入ってきたその『連れ』は、そのまま辰己の隣に腰を下ろした。

 辰己は軽く腰をあげ、『連れ』を避けて店員から皿を受け取る。


 向かいに座る夕夏が、目を丸くしていた。口もあんぐりと開いている。目玉がこぼれ落ちそうな程とは言うが、舌や歯はあまり言わないなと思いつつ、辰己はようやく、隣に座る『連れ』を見た。


 親の顔より、むしろ自分の顔よりよく見た顔があった。


 大きく整った明るい色の瞳が、辰己を見つめている。赤みがかった黒髪は軽く撫でつけただけなのか、舞台上にいたときの名残を残していた。


「えっ……縁治……」

「よ。辰己」


 軽く手をあげて挨拶をする男は、間違いなく、先ほどまで見ていた推しだった。

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