第16話 イーロンマスクの存在しない世界線

 放課後。


 時継は人目を忍んで近所にある大きな市民公園にやって来ていた。


 この公園の南側はひと気のない高台になっていて、近隣の学生の間ではよく告白の場として利用されている。


「……まさかこの俺がラブレターを貰う日が来るとはな」


 指定された場所に着きポツリと呟く。


 帰りに下駄箱を開けたら中に女子達が授業中に回し合っているようなノートを折って作った手紙が入っていた。


 中にはカラフルなミルキーペンの丸文字で。


『大事なお話があります。放課後、〇〇公園にある伝説の木の下に来てください。親愛なる†unknown†様のファンより』


 と書いてあった。


 高台エリアは遊歩道を外れると林のようになっている。


 その中に一本、異様に太い桜の木があって、学生の間では伝説の木と呼ばれている。


 学校によって伝説はまちまちで、この木の下で告白に成功したカップルは永遠に別れる事がないとか、根元に大量の死体が埋まっているとか、毎晩0時にこの木に向かって殺して欲しい相手の名前を唱えて百日続けると嫌いな相手を呪殺出来るとか、単に日本一樹齢の長い桜の木だとか、ここで街の二大不良グループが伝説的抗争を行ったとか、色々言われている。


 真相は闇の中である。


 時継のお気に入りは、閏年の2月29日から3月1日に切り替わる瞬間にこの木に体当たりすると壁抜けバグで異世界に行けるというものである。


 ちなみに中学生の頃、本気で試して腕を骨折した奴がいた。


 本人はタイミングが悪かっただけだと諦めていない様子だったが。


 ともかく、呼び出されたのでやってきた。


 九頭井時継15歳、当然童貞。


 彼女いない歴=年齢。


 まだまだ焦る時期ではないが、そうは言っても思春期真っ盛りの男の子である。


 そういうのに全く興味がないと言ったら嘘になる。


 そんなこんなで暫く携帯を片手に時間を潰していると。


「マヌケ野郎が。本当にノコノコきやがった」


 学生服を着た反社みたいな連中がぞろぞろとやってきた。


 時継でも噂くらいは知っている、絶対に関わってはいけない系の上級生軍団だ。


 中には一人、見知った顔も混じっている。


 クラスメイトの風間大吾である。


 大吾は青い顔をしてスマホをこちらに向けている。


 どうやら動画を撮っているらしい。


「……なるほど。あのラブレターは偽物だったってわけか。ま、そんな事だろうとは思ってたがな」


 時継が肩をすくめる。


 反社予備軍みたいな連中に囲まれても、特に怯えた様子もない。


「で? 俺の人気に嫉妬して大勢で潰しに来たのか?」

「てめぇが俺の女寝取ったから落とし前付けに来たんだよ!」


 リーダー格の髭面が叫ぶ。


 そんな事を言われても、もちろん心当たりなんてあるわけがない。


「寝取ったって……俺が? なにかの間違いだろ……」

「とぼけんな! ここに証拠が残ってるんだよ!」


 髭が掲げたスマホには、身に覚えのあるサインの画像が映っている。


「……もしかして、ミカちゃんの彼氏?」

「人の女を馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇええええ!?」


 ドゴン! と髭が近くの木を蹴る。


 毛虫でも降って来たのか、取り巻きがギャーと悲鳴を上げた。


「一年坊主の分際で俺の女寝取りやがって! てめぇ、俺に何の恨みがある!」

「待て待て待て! お前、寝取りの意味分かってんのか?」

「知らねぇよ! 浮気みたいなもんだろ!」

「このバカは……」


 頭を抱えると、時継は寝取りの意味を解説した。


「な、が、てめぇ!? よくもそんな恥ずかしい事を言えるな!?」


 真っ赤になって髭が狼狽える。


「……いや、えぇ……。お前、仮にも不良の先輩だろ? エッチぐらいで赤くなるか?」

「俺とミカはプランクトンの関係なんだよ!?」


 気まずい沈黙が流れる。


「鮫島さん、それを言うならプラスチックっす」

「ツープラトンだろ」

「プルトニウムじゃね?」

「プラトニックな……」


 時継が訂正する。


 こんな連中が上位カーストでのさばっているなんて世も末である。


「うるせぇ! とにかくてめぇは潰す! そして俺はミカの愛を取り戻すんだ!」

「ユアショックってか? 勘違いついでに教えてやるが、ミカちゃんのそれは恋愛感情とかじゃなくてただの推し活だから。そんな事しても推しに迷惑かけんなって怒られるだけだぞ」

「うるせぇ! わかわかんねぇ事ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ! なんだよ推し活って! パパ活の親戚か!? だったら余計にダメじゃねぇか!?」

「「「そうだそうだ!」」」

「ダメだこいつら。まるで話にならねぇ……」


 ネットでIQが20違うと会話にならないという話を見た事があるが、まさにこの状況だろう。


「大体潰すってどうするつもりだよ。文字通りの意味なら犯罪だぞ。学校は退学、怪我したら慰謝料、最悪少年院で人生ストライクアウトだ」

「はっ! てめぇに心配されなくても、そこんところはちゃんと考えてある。逮捕されない程度にボコって裸に剥いて土下座で詫び入れさせる。そいつをティクトックに上げりゃお前は破滅だ。てめぇは人気の配信者なんだろ? あっと言う間にシェアされまくるぜ」

「まぁそうだろうけど……。それだとお前らも破滅だと思うんだが……」


 寿司ペロ少年しかり、バカッターバイトテロしかりである。


「捨て垢で投稿すりゃバレるわけねぇ」

「そんな事ないだろ……。てか、普通に俺が通報するし」

「証拠がねぇ!」

「調べりゃ幾らでも出てくると思うんだけどなぁ……」

「命乞いしても無駄だ! てめぇはここで終わるんだよ!」


 確かに話しても無駄らしい。


 色んな意味でリテラシーが終わっている。


 そうでなければこんな馬鹿げた作戦を思いついたりはしないだろう。


「まぁいいわ。そろそろ帰って配信の準備してぇし。大吾、今までのやり取りちゃんと撮れてるか?」

「勿論っス! †unknown†様!」


 さり気なく不良グループから離れていた大吾がグッと親指を立てる。


 実はラブレターを受け取った後、横から飛び出して来た大吾に「本当は俺†unknown†様のファンでかくかくしかじか助けてください!」と土下座されていた。


 いやなんでこんな奴助けにゃいかんのだと思いつつ、このままではこちらも面倒なので協力してバカ共をハメる事にした。


 と言ってもやる事は簡単で、騙された振りをして鮫島に犯行内容をゲロさせて、それを大吾に録画させるだけである。


 あとは学校なり警察なりに見せればどうにかしてくれるだろう。


「てめぇ大吾! どういう事だ!」

「ひぃっ!? ど、どうもこうもねぇっすよ! 俺は元々不良じゃないし、あんたらのご機嫌伺って不良ぶるのももうたくさんなんす! なにより†unknown†様は俺の推しの仇を討ってくれた恩人だ! 不義理なんか出来るわけねーんですよ!」

「またわけわかんねぇ事をごちゃごちゃと! 俺に逆らって無事でいられると思ってんのか!?」

「お、おもわないっすけど、そこは†unknown†様がなんとかしてくれるっす!」

「仕方なくな……」


 アホらしくて頭を掻く。


「お前らは俺を笑い者にするつもりで大吾に動画撮らせてたみたいだが、こっちからすりゃただの証拠動画だ。先生でも警察でもお前らの親でもなんでもいいが、こいつを公開されたくなかったら今後一切俺らに手ぇ出すな」

「はっ! そんなもん、スマホぶんどっちまえば関係ねぇだろ!」

「と言うと思ってこのやり取りはツイッターのスペースで配信中だ。現在同接五〇〇〇人」

「あぁ?」

「いやだから、ツイッターのスペースで……」

「そんな意味不明のハッタリに引っかかるわけねぇだろ! お前ら、やっちまうぞ!」

「おいおい、マジかよ!?」


 不良軍団が走り出し、慌てて時継は逃げ出した。


「すんません! こいつら、マジでバカなんす!」

「バカにも程があるだろ!? なに時代のヒューマンだよ!?」


 今時のヤンキー漫画だってもう少しマシだろう。


 これでは完全に「オレ、オマエ、食う」の世界観である。


「申し訳ないっす! ってかこれ、ヤバくないっすか!?」

「やべぇから死ぬ気で走れ! こっちは証拠動画撮ってる上に配信までしてるんだ! この場を逃げきりゃ後はどうにでもなる!」

「そうなんすけど……。†unknown†様の体力が心配って言うか……」


 自慢じゃないが時継は帰宅部のオタクだ。


 普段だって運動なんか全然しない。


 だから当然体力もない。


 既に息はゼーゼーだ。


 正直に言えば、逃げ切れる気なんかまったくしない。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……そう思うなら黙って走れ!」


 チラリと振り返る。


 鮫島達との距離は縮まる一方だ。


「……†unknown†様。俺、一生に一度でいいから言ってみたかった台詞があるんすよ」


 すぐに時継はピンときた。


「ダメだ。言うな」

「†unknown†様! ここは俺に任せて先に行ってくれ!」


 大吾が足を止め、通せんぼをするように両手を広げた。


「あ~あ~。言っちまいやがった……」


 その隣で、ぜぇはぁしながら時継が呟く。


「†unknown†様!? なに止まってんすか!? これじゃあ意味ないでしょ!?」

「あのなぁ大吾! こっちは全部配信してんだよ! クラスメイトのファン見捨てて一人で逃げたら炎上すんだろ!」

「あ、確かに……。って、言ってる場合っすか!?」

「九頭井いいいいいい! 死ねぇええええええええ!」


 全力ダッシュの鮫島が拳を振りかぶる。


 思わず目を閉じる。


 瞼の裏に浮かんだのは未来の顏だった。


(わりぃ、委員長。当分配信出れねぇかも)


 当分で済めばいいが。


 永遠のような一瞬の後。


 凄まじい打撃音と共に、悲痛な叫びが寂れた公園に響き渡った。

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