第21話 その対処法は知っている
死のうとしていたと打ち明ける
「なんで羽菜ちゃんがそんなことを……」
鼓動が激しく脈打つのを感じながら理由を尋ねる。羽菜は虚ろな瞳で、途切れ途切れ言葉を紡いだ。
「特別、嫌なことがあったわけじゃ、ないんです。……ただ、私なんて、居ても居なくてもどっちでもいい存在なんだって、気付いたんです。そしたら、何のために頑張っているのか、分からなくなって……」
それから綾斗は、ここ数日の羽菜の言動を思い返す。羽菜を引き留められる理由を探すように、羽菜と過ごした日々を思い返した。
ハグともになった日のこと、自習室で勉強をした日のこと、遊園地に行った日のこと、羽菜の家にお邪魔した日のこと……。
全てを思い返した時、ようやく気づいた。その出来事の中には、ひとつの共通点がある。
羽菜は疲れきった綾斗を癒すため、ハグをしてくれた。
小テストの点数が悪くて落ち込んでいると、一緒に勉強しようと提案してくれた。
遊園地では綾斗から笑顔を引き出そうと、あれこれプランを練ってくれた。
羽菜の家では勉強を教えてくれただけでなく、夕飯までご馳走してくれた。
それらはすべて、綾斗のためを思ってやってくれたことだ。それらの事象と先ほどの羽菜の言葉を照らし合わせると、ひとつの答えが浮かび上がる。
(羽菜ちゃんは、俺から必要とされたかったのかもしれない)
居ても居なくてもどっちでもいい存在じゃなくて、ここに居てほしいと言ってもらいたかったのかもしれない。
目の前で固まる綾斗を見つめながら、羽菜は言葉を続ける。
「私、疲れちゃったんだと思います、生きることに。だからもう一度ここに来て、確かめたかったんです。まだ、頑張れるのか……」
疲れてしまった。金網の前で佇む羽菜はそう言っていた。
その対処法には心当たりがある。羽菜から教えてもらったからだ。
綾斗はゆっくりと両手を広げる。落ち着け、落ち着け、と何度も心の中で唱えながら。
「羽菜ちゃん、おいで」
「え……?」
突然の言葉に、羽菜は戸惑いの声を漏らす。羽菜を安心させるように、綾斗は穏やかに微笑んだ。
「ハグ、しよう」
羽菜は目を見開いて綾斗を見つめている。突然の提案に驚いているのだろう。
この対処法が通用するのかは、正直分からない。羽菜の心の闇がもっと深ければ、ハグなんかでは対処できないだろう。
上手くいかなかった時の策も巡らせながら、綾斗は両手を広げて羽菜を待った。
緊迫状態が続く。虚ろな目をした羽菜を見ていると、これじゃあ駄目なのかと不安になってくる。強引にでも金網から引き離そうかと考えていた時、羽菜の足が動いた。
羽菜はフラフラとこちらに歩み寄ってくる。あの日の綾斗と同じように。
目の前にやってきた羽菜は綾斗を見上げる。その瞬間、綾斗は羽菜の背中に腕を回した。
ぎゅっと潰さないように優しく抱きしめる。自分から羽菜にハグをするのは初めてだった。
腕の中にいる羽菜は、小さくて華奢でいまにも壊れてしまいそうなほどに脆い。だけど、柔らかくて、温かかった。
あの日、屋上で羽菜と出会わなければ、このぬくもりが失われていたかもしれない。そう考えるとゾッとした。あの日、興味本位で屋上に立ち寄って本当に良かった。
今日は不思議と下心は浮かんでこない。愛おしさだけが全身を支配した。
羽菜を抱きしめながら、綾斗は伝える。
「羽菜ちゃんは、俺にとって必要な存在だよ。居なくなったら困る。疲れた時はどうすればいいんだよ。羽菜ちゃんが居なくなったら、俺はまた死にたくなるかもしれない」
情けない言葉だということは分かっている。だけど羽菜が求めているのは、きっとこういう言葉だ。
腕の中にいる羽菜が、すんと洟を啜るのを感じた。もしかしたら泣いているのかもしれない。小さく震える背中を、綾斗はそっと撫でた。
ゆっくりと身体を離してから、もう一度笑って見せる。
「だからさ、傍に居てよ」
羽菜の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。ポケットからハンカチを取り出して涙を拭く。何度か浅い呼吸を繰り返した後、羽菜は呆れたように笑った。
「しょうがないですね、綾斗くんは」
羽菜の瞳には光が戻っていた。その様子を見て、綾斗は安堵した。
*・*・*
それから二人は、屋上の床に並んで座る。夕焼け空を眺めながら、羽菜はぽつりと呟いた。
「綾斗くんからハグしてくれたのは初めてですね」
「うん。いつもは羽菜ちゃんにしてもらってばっかりだったからね。嫌じゃなかった?」
「嫌なんてとんでもないです。幸せな気分になりました」
「そっか。なら良かった」
それから羽菜はポケットに手を入れ、屋上の鍵を取り出す。小さな手のひらに置かれた鍵をじーっと見つめながら、羽菜は決意したように呟いた。
「屋上の鍵、返してきます」
鍵を返す。それはきっと、もう飛び降りるような真似はしないことを意味しているのだろう。羽菜の気持ちが変わったことを知り、心の底からホッとした。
「うん、それがいいよ」
綾斗は穏やかに微笑みながら頷いた。
それから綾斗は、今後の付き合い方について伝えた。
「これからはさ、無理に尽くそうとしなくてもいいから」
「……というのは?」
「俺のために一人でデートプランを考えたり、恥ずかしいのを我慢してメイド服を着たり、そういうのはしなくていいから。そんなことしてたら、余計に疲れるでしょ?」
「確かに、デートプランを考えるのは大変でしたし、メイド服も恥ずかしかったです」
「ほら。そういうのは今後しなくていいから。もちろん、羽菜ちゃんが俺のためを思ってしてくれたのは嬉しかったけど」
尽くさなくていいと伝えたが、羽菜はいまいち納得できていないようだ。不服そうな顔をしながら反論する。
「でもそれじゃあ、綾斗くんのお役には立てません」
きっと羽菜の中では、綾斗に尽くすことで自分の存在価値を見出しているのだろう。その考えはあらためてもらわないと困る。
綾斗はポンと羽菜の頭を撫でた。
「大丈夫。傍に居てくれるだけで、十分お役に立っているから」
その言葉は本当だった。羽菜が傍に居るだけで、日々の疲れが吹っ飛んで最高の癒しになっているからだ。
そこまで伝えると、羽菜はこくりと首を傾げる。
「じゃあ、ハグも必要ないですか?」
「え……?」
どうやら羽菜の中では、ハグも尽くすのカテゴリーに入っていたらしい。
綾斗は考える。そしてスッと視線を逸らしながら伝えた。
「ハグは、引き続きお願いします……」
綾斗はあらためて感じた。
(やっぱり俺は菩薩なんかじゃない。煩悩まみれの男子高校生だ)
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