第22話 ハグとものいる平穏な日々
屋上での騒動の後、
当初、羽菜は鍵を盗んだことを正直に申し出ると言っていたが、綾斗はその必要はないと伝えた。
鍵を盗んだのが羽菜だということは、恐らく綾斗以外は気付かれていないだろうから。普段の真面目な羽菜を知っている人間であれば、犯人だとはまず疑わない。
それなら馬鹿正直に名乗り出る必要なんてない。名乗り出たところで、先生からこっ酷く叱られるのがオチだ。
それに飛び降り未遂の事実まで知られれば、それこそ大事になる。親の呼び出しは不可避だろうし、場合によってはカウンセリングなども受けさせられる羽目になる。
もちろんそうしたサポートが必要なこともあるのだろうけど、羽菜本人は事を大きくしたくないというのが一番の望みだった。
事が大きくなれば、羽菜は余計に疲れてしまう。あまり褒められた方法ではないが、何事もなかったかのように鍵をしれっと返却するのがいいと判断した。
羽菜と綾斗は自習室の鍵を返すついでに、屋上の鍵を返した。もともと置かれていた机にこっそりと。内心ドキドキしたが、誰かに怪しまれることはなかった。
職員室を出てから、綾斗はにやりと笑う。
「これで俺も共犯だ」
綾斗の言葉で、羽菜は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい。綾斗くんまで巻き込んでしまって」
「いいよ。屋上に忍び込んだのは俺も一緒だし」
そう言って羽菜を納得させた。
十中八九、自分達が犯人であることはバレないだろう。綾斗だって羽菜に負けないくらい品行方正で通っているからだ。
だけど万が一バレてしまったら、こう言ってやろうと密かに企んでいた。
――白鳥羽菜と屋上でヤりたかったから盗んだ、と。
みんなの驚いた顔を想像すると笑えてきた。
(まあ、本当にバレた時は、もっと上手い立ち回りをするんだろうけど……)
周囲を驚かせてやりたいと画策する傍らで、冷静に事を対処しようとしている自分もいた。
波風立てずに過ごすのがポリシーだったくせに、自ら厄介ごとに巻き込まれに行ったのは自分でも意外だった。
厄介ごとにあえて巻き込まれに行ったのは、相手が羽菜だったからだろう。
この数日間で、綾斗はすっかり羽菜に心を持っていかれた。羽菜が可愛くて仕方がないのだ。
心の中で徐々に存在感を増していく恋心は、もはや否定することはできない。だけどこの感情を羽菜に打ち明けるのは、もう少し先になりそうだ。しばらくは友達という距離感で羽菜を見守っていきたいと思う。
*・*・*
中間試験が終わり、続々とテストが返却される。その頃になれば、屋上の鍵が紛失した事件なんてすっかり忘れ去られていた。
先生方も鍵の管理を怠っていた後ろめたさからか、これ以上事を大きくすることはなかった。とりあえずは、一番の心配事は排除できた。
とはいえ、生きている限り悩みは尽きることはなく、綾斗は別の悩みに直面していた。先ほど返却されたテストの点数を見て、綾斗は小さく溜息をつく。
(羽菜ちゃんに教えてもらった数学と化学は良かったけど、英語は酷いな……)
自分の勉強不足を呪いながら、見るも無残なテストを鞄にしまった。
休み時間になると、羽菜が机にやって来る。
「テスト、どうでした?」
綾斗が苦笑いを浮かべると、羽菜は結果を察したように「あー……」と目を細めた。
「その様子だと、あまり良くなかったようですね」
「うん。割と酷かった」
「何点だったんですか?」
「62点」
「平均点が65点であることを考慮すれば、そこまで嘆くような点数ではないと思いますが……。隣の席の
「だって千颯、勉強してないでしょ。テスト前に学校サボって彼女とデートしてたみたいだし」
「それなら、仕方がないですね」
「ちなみに羽菜ちゃんは何点だったの?」
「…………98点です」
それを聞いて余計に落ち込んだ。やっぱり羽菜には敵わない。
なんだかドッと疲れた。綾斗はわざとらしく机に突っ伏しながら、小さな声でお願いをした。
「羽菜ちゃん、ハグして」
その言葉を聞いた瞬間、羽菜の顔が真っ赤になる。そして声を潜めながら綾斗を咎めた。
「教室でそういうこと言わないでください! 誰かに聞かれたらどうするんですか?」
「大丈夫。誰もいないことを確認してから言ったから」
「そ、そうですか……」
羽菜は顔を赤くしながら周囲を見渡す。そして本当に周りに人がいないのを確認すると、綾斗の机の前でしゃがみ込んだ。そして声を潜めながら返事をする。
「分かりました。だけど、お昼休みまで我慢してくださいね」
その言葉だけで、午前中の授業を頑張れる気がした。
「うん、我慢するよ」
この先も「ハグとも」だけは手放せそうにない。
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます。第一部はこれにて完結となります!
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