第20話 誰からも必要とされない(羽菜side)

 羽菜はなは、昔から手のかからない子だと言われていた。


 大人の言いつけを守り、一人でも何でもこなせることから、みんなのお手本として扱われた。


 両親も手のかからない羽菜のことを自慢に思っていた。だけど同時に、この子は一人でも大丈夫と判断された。


 羽菜の両親は教師をしている。朝早くに家を出て、夜遅くに帰宅するのが日常だった。幼い頃は寂しいと思っていたけど、ある程度歳を重ねると仕方のないことだと諦めるようになった。


 学校には自分より手のかかる子がたくさんいる。だからそっちに時間を割いてしまうのは仕方ないことだと自分を納得させた。


 羽菜は少しでも自分を見てほしくて、勉強を頑張った。頑張れば両親から褒めてもらえると思ったからだ。


 結果、両親からはとても褒められた。「羽菜は本当に優秀ね」と褒められた時は、いままでの努力が認められたような気がした。


 しかし勉強ができるようになったことで、さらに手のかからない子というレッテルが貼られてしまった。やがて両親は勉強についても何も言わなくなった。


 両親は相変わらず忙しく過ごしている。しんと静まり返ったマンションで一人で過ごしていると、こんな風に考えてしまう。


(あの二人は、私よりも自分の生徒たちの方が大事なんだ)


 手のかからない羽菜は、いつの間にか両親に忘れられて、居ても居なくてもどっちでもいい存在に成り下がった気がした。


 家に居場所がなければ、学校で居場所を作ればいい。そう思って友達と仲良くすることにした。


 だけど真面目過ぎる性格が原因で、なかなか人と打ち解けられなかった。ある程度は仲良くしてもらえるけど、親友と呼べるまでの関係性は築けない。友達と居てもどこか距離を感じていた。


 そんな羽菜も、高校一年になった時に二人の女の子と仲良くなった。二人とも真面目な子で、羽菜とも波長が合った。


 だけどその二人には、同じアイドルグループが好きという共通点がある。その話題になると、羽菜は入り込めなかった。


 二人は悪意を持って羽菜を仲間外れにしているわけではない。そう分かっていながらも、孤独を感じていた。


 二人は親友で、羽菜はおこぼれで仲良くしてもらっている。そんな風に卑屈になってしまうこともあった。


 高校二年になって二人とクラスが離れると、それっきりだった。いままで仲良くしていたのが嘘だったように関わりがなくなった。彼女たちにとっても自分は居ても居なくてもどっちでもいい存在だったのかもしれない。


 新しいクラスでは、友達と呼べる存在を作れなかった。だから必然的に教室の隅で本を読んで過ごすようになった。


 騒がしい教室の中でぽつんと一人でいると、まるで自分が透明人間になったように思えてくる。自分は誰からも必要とされていない。そう考えると虚しくなった。


*・*・*


 羽菜は放課後に自習室で勉強するのが日課になっていた。家に一人で居たくないという理由もあったが、それ以外にも理由はある。


 高校二年生になってから勉強が一気に難しくなった。これまでの成績を維持するためには、いままで以上に勉強する必要があった。


 この日もいつも通り、下校時間ギリギリまで自習室に籠り、勉強をしていた。そしてふと周りを見渡した時、自分が最後になっていることに気付いた。


 誰も居なくなった自習室に鍵をかけながら、羽菜は考えていた。


(私、何のために頑張っているんだろう……)


 職員室に自習室の鍵を返しに行った時、羽菜はある光景を目にする。屋上の修繕工事をしていた業者が先生に鍵を返却していた。


 先生は鍵を受け取ると、近くにあった机に鍵を置く。その後、すぐに別の生徒に呼ばれたことで、鍵を放置してその場から離れた。


 周囲を見渡してから羽菜は鍵に近付く。そして素早くポケットにしまった。


*・*・*


 家に帰ってから、どうしてあんな事をしてしまったのだろうと後悔した。鍵を持ち帰ったことがバレたら怒られるに決まっている。先生に怒られる姿を想像すると、胃が痛くなった。


 だけど同時にこうも考えてしまう。


(屋上の鍵を開けて飛び降りれば、楽になるのかもしれない)


 誰からも必要とされない世界で、一人きりで生きるのはとてつもなく辛かった。だからもう、すべてを投げ出して楽になりたいと思った。


(明日、屋上に行こう)


 飛び降りるかどうかはまだ決めていない。だけど屋上に行けば自分の気持ちが分かる気がした。


 翌日、羽菜は屋上の鍵を開けて金網に手をかけた。ここから飛び降りれば、きっと即死だろう。


(やっと終わるんだ)


 ここに来るまでは、本当に飛び降りるかどうか迷っていた。だけど屋上から地上の景色を見下ろした時、あらゆる痛みから解放されるように思えた。


 羽菜は金網によじ登ろうとする。……が、誰かが屋上に上がってくる音が聞こえた。羽菜は慌てて金網から離れ、物置の影に隠れた。


 屋上にやって来たのは、同じクラスの水野みずの綾斗あやと。いつも穏やか笑みを浮かべている彼は、クラスメイトから菩薩と呼ばれて好かれていた。


 そんな彼がフラフラと屋上にやって来て、自分と同じように金網に手をかける。その瞬間、言いようもない恐怖に襲われた。


 ろくに話したこともないクラスメイトだけど、彼が死んでしまうと考えると途端に怖くなった。そこから飛び降りたら、もう二度と会えない。彼の穏やかな笑顔も二度と見られなくなる。


 羽菜は恐怖に支配されながら、叫んだ。


『死んじゃ駄目です!』


 突然叫んだことで、彼は怯えたような表情をした。だけどすぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべる。


 その笑顔を見た瞬間、引き留められて良かったと心の底から感じた。安堵すると同時に涙が溢れ出してくる。


 羽菜は自分の感情を爆発させながら、何度も『死んじゃ駄目』と伝えた。

 それはまるで、自分自身にも言い聞かせているようだった。


 涙が収まってから彼に事情を尋ねると、いまにも消えてしまいそうな儚い表情で答えた。


『全部投げ出せば、楽になれると思ったんだよ……』


 その言葉を聞いた瞬間、彼も自分と同じだと思った。


 特別嫌なことがあったわけではない。小さなモヤモヤが積み重なって、疲れてしまったんだと。


 疲れきった彼を見ていると、ふとある本の存在を思い出した。図書室で借りてきた本だ。


 ハグをするとオキシトシンと呼ばれる幸せホルモンが出て、リラックスできるらしい。その方法でなら、疲れきった彼を救えるかもしれない。


 羽菜はゆっくりと両手を広げる。


『ハグ、しますか?』


 疲れきった彼の心を癒してあげたい。親切心から彼にそう提案した。

 だけどそれだけではない。もっと自分本位な理由もあった。


 ――彼に必要とされたかった。

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