第三話

 気づけば私は独りになっていた。


 私がアデルさんと仲良くなったせいで、彼女と女子生徒たちの交流は大きいものになっていたというのも一つの要因。そしてもう一つは、アデルさんが自作自演を始めたこと。

 しかも公の場では今まで通り仲がいいふりをして、私が彼女を避ければ避けるほど「ローレル様に嫌われてしまいました……」と周囲に泣き縋る。


 私は完全に悪役で、アデルさんは健気な被害者。

 友人たちが離れていき、最後には取り巻き令嬢さえも私の前に現れなくなるという最悪の状況。


 ラッセル殿下はさらに私によそよそしくなった。宰相令息から何の知らせもないものの、おそらく私の見えないところで二人して会っているのだろうということは容易く想像できた。


 そして学園の夏季休暇期間、開かれた夜会にて。

 婚約者からの迎えはなく、独りきりで入場して参加したところ、後からやって来たラッセル殿下に告げられたのがこの言葉だ。


「ローレル・フィブゼット公爵令嬢! 僕はお前との婚約を破棄する!」


 止める暇もなかった。

 その宣言がなされてしまった瞬間、私の失敗は確定となった。


(あんなに頑張ったのに、結局これ? ……馬鹿みたい)


 乾いた笑みが出る。

 甘っちょろかった私のせいなのだろうか。アデルさんが入学してきた時点でこっそりと殺し屋でも雇っていれば良かった? でも前世の記憶がある私にそんなことはできなかった。なら最初からこの世界で婚約破棄回避なんて不可能だったということか。


 結局は、元のストーリー通り。

 一つ違う点があったとすれば、かつて私とアデルが親しくしていた……少なくともそう振る舞っていたという事実のみで結果は同じ。


「アデル・ウォーラム嬢への仕打ちの数々、未来の王子妃になる者として到底容認できるものではない」


「何もしていない――なんて言っても、信じてもらえませんよね。えーっと確か、そう、真実の愛?を結んでいるからでしたっけ」


 真実の愛。それはラノベの中のラッセル王子が吐いていた言葉。そしてこれから目の前の彼も言い放つつもりだったらしく、糸目を不愉快げに見開いている。

 せっかくのイケメンなのに、アホさ具合は元のストーリーから変えられなかった。そう思うとたまらなく虚しい。


「知ったような口ぶりを……!」


「婚約破棄からの国外追放、ですよね?」


 図星だったのだろう。ラッセル殿下は「ぬっ」と唸る。

 そんな彼の代わりに口を開いたのはアデルさんだった。


「ローレル様。謝ってくださったらわたし、ローレル様のこと許してあげられると思うんです。ですから――」


 典型的なヒドインムーブで反吐が出そうだ。

 謝罪を求めようなんて、酷過ぎる。もし私が頭を下げたところでどうせ婚約破棄は撤回なんてされないのに。


 どうしたら良かったのだろうと思って、なんだか情けなくなって涙が出てきた。


「悪役令嬢の溺愛ルートが許されたっていいじゃない……っ。私は、何もしてない!!」


「それほどまでに頑なに認めたくないのなら、俺と決闘でもするか?」


 冷たい眼差しを向けるラッセル殿下。

 この国には決闘という制度があり、何か不服がある時に決闘を申し込みそれが相手方に受理され、決闘が行われた際、勝者の主張が受け入れられるという仕組みになっている。

 決闘を拒否するのはできるがそれは戦わずして負けを認めるようなもの。後ろ指を指されて笑われることになる。


 私には、無理だった。


 そして私には無理だとわかっているくせに、こちらに敗北感を味わせるためだけに先ほどの言葉を放ったラッセル殿下への悲しみが湧き上がってくる。彼はもう私への欠片の情もないのだ。


 こんなことならさっさと逃げておけば良かった。今から隣国に追放されたところで商才で成り上がれるわけもなく、野垂れ死ぬだけ。

 ローレルはまだ十七歳。二度目の人生も二十歳を超えられないままで死ぬのなんて嫌だ。


 それから子供みたいにわんわんと泣き喚いてしまい、その後のことはよく覚えていない。

 気づいたらパーティーはお開きになっていた。




 婚約が正式に解消されたのはそれから三日後のことだった。

 破棄ではなく解消と改められたのは、私との婚約中にラッセル殿下がアデルさんと親しくなっていたことなどを国王陛下が鑑みてくださった故。しかし私にも責があったとされ、慰謝料は払われなかった。


 私がアデルさんを虐げていたという証言は多数。確固たる証拠はないものの、そう簡単に覆せるものではなかったのだ。証人は男がほとんどで、その中に殿下の側近の一人であるあの眼鏡貴公子もいたらしい。

 アデルさんが彼をどうやって籠絡したのかはわからない。ただわかったのは、彼女がやはり元のストーリーと違わぬビッチで、その手腕は確かなのだということくらいだろうか。


 とはいえどうにか国外追放は免れたらしい。夏季休暇が終わり、私は学園に戻らざるを得なくなった。

 ……そこにはもう、何もないというのに。


 下級令嬢は逃げ出し、上級貴族の令嬢からは蔑む目で見られる。

 かつて私のファンだった者ほど見損なったとでも言いたげで、それがさらに胸を苦しめた。


 アデルさんは度々私の元へやって来ては、「謝ってくれたら許しますからね」と繰り返すばかり。

 そしてラッセル殿下と一緒の時は優越感たっぷりの笑みを私に向けてくるのだから本当に嫌だ。


『わたしは自力で恋を掴みに行ったのに、身分と容姿にあぐらをかいてたからこんなことになるんでしょ?』


 まるでそう言っているみたいで無性に腹が立ってしまう。決闘を申し込み、顔面に一発拳をぶち込んでやりたい気分になったけれど、非力な私では指の骨が折れるだけに違いない。


「力が……力さえあれば!!」


 誰もいない学園の裏庭で、悔しさに歯噛みし、叫んだ――その時だった。

 背後から声がしたのは。


「なら、貴女にオレが力を授けよう!」


「誰っ!?」


 聞いたことのない声。

 慌てて振り返れば、私のすぐ後ろに一人の男が立っていた。


 彼が着ている制服を見るに、この学園の生徒らしい。栗色の短髪に燃え盛るような赤い瞳の彼をどこかで見たような気がして、しかし思い当たらず首を捻る。


「突然声をかけてすまない、ローレル・フィブゼット公爵令嬢! オレはニック・メイブルという者だ!」


「…………あっ、もしかして」


 (あのガチムチ脳筋?)という言葉を寸手で呑み込んだ。


 ラッセル殿下の側近の眼鏡貴公子ではない方、筋肉自慢の騎士団長令息にして広大な領地を持つメイブル伯爵家の次期当主。

 今までろくに言葉を交わしたことのない彼の登場に私は驚きを隠せなかった。


「近頃貴女がお困りの様子だったので、オレで良ければ力になりたいと思っている! 貴女は殿下の婚約者なのだろう!?」


 大声でそう言いながらガチムチ脳筋が私にグイと迫ってくる。思わず後退りしてしまうほどの圧だった。


(この人、何を言っているんだろう。もしかして私への嫌味? それとも人目につかないこの場所で暴力でも振るうつもりかも。ラッセル殿下の命令、あるいはアデルさんが籠絡されて指示された可能性も……)


 あり得ない話ではない。何せあの眼鏡貴公子はアデルさんの思い通りになっていたのだし。

 私はガチムチ脳筋を警戒した。


「私に何をするつもりですか。不埒な真似をすれば許しませんよ」


「そのようなことはしない! オレの名にかけて誓おう!!」


 いちいち声がでかい。というか元のストーリーではこいつは登場キャラが一文しかない完全なるモブキャラだったはずなのだが、キャラが濃過ぎやしないだろうか。


(鍛え上げてバキバキに割れてること間違いなしの腹筋、服越しでもわかるモリモリの上腕二頭筋、でかい声、そのくせ顔はいい。……これはラッセル殿下と同レベルにイケメンなのでは?)


 貴族子女というのは美容に時間をかけるので美形が多いが、このガチムチ令息はまさに漢という風な顔立ちをしており、ひどく目を引いた。


(ダメダメ、ローレル元来の気質的にも二次元限定で面食いだった前世の私的にもイケメンには絆されやすくあるけど、それでまんまとラッセル殿下に裏切られたばかりでしょうが)


 実はラッセル殿下と数年を過ごすうち、年頃の乙女らしくほのかな恋心を寄せていたりはした。

 なのにあんな形で捨てられ、婚約破棄回避失敗したという事実を突きつけられて、私はかなりの人間不信に陥っている真っ最中なのである。


 でも、たとえ私を騙すためのものだとしても、彼が浮かべる朗らかな笑みはなんだか心地よくて。

 最近蔑みの視線ばかり向けられていたから、もう少しその温かさに触れていたかったのかも知れない。私は質問によって会話を繋ぐことを選択してしまう。


「先ほど力を授けるとか言ってましたよね? あれはどういう?」


 少なくとも私の知る限り、この世界に魔法はないはず。ならば特殊な能力者なのかと疑ったが、全然そんなことはなかった。


「強くなる方法を伝授しようということだ! ズバリ、貴女を我が手で鍛え直し、美しい筋肉と逞しい心の持ち主に育て上げることを約束しよう!!」


「……はぁ?」


(私を鍛え直す? このガチムチ脳筋モブ令息が???)


 あまりに信じられな過ぎて彼をまっすぐに見つめ返す。しかし向こうは少しも怯む様子がなく、ただただ笑顔を浮かべるばかりだ。まるで自分の言っていることが正しいと信じて疑っていないかのように。


「その筋肉というのをつければ、私の悩みごとが解決するとでも言うんですか?」


「それはわからん! だが、心当たりがあるからこそ貴女は力を欲したのだろう!?」


 ……悔しいがその通り。私は確かに、アデルさんに、そしてラッセル殿下に挑み、顔面へ一発喰らわせたいと思っていたところだ。

 でもそれはふと考えたことに過ぎず、あまりに邪道な解決法ではなかろうか。悪役令嬢たる者、華麗な復讐を見せるのが醍醐味だと思うのだが。


(でもきっとこのままじゃ泣き寝入りして、そのまま学園生活が終わってあとは社交界で笑われながら生きる地獄が待っているだけ)


 富はある。財力はある。だが人望は失ったし、元々地頭がいいわけでも冤罪の証明なんていうことができるわけでもない。


(それに比べたら、ガチムチ脳筋を信じて従ってみた方が絶対面白くなる)


 全てアデルさんの掌の上で踊らされているのかも知れない。

 それでも構わなかった。


 頬がわずかに吊り上がり、自然と口から言葉が出ていた。


「わかりました。あなたのお言葉を信じて差し上げます。ニック様、では早速その鍛えるとやらをしてくださいませんこと?」


「ああ、いいとも! オレのことは呼び捨ててくれて構わない。これからよろしく、ローレル嬢」


 ガチムチ脳筋――ニック・メイブルは白い歯を見せてニカッと笑った。

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