1-7

 ダリアは執事長と出会えたぐうぜんを喜びつつ、部屋に戻ってさっそく籠の中に入っていたパンにジャムやバターを塗ってほおった。


(うっめぇなあ、これ!)


 気づけばぺろりと完食していて、ダリアは他の食べ物にも手を付ける。初めて感じる満腹感に、ようやく心が満たされた。


「はあ~、生き返った! これでしばらくはがんれそうだな」


 とはいえこれは単なる一時しのぎに過ぎない。今後、また厨房に行ったところで執事長と会えるとは限らないからだ。何とか協力をあおげないかと考えてみたが、そもそも執事長と会ったのだって今夜が初めてなのだ。向こうからダリアに会いに来るはずもないだろう。

考えても仕方がないことはもう考えない。

 ダリアは満腹感に包まれたまま、ぐっすりと眠りにつくのだった。

 しかし、執事長と会ってから変わったことがあった。それは、まともな食事が出てくるようになったことである。

 主食のパンは量が増え、主菜の肉や魚に副菜のサラダ、スープといった、ひとつひとつが料理と呼ぶにふさわしいものだ。しかも継母の息がかかった侍女ではなく、新しい侍女が食事の用意をしてくれる。ここまでくれば、執事長が継母の目をかいくぐって手を回してくれたとしか理由は思いつかなかった。

 こうして一番ねんしていた食事の面が解決でき、順調に体も鍛えられて体力がついていき、ようやく香織だった頃の感覚を取り戻してきた。

 しかし、ダリアには新たな悩みがあった。それは部屋の中で動くには限界があり、次の段階に進められないこと。特に騎士になるのに必要なけんの練習が一切できず、このままでは入団試験に間に合わない。


(それに、まずは武器――剣を手に入れないと……)


 ようやく体力がついたのだ。せめて部屋の中でもできる素振りくらいは始めたい。

 どうにかして剣を手に入れられないかと考えていたある日、ダリアにとってせんざいいちぐうのチャンスがおとずれた。


「本当に嬉しいですわ、こうに行けるなんて!」


 部屋の窓の外から嬉しそうな声が聞こえ、ダリアはチラッと顔をのぞかせる。外では継母とノンアゼリアが楽しそうに話していた。


 まるでダリアがまどぎわに姿を現すのを待っていたかのように、ダリアと目が合ったノンアゼリアは、意地悪そうに口角を上げる。


「私、本当に楽しみですわお母様! 久しぶりにお父様と家族水いらずでお買い物ですもの。最後に皇都へ行ったのはいつだったかしら」


 わざとらしい大きな声にダリアは眉をひそめたが、それ以上に話の内容が気になって耳をすませる。


「そうね、私も楽しみだわ。今回はじゃものがいない三人で、、、皇都に行けるのだから」


 継母もダリアに一度視線を向け、ノンアゼリアと同じようなみを浮かべる。血の繫がった親子というだけあって、いやみたらしい顔がそっくりだ。

 皇都はアグネス侯爵領から馬車で一週間ほどのところに位置している。ダリアは幼い頃、今の家族四人で一度皇都を訪れたことがあった。皇子と貴族のじょたちとの顔合わせという名目でお茶会に呼ばれたのだ。

 すでに家族に虐げられていたダリアは、継母におどされていたのもあり、ただただ目立たないように時間をやり過ごしていた。かげうすすぎて誰からも存在をにんされず、ダリアにとっては何のかんがいもない記憶だ。


(あれ、そういえば……)


 ダリアは不意に思い出す。それはお茶会で、攻略対象者のひとりである第一皇子……ヘデラに話しかけられたことを。会場のすみの方で、ただじっと時間が過ぎるのを待っていた時のことだ。


『君は、ダリア・アグネスじょうだよね?』


 やわらかな日差しのようにおだやかな微笑みを浮かべ、この世界ではめずらしい黒色の髪を靡かせた、幼いながらもうるわしいとしょうされるヘデラに声をかけられたダリアは、最初声が出なかった。一瞬でその姿にりょうされてしまったからだ。

 ヘデラはうわさに聞く通り心優しい人物で、隅で縮こまっていたダリアにも気さくに話しかけてくれ、彼が去った後も視線を外すことができなかった。


(今思えば、攻略対象者だもんな。そりゃ幼いダリアも夢中になるって。それに皇子のあの笑顔! ……ん? そういやあの笑い方、誰かに似てなかったか?)


 ダリアは記憶を必死に辿ろうとするが、誰かに似ている、が今世のものなのかそれとも前世の記憶からくるものなのかよくわからない。ただ、あいさつわした後のヘデラがどこかこわく、ゾクッとした感情だけは覚えていた。


「ま、いいや」


 第一皇子はダリアを破滅に追いやる人物のひとりだ。今世では関わらないようにしよう、と余計なことは考えないようにした。

 それよりも今は、ノンアゼリアの話していた内容――家族がダリア抜きで皇都に行くという方が重要である。


(なるほど……だから今日、あの侍女がわざわざ部屋の窓を開けていったのか)


 ここ数日……正確には、ダリアが執事長と会った翌日から、侍女の虐めは大人しくなった。食事担当を替えられたのもあり、なんらかのおとがめがあったのだろう。

 しかし今日は久々に部屋を訪れるなり、「かんをしておくように奥様からおおせつかっております」と言い放ち、窓を開け放っていったのである。

 ノンアゼリアや継母は、ひとり留守番をさせられると気づいたダリアが悲しそうに顔を歪ませるところを想像しておかしそうに笑っている。一方でダリアは表情が見えないよう、俯き加減で窓をそっと閉め、バレないようにガッツポーズをした。


(っしゃあ! これであいつらがいない間は自由ってことだな? てことは、この隙に剣を買ったり練習ができたりするんじゃ……)


 できることなら今すぐ皇都に行って、そのままずっと継母たちが帰ってこなければいいのに……と手を合わせて願ってしまった。

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