第10話 ただいまとおかえり

 その日、起きるとまた昼過ぎだった。

 どんなに日常を揺るがす出来事があっても、体というのはそんなに簡単に軌道を変えられるものではないのかもしれない。


 わたしは全然昨日と変わっていない。

 変わらず明日の希望はない。


 それでもわたしはカーテンをシャッ、と開けて、流し台でうがいをして、布団をたたんで動きやすい服に着替えてボロアパートのドアを開けた。

 途端に光に目がくらむ。

 快晴。


 電車に乗ってスマホをいじる。

 Ju-Jin社提供の『Nyahooニャフーニュース』からはタルルネシラの今日がうかがえる。


 街への移住を求めてやってきたレッドドラゴンが入居を断った不動産業者を訴えて負けるも、みずから大型魔族向けの不動産会社を立ち上げる。

 第一歩として潤沢に蓄えておいた金銀財宝暗号資産を使い、競技場やゴルフ場を買収し、土地確保に乗り出したり。


 他には、ドワーフたちの間でリスキリングが流行。

 IT関連の技能を中心に習得のブームが形成されつつある。

 その中の一人、工場勤務の男性は、「この街には愛はない。だから、俺が生み出すよ」と張り切っている。

 これからの彼らの活躍が楽しみ云々。


 その他にもホゴカツ関連、トモヒコ関連と思しき騒動のいろいろ。

 たくさんの記事が並んでいたけれど、最終的にわたしが目を止めたのは最後のニュースだった。


『SA☆YA引退』


「…………」


 記事には、人気女性アイドルSA☆YAが引退を発表、詳しい理由は明かされず、ただ『申し訳ありません、アイドルを続ける理由を失いました』とだけコメントしている、とある。


 わたしはNyahooニュースを閉じてスマホをしまった。

 ちょうど電車が止まってドアが開く。

 わたしは駅のホームに降り立った。


 大きく息を吸って、吐く。

 行かなきゃ。

 顔を上げる。


 ここはサーシャの事務所の最寄り駅。

 わたしは、彼女に会いに行く。




◇◆◇




 事務所のビルの前まで歩いて行くと、思った通り大きな人だかりになっていた。

 押し寄せるファンを、警備員たちが必死の表情で抑えている。

 近づいていくにつれてその人たちの「SA☆YAちゃーん!」だとか「やめないでー!」だとか「お願いですから落ち着いて下さい! 押さないで!」とかいう声も聞き取れるようになる。


 ああ、やっぱりその光景はうらやましかった。

 わたしではどうしても手の届かない高みだったから。

 でも、今はそれだけじゃなくて、そんな妹が誇らしい気持ちもある。

 ほんの少し、ほんのちょっぴりではあるけれど。


 ただまあ、今はそれよりどうやってサーシャのところまで行くか考えなきゃいけなかった。

 この山のような人だかりをどうにかしてかいくぐらなきゃならない。

 


「さてどうしよ…………」


 その時大きな破裂音が響いた。


「!?」


 驚いて振り向くと、いつの間に現れたのか、黒服の男たちが立っている。


「みなさぁん、著作権保護活動委員会にご協力を!」


 そう言ったのは一番前に立った線の細い、巻角の男。

 ラングスとかいったっけ。

 そして彼はその右手に持った拳銃を、もう一度天に向けて薄い笑顔で発砲する。


「公務の妨害などなさいませんよう!」


 わけがわからないながらもホゴカツの脅威を知る人々は、わっと散る。

 警備員たちも一瞬遅れて転がるように退避する。

 その中で残ったのは一人だけ。


「…………」


 振り返って男たちをにらむ、トモヒコ一人。


「いい加減しつこいなお前らも」

「あなたがおとなしくつかまってくれれば話は早いんですがね」


 それ以上言葉はなかった。

 ラングスの合図で男たちがトモヒコに殺到する。

 トモヒコは鋭い身のこなしで一つ一つをかわしながら反撃を叩き込んでいく。


 素人目にも的確な動きだった。

 もしかしたらなにか心得でもあるのかもしれない。


 でも、わたしはそれより逃げればいいのに、と思った。

 どうせまたここにお兄さんがいると踏んでやってきたのだろうけれど、そんなわけがないじゃないか。

 なんて無駄なことをするんだろう。

 あれじゃあいつかは捕まってしまうに決まってる。

 とはいえそれが彼のいいところだということも、今は知っている。


 トモヒコが取り押さえられたのは、わたしの予想通りそれから一、二分うちに、彼の油断で急に形勢逆転されてしまってからだった。

 捕まれ引きずり倒された彼の上に、何人もの男たちが積み重なるようにして体重をかけた、あまり格好のよろしくない状態だ。

 ラングスがそのそばに近寄りかがんで彼の横っ面に銃口を突き付ける。


「手間をかけさせましたね。これで終わりです」

「なわけあるか、俺はまだ探すぞ」

「なんのことやらわかりませんが、頭を撃たれればさすがに死ぬでしょう? ではさようなら」


 わたしはそれをかなり近くで聞いた。

 なぜ近くか。それはわたしが彼らの方に突進してたからだ。


「……?」


 ラングスが異変を察して顔を上げる。

 わたしはその機を見逃さず地面を蹴る。足を振り上げる。そのつま先が、うまいことラングスの横顔を、こめかみをえぐる。


 吹き飛ばされたラングスは、少しだけ地面を転がって、ぐったりと動かなくなった。

 そして、それから、短くない沈黙が落ちた。

 わたしの荒い息使いだけがよく聞こえた。


「……何しに来たんだ?」


 足元の方から、トモヒコがわけがわからないといった顔で言う。

 いろいろ説明が必要な気がしたけれど、とりあえずわたしは、


「探しやすいように出てきた」


 とだけ答えた。

 持ってきていたリンゴジュースのペットボトルを彼の方に突き付けて。


「……そうか」


 と、しばらく何も言わなかったトモヒコも、沈黙の末それだけをつぶやいた。


「ふん!」


 押さえ込んでいた黒服の連中を跳ね飛ばして起き上がった。

 また彼らと対峙して構える彼の背中にわたしは言う。


「ごめんトモヒコ、わたしちょっと行かなきゃ」

「気にするな。そういう期待は全くしていない」

「バーカ!」


 わたしは彼を残して事務所の扉に走った。

 体当たりするようにしてそれを開ける。


「姉様!」


 奥の階段から転がるようにしてサーシャが下りてくる。

 わたしは乱れた息を整えながら、なんとか言葉を探したけれど、結局何も言えなくて代わりに手に持っていたペットボトルを渡した。


「これは?」

「なんだろ、わかんない……」


 戸惑うサーシャを無視して、わたしは彼女を抱きしめた。

 ただいま、ってそんな感じがして、


「……おかえりなさい」


 と、サーシャがつぶやいた。

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