第5話 ホゴカツ
ハーブティーの健康的な香りがわたしの鼻をくすぐっている。
ボロアパートで回る生活サイクルにはないものだ。
わたしは小さなそのカップを見下ろして、それから部屋を見回した。
白い、それだけの部屋だった。
そして狭い。
机と椅子二脚とわたしとそれからもう一人を詰め込むと、もうそれでいっぱいになる。
「落ち着きましたか?」
対面に座った男が微笑む。
大きな巻角が生えた線の細い眼鏡の青年。
わたしはうなずいた。
本当は全然落ち着いてなんかない。
でもそう答えないと何をされるかわからない気がしたのだ。
スタジアム前から黒塗りの高級車に乗せられ十分くらい。
くらいというのは窓はまるで光を通さないタイプのスモークガラスで外は見えなかったし、スマホを取り上げられて時計も見れなかったからだ。
とにかくここに連れてこられてもうかなりの時間がたっている。
バイト間に合わないな、と思った。
っていうかもしかしてここで死ぬのかなとも漠然と思った。
そうなったらこれから店長だけで夜勤回して行けるのかなとも。
「すみませんね、無理にお連れしてしまって。一刻を争う緊急事態でしたので」
「はあ」
「あの少年は危険です。あなたが無事で本当によかった」
「えっと、あの、あなたは?」
わたしが訊ねると、男はわざとらしく慌てた顔をした。
「これはこれは失礼を。わたくし著作権保護活動委員会実働部部長のラングスと申します。以後お見知りおきを」
「ホゴカツ? ホゴカツがわたしになんの用なの?」
びっくりしたから思わず声が裏返った。
ホゴカツというのは今この人が言った著作権保護活動委員会の略だ。
その名の通り著作権を保護する活動をする委員会のことだけど、じゃあ彼らが守る著作権とは何なのか。
そこのところはこの街の成り立ちまでさかのぼらないといけない。
かつて放浪学術会議なる学者集団がいたらしい。
この世界のすべての謎を解き明かすという旗のもとに集った多種族集団で、ひとところにとどまらず日夜を問わず、実験と思索を重ね知を錬磨させていったとか。
彼らはそのうちこの世界の謎を探索するだけでは飽き足らなくなり、別の世界へ至る道を模索し始める。
とても正気とは思えないけど、わたしが思うに多分いい加減この世界について考えるのも飽き飽きしてたんだと思う。
ともかく、彼らは放浪の末異世界への門を見つけた。らしい。
彼らはそこに腰を据え、拠点を置いた。街ができた。
異世界への門があるところには大きなドーム状の建造物が建てられた。
そして、彼らはその『ドーム』で異世界の研究を進め、向こうから様々なものを研究対象として取り寄せるようになる。
その成果は街に新しい技術をもたらし、わたしたちの生活を向上させ、街をさらに大きくした。
この街にだけ電気が、車が、コンビニがあるのも、全部かつての放浪学術会議が異世界の門を見つけたおかげというわけだ。
……と言われている。
まことしやかに。
というのも、かつての放浪学術会議、現タルルネシラ学術会議は異世界の門の存在なんか認めてはいないからだ。
『ドーム』で行った研究が街の役に立っているのは確かだが異界の門など存在しない。
これがタルルネシラ学術会議の立場。
とはいえ誰もそれ自体は信じていない。
異世界への門が実在するかはともかく、彼らがホゴカツを使って著作権侵害を取り締まる理由は絶対にその秘密を洩らしたくないからだとみんな思っているからだ。
ようやくホゴカツのことまで話が進んだ。
ホゴカツの役割はタルルネシラ学術会議の研究成果を守ることだ。
彼らは技術の漏洩を許さない。
よって技術の解析を許さない。
また、技術を広めて利益を得るため、それを脅かす個人の魔法使用も許さない。
タルルネシラ学術会議の不利益は、実力をもって無理くり排除する。そういう集団だ。
「たいしたことではないのです」
「たいしたことないってったって……」
ラングスは自分の分のハーブティーに口をつけながら穏やかに言う。
「あの少年が危険人物だというのは言いましたね? 彼のことについて二三訊ねたいことがあるのです」
「あいつのこと……? いや、あいつ大丈夫なの?」
思いっきり刺されていたことを思い出して背筋に嫌な寒気が走る。
うずくまるようにして取り押さえられていた小さな背中、黒づくめの男たちの太い腕。
「心配ありませんよ。彼は普通の人間ではありません」
じゃあ、異世界の人間?
まずそうな疑問が喉元までせり上がったけれど、すんでのところで飲み込む。
「……普通の人間じゃなかったら、刺してもいいの?」
「普通でない上にテロリストだとしたら?」
「テロリスト?」
ラングスが小さくうなずく。
「"ドーム"の事故をご存じですか?」
「数日前になにかあったって」
コンビニの有線放送を思い出しながらうなずく。
「はい。細かい説明は省きますが、犯人は彼です」
「トモヒコが?」
「トモヒコという名前なのですね、彼は」
そっと手元の紙に書きつけるそのペン先を気味悪く見下ろしながらわたしは質問を繰り返した。
「トモヒコが、何を?」
「詳しくは話せません。学術会議の不利益になることを、とだけ」
「不利益……」
嫌な言葉だと思う。
いらないものは消えろという尖った気配を感じる。
「ですから彼のことをもっとよく知りたいのです。彼と出会ったのはいつ? どこでですか? その時の彼の様子はいかがでした?」
「トモヒコは……」
わたしは迷った。
何を迷ったかわからないけど、トモヒコをかばうかかばわないか。この男を信用するかしないか。売るか売らないか裏切るか裏切らないか。多分そんなようなことを。
でも、少しだけだった。
「ご協力ありがとうございました」
わたしの話を聞き終わったラングスはペンを置くとメモをもう一度見直していた。
「あの……」
「何かほかにも?」
「あ、いえ、自分で書き取りするんだなって」
「ああ、わたしは自分で書いた方が考えがまとまるので」
彼はつまらなそうにそう答えたけど、わたしは本当は別のことが訊きたかった。
トモヒコはこれからどうなる?
不利益は排除されるのか?
彼は本当に不利益なのか?
不利益って何ですか?
なのに何も言えない。
椅子の上で体を縮めるようにしてうつむいていると、ラングスの声がした。
「では、今日はお帰りいただいて結構です」
わたしは間抜けな声で「はあ」とだけ返事した。
「またお聞きしたいことがあればお呼び出しするかもしれません。その時は申し訳ありませんがご協力いただければと思います」
「はあ」
連絡先は訊かれなかった。
この人たちにとっては個人情報なんて概念、ないんじゃないだろうか。
わたしのことなんていつでも把握していて、いつでも削除できる、そういうことなんじゃないだろうか。
そう考えると恐ろしくなった。
震える足で席を立った時、出入り口のドアが開いた。
入ってきたのは黒づくめの男が一人。
ラングスに近づいて何かを耳打ちする。
ラングスの顔が苦笑の形にゆがんだ。
「ルーナさん」
「はい」
「彼が逃げ出しました」
「は?」
退出していく黒づくめに続いて、悠々とした様子でラングスもドアに手をかける。
「もしかしたらあなたのところに現れる可能性もあります。その際は落ち着いて我々に連絡してください。では」
あわただしく出ていくその背中を見送りながらわたしはつぶやく。
「……送迎なし?」
ここがどこかもわからないのに。
スマホもまだ返ってきていない。
バイトも間に合わないだろう。
でも。
トモヒコが無事だとわかってほっとしたのも事実だった。
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