第4話 わたしのアイドル活動は灰色だった
呼び出されて着いた先は電車とバスで一時間ほど、湖のそばにあるスポーツスタジアムの前だった。
「遅かったな」
仏頂面でそう言ったトモヒコは、どこで手に入れたのやらボロボロの制服からパーカーとジーンズに着替えていた。
昼間なのにフードを深くかぶっているので少し怪しい。
少し暖かすぎるくらいの気温だった。
スタジアムの建物の方からは何かの試合でもやっているのか大きな歓声の気配があって、なおさらに体感温度を上げている気がする。
わたしは少し汗ばんだ額に触れながら彼に訊ねた。
「ねえ、なに? なんの用?」
「兄を見つける」
「手がかりでもあったの?」
「ああ」
と、親指で指した先は背後のスタジアムだ。
「中にいる」
「そうなの?」
「かもしれん」
「は?」
「可能性は五分五分だ」
「……どういうこと?」
こういうことらしい。
街でいろいろ調べて回っていたら、偶然アイドルのライブが近くで行われていることを知った。
兄はアイドル好きだから絶対にそこにいる。
出てきたところをふんじばる。
とか。
「いないよそれ」
「いや、いるかいないかゆえ可能性は五分だ」
「ゼロだよ。絶対ゼロ」
だけどトモヒコは強情だった。
ともかく俺は待つ、と言ったっきりスタジアムの出入り口前に仁王立ちになる。
「ずっとそうしてるの?」
「ライブは八時までだ」
「……あっそう」
付き合いきれない。
わたしは馬鹿馬鹿しくなって彼に背を向けた。
「どこへ行く?」
「帰る。今日もバイトあるし」
「そうか」
それだけだった。
歩きながら、わたしは一度だけ振り返った。
トモヒコは相変わらず仁王立ちのままだった。
でもその背中が、さっきより少しだけ心細そうに見えた。
そんなこと、本当はわかるわけがない。
それに本当だったとしてだからどうだってわけじゃない。
わけじゃないんだけど。
わたしは小さくため息をつく。
スマホで時間を確認すると四時半。
踵を返してトモヒコのところまで引き返す。
「ちょっとだけだからね」
と言うとトモヒコは、
「ん」
とだけ返事をして、肩から緊張を抜いた。
気がした。多分。気のせいだと思うけど。
◇◆◇
わたしのアイドル活動は、はっきり言ってパッとしなかった。
街に着き、安アパートを確保し、なんとか有名な芸能事務所に所属できたまではよかったけど、ろくに仕事が回ってこなかったのだ。
これにはびっくりした。
アイドルになれば担当マネージャーがついてユニットを組んでライブの練習をして本番を迎えて、というような話をあの旅人から聞いて期待を膨らませていたわたしはとてつもないショックを受けた。
なにこれ話が違いすぎる!
仕事も自分で取ってこなきゃいけない。
取れても自腹で現場に行かなきゃいけない。
行ったところでギャラはほとんど事務所に取られて取り分なんてほぼほぼない。
アイドル以前に生活が成り立たない。
現実は残酷だった。
わたしの数少ないライブ経験は、よくわからない飲み屋での盛り上げ係と小さなイベントでの前座とチラシ配り。
最後のはただのバイトか。ライブじゃねーし。
それでもわたしは希望は捨てなかった。
コンビニのバイトをしながら一発逆転のチャンスを狙った。
「先輩はすごいですね。なんでそんなに頑張れるんですか?」
何十個目かの仕事のオーディションに落ちた日に、後輩に訊かれた。
その子は確か同じように何個も仕事に落ちたところらしく泣きはらした目をしていて、あまりに気が弱いもんだから仲間内でもそろそろ脱落するんじゃないかって噂になっていた。
そうやってアイドルを辞めていった弱い子は多い。
「理由を考えないから」
わたしは確かそう答えたと思う。
「そういうの考えてる暇があったらどうすれば仕事取れるか考える。自分の強みを探す。どんな需要が合るのか考える。それからなによりファンのことだけ考えて、ファンのことだけ意識する。わたしはそうしてる」
後輩はしばらく深刻そうな顔で黙り込んだ後、わたしに言った。
「ファンのことだけって、じゃあ先輩の自分ってどこにあるんですか?」
「そんなの必要ないよ。誰もわたし自身なんて見ない。見たいものを見るだけ。それ以外は見てもらえないし、ブレイクするには無駄なんだ」
「それならわたし、アイドルなんかなりたくなかったです……」
そう言ったっきり後輩はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
甘えだ、と思ったけど、それ以上何か言っても意味ないと思ったわたしは彼女を放ってその場を後にした。
もうこの事務所でこの子の姿を見ることはないんだろうなと思いながら。
でも結局その後アイドルから落ちこぼれたのはわたしの方だった。
後輩はブレイクして雑誌の表紙を飾っている。
◇◆◇
日が暮れ始めてそろそろ冷えてくる時間帯になってきた。
わたしは上着を持ってくるべきだったなと思いながら、スタジアムの方に目をやった。
ライブ終了までまだ一時間以上。
むわんむわんと伝わってくる音波の気配を肌で感じ、わたしは思わず身震いする。
アイドル時代のライブの苦い思い出がよみがえる。
いや、わたしにはそんなものほとんどすらないんだった。
あるのは実現しなかった夢の残りかすくらいだ。
早くコンビニで掃除がしたいと思った。
手がほうきを、ちりとりを、ポリッシャーの振動を求めている。
早くここから立ち去りたい。
無心の静けさに浸りたい。
顔を上げるとトモヒコはやっぱり道のど真ん中で微動だにせず立っている。
スタジアムの真ん前で彼の兄を待ち受けている。
ときどき通りがかる人たちが訝しげに彼を見るけど、トモヒコは全く気にしない。
超巨体のオーガ族の集団が前からやってきたときも、少しも道を譲らず不動のまま、逆にビビらせて道を開けさせていた。
強い子なんだろう。
あの図太さはなんだかうらやましい。
わたしもあれだけふてぶてしく生きられたらどんなにいいだろう。
わたしは寄りかかっていたフェンスから背を離し、トモヒコに近寄った。
「なんか飲み物買ってくるけどあんたもいる?」
「いらん」
「そ」
わたしはスマホで最寄りのコンビニを検索しながら歩き出した。
ちょっと離れたところにあるようで、戻ってくるのに時間がかかりそうだ。
わたしは振り向いてトモヒコにそのことを伝えようとした。
その時だった。
「――え?」
目の前を黒い何かが駆け抜けた。
「シッ!」
鋭い呼気と銀のひらめき。
それらはわたしの視界の真ん中にいるトモヒコに、四方から殺到する。
「トモヒコ!」
危険を感じて思わず叫ぶ。
でもそれはあまりにも遅すぎて、"彼ら"が握ったナイフはすでに全部トモヒコの体に突き立っていた。
遅れて鈍い音。
トモヒコを襲った黒づくめの男たちは、彼を押さえ込んだところで動きを止めた。
いったいなんだ。
わたしは混乱した。
街中なのに、人通りもあるところなのに……と思って周りを見ると、いつの間にやら誰もいない。
まだ日が暮れ始めたばかりなのに変だ。
ともかく。
トモヒコが心配だった。
怖かったけどわたしは勇気を出してトモヒコのところに駆け寄ろうとした。
「よしなさい」
ハッと振り向く。
そこには男が一人立っていた。
「その少年は危険人物です。わたしたちに任せて」
そう言われてわたしは動けなかった。
彼の言葉に従ったからじゃない。
ただ、薄い唇に気味の悪い笑みを浮かべる彼の方が、何倍も危険人物に見えたからだ。
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