第3話 SA☆YAのコメント

 わたしが故郷を出るきっかけになったのは、森の中で出会った旅人が言った言葉だった。

 あの日のことはよく覚えている。

 わたしの夢の誕生日だからだ。


 彼は森の中で行き倒れかけていた。

 食料が尽きかけていたらしい。

 わたしがたまたま持っていた干し肉をあげるととても喜んだ。

 彼は南の方から来たという。


「僕はそっちの方の生まれなんだけどね、いや正確にはちょっと違うんだけどね、もっと前には別の場所にいたから。まあとにかくそこからバリバリっと移ってきて、そこからずっとこっち、北の方に移動してきたんだ」


 わたしはふーんと思って聞いていた。

 肉をしゃぶる旅人の顎に垂れるよだれの筋を見ていた。


「いやあ大変だったよ。何とかいう学者さんたちの集まりにつかまりそうになったり袋叩きにされそうになったり行き倒れそうになったり。いろいろ回ってきたけどなかなか落ち着ける場所ってないもんだね」



 旅人は長く長く話した。

 わたしはずっと聞いていた。

 だいたいはなんのこっちゃな話だったけど、それでもわたしにとっては面白い話だった。

 外の世界のことなんだ。

 古くない、狭くない、ここよりは居心地のよさそうな、外の話。


 しばらくして話が少し途切れたところで、わたしは彼に訊ねた。


「どうしたら外に出られるの?」


 彼は変な顔をした。


「外? 出れば出られるよ」

「そうじゃなくて、どうやってうまくやっていける? わたし、楽しく生きたい」


 旅人はそれを聞いて、へえ、となにかを納得したような顔をした。

 もしかしたらわたしの境遇を何となく察したのかもしれない。

 少し考えるように顎に手を当ててから、再び口を開いた。


「そうか、そうだな。そういうことならやっぱり南の方に行くといいよ」

「あなたがいたところ?」

「うん、そう。いや、正確には出てきたところというか、なんというか。まあとにかく。今は街ができているはずだ。多分、もうかなり発展してこの世界には珍しい場所になっていると思う。そこに行けば何とでもやっていけると思うよ」


 それを聞いた瞬間、とくん、とわたしの中で鼓動の音が響いた。

 長いこと凍り付いていた心が動き始める音だった。


「本当に? 本当にわたしやっていける?」

「うん、本当。僕だっていろいろあったけどやっていけてる。君ならなおさらさ。顔がいいからね。すごい美人だ。僕の見立てではアイドルとして十分やって行けるよ」


 アイドル。

 それは聞いたことのない言葉だった。

 それなのに、わたしはずっとそれに出会う瞬間を待っていたんだって気がした。

 やっと会えたねって、そう思った。


「アイドルになる」


 わたしは思わず言っていた。

 なりたい、じゃなくてなる。

 それは未来を宣言する言葉だった。


「わたし、アイドルになる!」


 そう、わたしの夢は、本当の人生は、この時から始まったんだ。


 ……なのにどうだろう。

 あの日から何年もたった今、冷たい布団の中からゆめうつつに視線をめぐらせながら思う。

 故郷から逃げ出して、全てを捨てて、そしてたどり着いたこのアパートの一室。

 カーテンを引いて横になる薄暗い部屋。

 何もない。

 何もなくて、隅の方にただ夢の死骸だけが落ちている。




◇◆◇




 目が覚めて時計を確かめると午後三時だった。

 布団からのろのろと起き上がって流し台に体を引きずって行って水を飲む。

 冷蔵庫を開けたけれどためてた廃棄弁当は尽きていてスライスチーズしか入っていない。

 仕方ないからそれをはもはもとはみながら部屋の壁によっかかるようにしてしゃがむ。


「あー……」


 一日がサイクルしていくその音が聞こえている気がする。

 それに混じる小さいのにひどく耳障りな不協和音。

 わたしは循環にうまくかみ合えていないから。


 スマホを見る。

 メッセージが入っている。


『起きたか』


 トモヒコからのものだ。

 公園で動画を取ってから別れる前に連絡先を交換してあった。

 時計を見るとちょうど一分ほど前に送られてきたものらしく、そのタイミングの的確さに少しビビる。


『まだか』


 これは多分、投稿した動画にコメントがついたかということだろう。

 何か有力な情報があれば連絡すると言ってある。

 少し面倒くさい。

 面倒くさいけど、言った以上やらなければいけない。


 それに、ちょっと負い目もある。

 投稿した動画のタイトルは、『【人探し!】異世界からやって来たってホント!?【情報求ム!】』だから。


「さて」


 獣☆チューブにアクセスして投稿した動画のページを開く。

 再生数は、あまりないだろうなと思っていたけど、果たして思っていた通り少なかった。

 でもコメントの方は思ったよりは結構多い。


『なにこれ』

『こいつ服のセンスひどすぎ笑うwww』

『こういう獣☆チューブの使い方ってどうなんだろうと思うよ』

『投稿主♀? 人型? 会ってくれるなら探すの手伝うぜ!』

『知ってるけどお前には教えねー』


 まあわかってはいたんだけどくだらないコメントばかりだ。

 持て余した退屈とイライラがあちこちからもれ出たような猥雑さ。


 ため息交じりに指先で画面を下に流していく。

 と、一番下に変なコメントの一群を見つけてわたしは首を傾げた。

 削除されたコメントとそれに対する返信のツリーだった。


 削除されたコメントはもちろん読めない。

 ただ、それに続く返信は、


『え? マジ本物?』

『ずっとファンです!』

『ヤッバ、すっげえ!』


 誰か有名人のコメントだったんだろうか、とさらに見ていくと、


『ナマSA☆YAだ! ナマじゃないけど!』


 とあって、さらにそれをジューグル(Ju-jin社提供のWeb検索エンジンだ)検索すると、有名な女性アイドルの名前らしいということがわかる。


 そしてわたしは知らず奥歯に力を込める。

 なんか、気分が悪い。嫌なものが胸に広がる。

 でも、なんで有名人がこんな動画にコメントをつけたんだろう。


 消えてしまったからこそコメントの内容が気になって仕方なくなる。

 トップアイドルはこの動画を見て何を思ったんだろう。

 人より高いところに立ってる人の言うことは、凡人とどう違うんだろう。

 コメントをたった一つつけるだけで注目を浴びる人間は、わたしと何が違んだ?

 そんなことまで気になって、どろりとした感情が渦を巻き出す。


 本当は調べたくもないくせに、SA☆YAについてさらに検索しようとしたところでまた新しくメッセージが届いた。


『来てくれ』


 相変わらず内容が簡素なそれを送ってきたのは、トモヒコだ。

 わたしははっと我に返って、そのメッセージに返信を返した。

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