第2話 人探しの少年

 わたしの故郷ははるか北の、森の奥にある。

 小さなエルフの王国だ。

 本当に小さい国で、エルフの里と言った方がしっくりはくる。

 わたしはそこの王女だった。


 しきたりの多い場所だった。

 朝起きてから夜寝るまですべてが作法によって事細かに決められている。

 別に誇張じゃない。朝目が覚めたら左右どちら側から体を起こすかも決まっている。

 ちなみに右だ。


 それらのしきたりについて疑問を挟むことは許されない。

 というか、疑問を挟むという発想がない。

 それらは普通で、自然で、当たり前のことだからだ。


 少なくともみんなはそういう風に決まり事を受け入れているように見えた。

 わたしがそうなれないのはなんでだったんだろう。


 わたしは決まり事を守るのが苦手だった。

 目の前に食事があるのにそれが冷めてしまうほど長く世界樹(と呼ばれているやたら大きいだけのただの古い木)に祈るのはなんでだろうといつも思っていた。

 大切な人に好きって気持ちを示すのにきれいな花を摘んで贈るのはなんで駄目なんだろうとも思っていた。


 そう言ったらびっくりされた。次に笑われた。最後にはめちゃくちゃ怒られた。

 植物様は大切にしなさいって。


 わたしは泣いた。

 怖くて泣いた。

 わたしにとって正しいことは、他のみんなにとっては違うんだって知って恐ろしくなった。


 何年かたって泣かない方法は学んだけれど、結局わたしはみんなと違うままだった。


 味方はいなかった。

 唯一妹がかばってくれたけれど、妹は味方じゃなかった。

 彼女があるとき言った言葉が、わたしはどうしても忘れられないからだ。


「みなさんどうか許してやって下さい。姉様もいつか分かりますから」


 妹はわたしの一番の敵だ。




◇◆◇




 本当クソみたいな仕事だけど、掃除だけは好きだ。

 ドワーフが千鳥足で店を出ていった後、わたしはほっと息をついて清掃用具を引っ張り出す。

 隅から隅までほうきがけをする。モップ掛けをする。棚を拭く。

 そうしながら荒れた心をそっとそっとなだめていく。


『――――先日の"ドーム"の爆発事故はいまだ詳細が分かっていません。著作権保護活動委員会からも正式なコメントは出されておらず、警察はこの事故ないしは事件の捜査に関してきわめて難しいかじ取りを求められるとの見方も出ています。次は明日の天気についてです――――』


 うざったい有線放送のニュースをかき消すポリッシャーの振動が心地いい。

 手を伝わって首を伝わって脳を揺らして心を空洞にしてくれる。

 空調とも冷蔵機器とも違うガーって作動音が、五感を丸ごとに体の内側と外側の境を緩めてぼかしていく。


 破砕されていく床の汚れ。それと一緒に何もなかったことになればいいのにと唐突に思う。

 店長の卑屈な笑みもさっきのドワーフの酒臭い息も雑誌のアイドルのまぶしい笑顔も。

 全部全部なかったことになればいい。


 でも記憶はぼやけることはあっても消えることは絶対にないから、せめてずっと掃除だけしていたい。

 ただ心をなくして手と足を漫然と動かす掃除をする機械になって、掃いて拭いてみがいてだけしていたい。

 もちろんそんな小さな願いすらかなわないことも知っている。


「ルーナちゃん?」


 十分もしないうちに店長の呼び声で現実に戻されて、わたしは内心で舌打ちした。


「何ですかー?」

「あのその、本当は余計な前置きを挟みたくて仕方ないけど、さっき効率的に話を伝えるように言われたし前置きなしで言うよう頑張ってみようと思うんだけど」

「さっそく失敗しましたね」

「その前にごめん、何言うか忘れた……」

「学ぶものかという固い意志すら感じる」

「あ、そうだ、こっち来てもらえると嬉しいなあって……」

「本題めちゃくちゃ短いし……」


 仕方なく掃除器具を隅によけてレジ前に行く。


「で、結局なんの用すか?」

「えっと、なんていうか……この子が」


 口ごもる店長の隣には少年が一人いて、わたしはそれを見た瞬間立ちすくむ。


 年齢は、見たままヒト族なら十七歳くらいだろうか。

 背の低い(と言ってもそれでわたしと同じくらいだけど)童顔な子で、その割にひどく冷めた目が印象的だった。


 でも、わたしがびっくりしちゃったのはそのせいじゃなくて、もっと単純な理由だった。


「……なんでそんなズタボロなの?」


 少年は学校の制服のようなものを着ていた。

 ようなもの、というのはそのままその通りの意味だ。


 ブレザーは肩のところ、腕、胸と大きく切れ目が入って取れかけた袖の先がプラプラと頼りなくぶら下がっている。

 ズボンも両膝のところにぽっかりと穴が開いてしまっていて左右の膝小僧がのぞいていた。


「なんていうか、そのあの、パンクだよねえ」

「ないでしょ」


 店長にツッコむ。

 デザイン的な意図やあるいは劣化でボロけたというよりは今しがた鋭利な刃物で切り付けられまくったという風にしか見えない。

 でもそれにしては不思議なことに服の下に怪我はないようだ。


 少年はわたしたちの疑問には一切答えず、ふん、と鼻を鳴らして、


「人を探していてる。情報をくれ」


 と言った。


「人?」

「兄だ。知らないか」


 当然知るわけがない。

 というかそれだけでわかるわけがない。

 だというのに少年はそれがまるでわたしたちの落ち度だというように顔をしかめた。

 

「ようやく異世界にたどり着いたというのにまた手掛かりなしか。これは前途多難だな」

「ええと……」


 困惑を隠せずに口ごもる。


「前置きがなさすぎるとこうなるんだねえ」


 どこか勝ち誇ったような店長の顔をわたしは横目で睨んだ。

 少年は仏頂面のまま小さく首を傾げる。




◇◆◇




 空がうすぼんやりと明るい。

 これから日中にかけて上がるだろう気温はそれでも早朝の今はまだ肌寒くて、わたしは上着の前を押さえる。


 公園には誰の姿もない。

 広々と寂しくて急に人が恋しくなるけれど、あいにくわたしには友人も恋人もいない。

 ただ隣には仏頂面の少年だけがいる。はあ。


「わたしはルーナ。あんたの名前は?」


 とりあえずベンチに座って訊ねる。

 まだお互いの名前も知らなかった。

 隣にどっかりと腰かけた少年は、前を向いたまま、「智彦」とだけ返事をした。


「トモヒコね」


 わたしは内心うんざりしながらスマホを取り出す。

 こんな怪しい少年を押し付けられていい迷惑だ。

 いつもより早めにバイトを上がれたのはよかったけど。

 早いとこ切り上げてアパートに戻って寝たい。


「じゃあ始めるけど、トモヒコ、あなたは誰を探してるの?」


 録画機能をオンにしたスマホのカメラを向けて少年に訊ねた。

 トモヒコはそんなわたしを見て訝しげな顔をした。


「なぜ撮る」


 わたしはため息をついて録画を停止した。


「いや、だからさっき言ったじゃん。ジュー☆チューブに上げるんだって」

「ジュー……?」

「だからほんとさっき言ったんだって……」


 『ジュー☆チューブ』とは。

 獣人たちが経営するJu-Jinじゅうじん社運営の動画共有サービスだ。

 オンラインでサイト上に動画を投稿したり、それを閲覧したり、コメントしたり。

 大雑把にそういうシステム。

 もともとは獣人たちだけが登録できるものだったけれど今は広く門戸を開放している。


「ユーチューブ的なものか? だがなぜ獣人が」

「それは奴隷商人から逃げてきた獣人たちが自分たちの自由を勝ち取るためにこの街で財閥を築いたからで……ってそれはまあいいじゃん。とりあえず獣☆チューブに動画を人探し動画って感じに投稿して情報を募ろうっていう、そんな感じ」

「ふうむ」


 本当に分かったかは知らないけど、とりあえず納得したという風には見えた。


「じゃあ続けるよ。トモヒコが探してる人っていうのは?」

「兄だ。名前は靖彦ヤスヒコという。とても愚かな人間だ」

「へ、へえ」

「身長172センチ。体重およそ61キロ。髪は蛍光イエローに染めている。軟派だな。実際頭はゆるい。アイドル好きの理想主義者。というか夢だけ見て努力をしない」

「アイドル好き?」

「ああ。アイドルオタク、いや、それを通り越してアイドル馬鹿だ。芸能事務所を立ち上げるとかなんとか言って多額の借金をこさえた挙句に蒸発した。現実を直視できない馬鹿は救えないものだな。最近になって異世界に逃げたことが分かって仕方ないから俺が連れ戻しに来た」


 現実を直視できない馬鹿は救えない。

 そう聞いてなんだか胸の奥がチクリとした。

 わたしはその痛みをごまかすように質問を重ねた。


「一人で?」

「ああ。他の人間は異世界の存在など信じはしなかった。だから俺だけで来た」

「……あなたは信じたの?」

「手がかりがそれしかなかったからな」


 そんな理由で信じられるものなのかな。

 それこそ現実を直視できてないってことなんじゃないかな。

 わたしはそう言いそうになったけど、トモヒコがさも当然といった顔でいるからなんとなく訊ねるのをためらってしまった。


「質問は終わりか?」

「まあそうだね」


 と、録画を終わらせかけて、わたしはふと気になってもう一つ訊ねた。


「兄弟の身長体重なんて普通知ってるものなの?」

「そんなことは知らん。が、俺は兄の靴のサイズもわかるぞ」

「それは怖いね」


 わたしは妹の誕生日も忘れちゃったけどな。

 今度こそ録画を終了しながら、もしかしたらこの子はお兄ちゃん子だったのかもしれないなと思った。

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