高度に発達したファンタジー都市は現代日本と見分けがつかない

左内

第1話 コンビニ店員のエルフさん

 この街に来るずっと前、故郷にいたころ、まだ小さいわたしは古い蔵に閉じ込められていた。


 もう使われていない、何もないがらんどうの空間だ。

 入り口の戸には外から鍵がかけられていて、何の力もないわたしには開けることができない。

 わずかの光も届かない暗闇の中で、戸を叩き叫ぶことに疲れたわたしは自分の手を見下ろしていた。


 あるはずのそれはどこにも見えなくて、でも確かにそれはそこにあって、本当はもっと何かができる手のはずだった。

 もっとみんなに愛されることができたわたしのはずだった。


 そんなあったかもしれないいくつもの可能性は、いつのまにかこの暗闇の中で、わたしの中で、枯れていた。

 幼いわたしは静かに泣いた。


 その当時のことは、今でも時々夢に見る。

 そしてそんな日はみぞおちが重い。

 その重さを延々と引きずりながら、わたしは今も惰性で生きている。




◇◆◇




「あのう、ルーナちゃん?」


 声がしたのは、休憩に入って十分ほどたってからだった。

 わたしはその時両方の手で包みこむようにしてスマホをいじっていた。


 顔を上げると、店長が入り口の戸を開けておっかなびっくりといった様子でこちらをうかがっていた。


 縦にも横にも大きい人だ。

 バックルームの入り口がその巨体で完全にふさがっちゃっている。

 圧迫感はあるんだけど、必然的に体を縮めるようにして立つことになるもんだからどうしても卑屈な印象の方が強い。

 まあ実際恐ろしく気は弱いけど。

 オークなのに。


 そう、店長はオークだ。

 体格相応以上に力があって、店に突っ込んでくる三トントラックをがっちり受け止めるだけでなく無傷で送り返すくらいの足腰がある。

 ていうか実証済みだ。

 一ヶ月前くらいに成し遂げた。


 そんな腕力で襲われたらひとたまりもなく一生性奴隷コースだろうけど、あいにく店長にその度胸はない。

 クレーマーの相手すらまともにできてないし店に迷い来んできたカエルにオタつくビビりだし、そのカエルを追い出したのはわたしだ。


 パンパンに張ったお腹のせいで今にもはちきれそうになっている制服のボタンを見ているとなんだかやりきれないような気分にもなる。


 この街のオークはどうもそういう傾向があるらしいけど、大都市の空気がオークたちの心の雄を切除してしまうんだろうか。

 わからない。

 まあ、興味はないんだけど。


「何ですか?」


 別に普通に返事をしただけなのに店長は肩をびくりとさせて、謝罪っぽい言葉を口にした。

 そんなにビビられてもこっちが困る。


「いや、あのね、何をしてるのかなって思って」

「スマホいじってました」

「いいよねスマホ。便利で……」

「そうですね」

「それで、その、スマホで何を?」

「SNSやってました」

「へー……いいよねSNS。便利で……それで、SNSで何を?」

「まあいろいろと」

「……いいなあ便利な言葉だなあ」

「一体なんなんすか」


 わたしはいい加減イラっとしてスマホを置いた。


「いつも言ってますけど言いたいことがあるなら意味のない前置きするのやめてさっさと言ってください。ウザいんで」

「そ、そんなに怒らなくても」

「怒ってませんよ別に」

「嘘だ……怒ってる。何かあったんだ。絶対に何かが……」

「効率的に伝えましょうって言ってるんですよ! わたしが手本見せましょうか!?」

「効率的な暴力やめて!」


 その時バックルームの外、多分レジのある方から声がした。

 ろれつの回らない野太い声。

 わたしは小さく舌打ちして振り上げた拳を下ろした。


「あいつか……」

「お願い、お客様はちゃんと敬って……」

「あの酔っぱらい野郎様め」

「全然敬えてない……」


 へたり込んだ店長は放っておいてわたしは椅子から立ち上がった。

 店長の用件はこれだろう。


「迷惑客の対応なら早く言ってくださいよ。自分じゃさばききれないからって」

「ありがとうありがとう、でもお客様は本当敬って……」


 わたしはため息をついてバックルームを後にした。




◇◆◇





「この街には愛がない」


 レジに入った直後にかけられた言葉には愛に似た熱は込められていたかもしれない。

 けど多分、脈絡はなかったんじゃないかなと思う。


「愛というものは、当たり前だが形がない。だから俺が、俺たちが、その形ある身体を通して血を通わせ、手触りのあるものにしていくべきなんだ」


 言っていることのお堅さのわりにろれつが回らないその言葉を、わたしは黙って聞いた。


「このタルルネシラは、知の探究の果てに作られた街だという。その当初にはそのはてしない英知に対する愛が、そこここにあふれていたかもしれない。いや、あふれていたに違いない。こう、大雨の日の下水のように。ごぼごぼと」

「下水じゃダメじゃないですかね」


 なんの気なしにつぶやいたわたしの言葉は当たり前のように無視された。


「だが、今はここに愛はない。愛は、ないんだ」


 そう言うと、そのドワーフは膝をつき、レジカウンターに突っ伏すようにして静かにすすり泣き始めた。

 そのなんでも握りつぶせそうながっしりとした手に不釣り合いに小さなカップ酒をそっと握りしめながら。

 いつものことだけど迷惑だ。


 彼はほぼ毎夜毎夜この店に来る。いや来店なさる。

 そのずんぐりとした武骨な体を引きずって。

 そしてふらふらと愛を語る。


「人を見下してはならん。愛を持ち続けたいと思うなら。人を拒否してもならん。ここでは誰もが他人を嫌い過ぎだ。それがわが身を滅ぼすということをわかっておらんのだ。だから俺は言いたい。人を愛せよと」


 あまりぞっとしない話だけど、この街にはこんな感じのドワーフは結構多い。

 つまり、職をなくして酒におぼれて人に絡む系のドワーフが、ということだけど、本当に多い。

 だから多分、他のコンビニにも、結構な割合でこういう酔っぱらいはいやがる、いやいらっしゃるはずだ。


「俺は愛した。この街を。人々を。だが誰も抱擁を返してはくれなかった……俺の仕事に。その成果にだ。俺の長年の研鑽は無駄だった……」


 突っ伏したままカップ酒とは逆の手で低く掲げたのは、大ぶりなハンマーだった。

 多分かつて鍛冶仕事で使っていた愛用品だろう。

 そしてこれは間違いなく言えることだけど、きっともう長い間使ってないはずだ。

 今、この街では昔ながらの鍛冶師なんて必要とされてないからだ。

 その手がどたんとレジカウンターに落ちて、上に乗っていたレシート入れやらが跳ねた。


「おのれ生産の自動化……おのれIT産業……」


 いつもの怨嗟の言葉を最後に、ドワーフは今度こそ静かになった。


 出所不明の先進技術があふれるここタルルネシラの街にはその技術を学んで鍛冶技術に生かそうとかつてかなり大勢のドワーフが移り住んできたらしい。

 そして定住したもののすぐに機械に仕事を奪われて失業に追い込まれた。

 今は技術もへったくれもない、その日暮らしのバイトや単純な工場労働で糊口をしのいでいるという悲しい経緯がある。


 それなら街から出ていけばいいと思うかもしれないけど、ここの便利さを知ってしまったらもう潔くはいられない。

 本当に悲しいのはそういうところにあるのかもしれない。


 わたしはドワーフをそのままにしてカウンターの外に出て、それから雑誌の入れ替えを始めた。

 今日もくだらない一日だった。

 昨日も無意味な一日だったから、きっと明日も無駄な一日だろう。

 わたしの人生は頭からしっぽまで空っぽでできている。


 無心に作業をしていたけれど、急に泣きたいような気分になって、わたしは雑誌を取り替える手を止めた。

 いつまで続くんだろう。

 いつまで続けられるんだろう。


 雑誌の表紙にははにか笑いを浮かべる水着姿の女の子がうつっている。

 見覚えのある顔だ。

 人違いでなければ、わたしが以前所属していた事務所の後輩だった。

 ちょっと垂れ気味の目。背は低いけど均整の取れたスタイル。

 引っ込み事案で頼りない子だったけど、そうか、ブレイクしたのか。


 しばらくどんよりと見下ろして、それから人生って楽しいですねって感じのその顔をしゅっ、と横に引っかいた。

 薄く薄く爪跡が残って、でも当然そんなことでその笑顔を消せるわけなんかなくて、その分余計にみじめになった。


 故郷のエルフの王国からこんなに遠くまでやってきたのに、わたしはいったい何をやっているんだろう。

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