第6話 再会
騒動から一夜が明けて。
わたしはまたあのスタジアムへと向かっていた。
昨日はバイトを休んだ。
電話の向こうで店長がめちゃくちゃ慌てていたけれど、さすがにいろいろあってわたしには余裕がなかった。
いつも客は少ないけど酔っぱらいドワーフは来たかなとそれだけはちょっと気になった。
わたしはバスに揺られながらスマホを眺める。
見ているのは獣☆チューブだ。
自分が投稿した動画。
相変わらず再生数は少ない。
コメントもほとんど増えていない。
動画の中で、トモヒコはボロボロの服を着ている。
あれはもしかして、ホゴカツにやられたのかなといまさら気づく。
ホゴカツに襲われて、切りつけられまくって多分殴られもして、押さえつけられもしてそれでも彼はわたしのスマホのカメラの向こうでこうして堂々としゃべっている。
「兄だ。名前はヤスヒコという。とても愚かな人間だ――――」
愚かなのはあんただ、と思う。
愚かな人間をそこまで必死に探すなんて、それにテロリスト?
正気じゃない。
でも、と思う。
それならなおさらお兄ちゃんっ子なんだろう。
今のところトモヒコからの連絡は入っていない。
だから会いに行こうと思う。
昨日の場所に、もしかしたらまたいるかもしれない。
ホゴカツに情報を渡してしまった身としては罪悪感もあるけど、だからこそなおさら行かないといけない気がする。
スタジアムに着くと、思った通り仁王立ちの人影があった。
昨日よりなお堂々と背筋を伸ばしている。
「大丈夫?」
わたしは彼に近寄りながら訊ねた。
「問題ない」
トモヒコがうなずく。
確かにケガはないようだ。
服は逆にかぶったキャップにTシャツとチノパンに変わってるけど。
「ここにいてホゴカツに見つからないの?」
「ホゴカツ? ……あああいつらか。今のところは撒いている。だから待てるうちはここで待つ」
「いないと思うけどね、お兄さん」
「五分五分だ」
「ないって」
言いながらわたしはペットボトルを差し出す。
途中のコンビニで買ってきたものだ。
「なんだこれは?」
「差し入れ。リンゴジュース」
「俺はオレンジの方が好きだ」
そう言いながらもトモヒコはいそいそとペットボトルをポケットにしまった。
チノパンの右が不格好に膨れる。
「飲まないの?」
「兄が飲む。リンゴは兄だ」
わたしはそれを聞いて少しだけ息が詰まる思いがした。
それで、ちょっと迷った。
でも結局こう言った。
「ここはわたしに任せなよ」
「え?」
「わたしが代わりに探すからさ、あんたはちょっとどっかで身を隠してて」
「しかし」
「身長172センチ体重61キロ髪は蛍光イエローでしょ。覚えたから信じなさい」
トモヒコは変な表情でわたしを見つめた。
だいぶ長く変な間が空いた。
「何?」
「いや……愚かだなと」
そして、さらに付け加えた。
「兄と同じくらい」
だけどそれで納得したらしい。
トモヒコはようやくこちらに背を向けて歩き去って行った。
一度も振り返らなかった。
わたしは、多分、それが彼の信頼の形なんだろうと思った。
◇◆◇
夜八時。
ライブが終わって、わたしはとりあえず入り口にこっそり忍び寄って中をのぞいた。
握手会かグッズ列か、かなりの人だかりができている。
わたしはその人たちの背中を、というかそこから立ち上る熱気や精気? なんとも生々しいオーラな感じのものをぼーっと眺めた。
小さい背中が多い。
これはゴブリン族が多いせいだ。
彼らは他種族のメスを求めてこの街に押し寄せてきて一時期猛威を振るったけれど、今ではオークと同じように心の雄を半分以上もがれ、ただのアイドルオタク、もしくは二次元オタクと化している。
夏と年末のコミケは彼らが主催し取り仕切る。
なんていうか都会って怖い。
ともかくざわついているその集団の中に蛍光イエローの頭は見当たらない。
やっぱりというか当然というか、トモヒコのお兄さんはここにはいないようだった。
まあでももうしばらくは見ていた方がいいかもしれないと思って、わたしはざっと視界をめぐらした。
と。
「……?」
人と人の向こうに、何か見覚えのあるものを見た、そんな気がした。
何か懐かしいような、でも同時に、とても嫌な感じもするような。
その瞬間は違和感でしかなかったものが、次第に心臓を締め付けていって、なぜか足がすくんでしまう。
同時に体がここから逃げようと悲鳴を上げ始めているのがわかる。
動けやしないのに。
なんで?
一体わたしは何を見たんだ?
背筋を這いあがる寒気にビビっているうちに、わたしの耳は答えを聞いた。
「姉様!」
はっ、と声を上げると向こうに少女が立ち上がっていた。
ゴブリンたちの小さな背の向こう、赤と銀の目が眩むほどかわいいステージ衣装を身に着けた妹が、わたしの一番の敵が、目に涙を浮かべてわたしを見ていた。
「やっと見つけた……!」
妹はかすれた声でそう言うと、よろめくような足取りでわたしの方へと駆け寄ってきた。
スローモーションのようにゆっくりと迫ってくる妹のその足元でおしゃれなブーツが甲高い音を立てた。
場は静まり返った。
みんながわたしたちの方に視線を注いでいる。
わたしは、これはなにかの悪い夢じゃないかと思った。
「姉様……お元気そうでよかった」
目の前まで来た妹はわたしの手を包んで感極まったように言った。
「探しました。ずっと、ずっと探してました!」
「サー、シャ……サーシャ」
わたしはうまく回らない舌で妹の名前をつぶやく。
「なんで、ここに……?」
「姉様を探すためにです!」
そこで堪えられなくなったらしい、サーシャはとうとう涙をこぼし始めた。
「姉様が王国を出てこの街に向かったと聞いて追ってきたんです。でも、タルルネシラは大きすぎて全然探し当てることができなくて……そんな時姉様がアイドルをやっていたって話を聞いて、よくわからないまま事務所に入りました。姉様を見つけるために」
罰なのかもしれないと思った。
何に対するものかはわからないけど、でもわたしは何か悪いことをやったに違いない、間違えたんだ。
じゃなきゃこんな目に遭うはずがない。
そうに決まってる。
「いろいろ苦労したけれど、見つかって本当によかった、よかったあ」
わたしは抱き着いてくる妹から逃げるように後ずさった。
不思議そうな顔をする彼女に訊ねる。
「名前はなんていうの?」
「え?」
「アイドルとしての名前。答えて」
「SA☆YAですけど……」
ああ、もしかしてと頭のどこかで思っていても、そんなはずはない、違ってくれと願っていた。
でも、現実は残酷だった。
悲鳴が聞こえた。
自分のかと思ったけど、それは妹が上げた悲鳴だった。
わたしはサーシャを突きとばしていた。
「姉様?」
尻もちをついた妹が呆然と呟く。
「……なんで?」
それは、わたしのセリフだ。
わたしは拳を握りしめた。
なんでだよ。
なんであんたがそこにいるんだ。
わたしじゃなくてあんたが。
アイドルになりたくて頑張ってたわたしじゃなくてただ成り行きでなっただけのあんたが!
故郷で見下すだけじゃ飽き足らなかったの!?
そこまでしてわたしを馬鹿にしたいのか!
何か言ってやろうと思った。
あとできれば思い切り蹴り飛ばしてひっぱたいてやりたかった。
でも何も言えなかったし手も出せなかった。
少しでも動けば泣いてしまう気がしたんだ。
「姉様、わたし……」
サーシャが立ち上がる前にわたしは背を向けて走り出した。
逃げなきゃと思った。
彼女が慰めの言葉か謝罪か、それかもっと悪い何かを言う前に。
どこへかはわからないけど、でもどこかへ。
「姉様!」
聞こえない、聞こえない、聞こえない。
わたしに妹なんて、いなかった。
そんな世界を願った。
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