猜疑と不安の波間で その9
フランマルビドの習性は、アルビドと姿が似ているだけあって、大きく変わらない。
背中から節足を生やしているのも同じだし、それを使った運動動作の補助についても同様だ。
そして、そこへ口から火を吐く能力が加わっただけなのだが、それこそが厄介だった。
安易な接近は以ての外だし、中距離で身を引いても、相手には攻撃手段がある。
それは純粋に脅威だし、マコトの持っている魔法が炎系しかない、というのも問題だった。
ケルス姫は前提として、マコトに戦って欲しくないからなのか、場当たり的に、その場で対処する魔法しか教えてくれなかった。
だが、マコトが使える魔法はもっと多くある筈だ。
魔法技術開発者として多くの魔法を生み出したのだし、その中で優れた魔法は元より、かねてから存在していた魔法も習得していた筈だろう。
勇者として召喚された一番の理由は、戦いを求められ、勝利を望まれたからだ。
ごく基本的な炎魔法を持っていた訳だし、他に何かあっても良さそうなものだった。
現在マコト達は、少し場所を移し、魔物に気取られない安全な位置まで下がっていた。
未だに警戒心も強く徘徊するフランマルビドだから、何かの拍子に発見されるとも限らない。
安心して相談事も出来ない、とマコトが言うと、渋々エルサは頷いてくれた。
未だに大移動がまた起きないかと期待しているから、近くを離れたくなかったのだろう。
だが、あれはシュティーナが引き起こした事なのだ。
魔物が自発的に行った訳ではないので、同じ事はきっと起きない。
そして、移動するよりも釣られた魔物が、再び戻ってくる可能性の方が高かった。
事態を複雑化しない為にも、必要な事はさっさと済ませて、四階へ移動してしまうのが吉だ。
「……ちょっといい? まず、確認したいんだけど……」
「なんだ、改まって……! お前ならサッと行って、サッと終わるだろう!」
エルサの掛ける期待は実に大袈裟なもので、楽観視し過ぎている様に映った。
だが、もしかすると、かつてのマコトはそう思わせる程の実力者だったのだろうか。
身体が動きを覚えていたお陰で、これまで魔物に対し、上手くやれて来れたのは事実だ。
だが、エルサが期待を掛ける程の無敵感までは、流石に感じていない。
「いや、待って待って。ヘマをしたくないし、確実性を取りたいんだよ。まず、あー……、エルサ。どういう方法で攻めれば、確実性が高いと思う?」
「どうもこうもあるのか? 鼻歌交じりに突っ込んで、魔物を倒して帰って来るだけじゃないか」
「え……何、その……なに? エルサの中で、僕って一体どういう人物に見えてるの?」
「はぁ……?」
エルサは訝し気に首を傾げるだけで、マコトが言わんとする事を全く理解していない。
エルサの中では、マコトはどんな魔物でも、鼻歌交じりに余裕で倒せるものらしい。
そんな筈があるか、と言えたらどんなに楽だろう。
だが、今はそれも憚られる。
エルサはマコトが記憶を失ったと聞かされても、なにかの冗談だとしか思っていなかった。
マコトの身の上に起こった何かなど、まるで知らないのだ。
それだけで姫側の人間じゃない、と判断しても良いぐらいだが、単に計画の深い所まで関わりを持たないだけなのかもしれない。
そしてもし、実際関係ない人なら、この問題に関わらせるべきでもないのだろう。
少しでも知れば即、引きずり込まれる問題とは思わない。
それでも、巻き込まれる可能性は多分にあった。
彼女は善人で、他人の為に危険へ飛び込む事が出来る人だ。
自分の為ではなく、他人の為に動ける人で、その為に食料と薬を欲している。
だから、彼女の事を思うなら、きっと何も知らない方が良いのだろう。
マコトは魔物の方を――今は見えない魔物の方を指差し、懇願するように頭を下げる。
「だから、あー……。エルサなら楽に倒せる方法とか分かるんじゃない……かな、と」
「そりゃ、分からんでもない……というか、お前だって既に分かってるんじゃないのか。後は、そのままやれば良いだけだろう」
――その思い付きがないから、聞いてるんだろうに。
しかしマコトは、そんな事を口にも出さず、押して頼む。
エルサは不審そうに訝しんだが、素直に解説を始めてくれた。
「……だから、【
「あぁ、なるほど。口をね……。素早く動く事を考えたら、まず足を縫い留めて、動揺させた後に使うのも有効かも……」
マコトの独白に、エルサは眉間を寄せて肩を竦める。
「その辺の機微までは分からんよ。だが、……どうした? こんなこと相談して来る様な奴だったか?」
「……念には念を、ね。ここで躓く訳にはいかないし……」
「そうだな、すまん……。無理を言ってるのは、こっちだっていうのに……」
しゅんとして肩を落としたエルサを見て、申し訳なく思う。
彼女にとっては、大事の前の小事、切り捨てられても仕方ないと思っての事かもしれない。
無駄に体力を削らせる訳だし、返せるものもないと思っているだろう。
だが、マコトとしては、新たに魔法を聞き出せた意味は大きい。
報酬というなら、それが何よりの報酬だった。
だから、これもまた互いに益のある取引だ、と言えるだろう。
マコトはエルサの肩を軽く叩き、魔物へ向かって歩き始めた。
「じゃ、やって来るよ」
「あぁ、お前もすぐに見つかるだろうから、まず足止めっていうのは良い線だ。……頼むな」
マコトはこれには答えず、ただ手を挙げて返事とした。
作戦も、手順も決まった。
後はその通りに行動するだけだった。
エルサの期待は高く、マコトが戦うなら余裕と見ている。
だが、戦闘の経験まで失くし、戦勘も無いとなれば、初見の敵は恐ろしいものだ。
単に火を吹くだけの魔物と見れば、痛い目を見る。
城の通路は荒れ果て、バリケードによって多くの道は潰された事も加わり、非常に歩き難くなっていた。
しかし、それは魔物には関係ない。
節足を使って上手く掻い潜るなり、むしろ足場にさえして、接近して来るだろうと予想できた。
「まず、足を潰す……!【
マコトは通路から躍り出ると、魔物に発見されるより数瞬早く、魔法を放つ。
魔物は咄嗟に飛び退き、節足を広げて廊下の壁そのものを足場にしてしまう。
「あー、それは予想外だったな……」
背中で畳んでいた節足は想像以上の広がりを見せ、左右の壁に余裕で届いてしまっている。
そして、その節足は身体を空中で固定できるほど、強固なものであるらしい。
だが、相手がそう来るなら、節足の方を凍らせてやるまでだった。
マコトはいつものスタイルで左手に魔法を、右手に剣を持って構えていた。
いかし、今だけは剣を胸元へ仕舞、両手で魔法を使う。
左右それぞれに【
「ぎっ、ぐる、グルルル!」
フランマルビドも、機敏な反応で回避しようとした。
実際、最初の数発は、その俊敏性を持って躱されてしまう。
だが、一つでも命中し凍り付かせられたら、壁へ縫い留めてやれる。
その思考が透けて見えていたのだろうか。
魔物は魔法を躱して床へ降り、更には壁を蹴って機敏に左右へ動いて魔法を躱した。
「――チィッ!」
躱すだけでなく接近しようともしていて、大きく裂けた口を開けて鋭い牙を見せつけてくる。
まるで、今直ぐにでも齧り付きたいと言っているかの様だった。
マコトは更に魔法の回転率を上げ、左右の手を別々に、八の字を描く様に撃ち続ける。
「……ギッ!?」
そして遂に、一本の節足を壁に張り付かせる事に成功した。
だが、このフランマルビドは火を吐けるのだ。
逃れようと、凍り付いた部分を炎で溶かそうする。
そこへすかさず、口を開く前に【
「よっし……!」
鼻と口を巻き込んで凍らせたので、呼吸さえ出来ない筈だ。
魔物は鼻先を爪先で、引っ掻くようにして砕こうと足掻く。
だが、魔法の氷は、その程度で剥がれるほど柔でないらしい。
自分の鼻先と格闘している間に、マコトは跳ねる様に一足飛びで接近する。
鼻先へと視線を集中させていたフランマルビドは、マコトの動きに対応するには遅すぎた。
マコトの右手は胸に添えられており、次の瞬間には、その手に剣が握られている。
魔物は不格好な形で宙吊りになっていたものの、まだ自由に動く節足は残っていた。
それを振り乱して、マコトの攻撃を妨害しようとしていたものの、息が出来ない状態では混乱の度合いも大きい。
抵抗は微々たるものだった。
楽に掻い潜ってその腹に剣を突き刺し、振り抜きつつ、そのまま駆ける。
胴体の半分近くを易々と両断し、鮮血と共に内臓が溢れ落ちた。
悲鳴を上げたかろうとも、塞がった口ではくぐもった声しか上がらない。
マコトは急停止して戻り、今度は背中側から斬り裂いた。
胴体が両断されて、下半身は床に落ちる。
それでも節足は構わず暴れようとするのは、さすがの生命力だ。
凍り付かせて無力化すると、残った上半身も、念の為に首を落として絶命させる。
魔物は死んで間もないならば、体内に残っていた卵が孵化するケースがあった。
だから、油断なく痙攣する身体を見定め、完全に停止するまで見守った。
「……大丈夫そうか」
どうやら、体内に残っている卵はないらしい。
魔物が出入りを繰り返してウロウロしていた部屋は、ここからも卵の様子が良く分かる。
床は言うに及ばず、机の上や棚の側面など、少なくない卵が辺りに産み付けられていた。
卵は全て産み落としていた、そう見て良さそうだった。
いっそ今の内に炎を使って、一掃してしまった方が良いのだろうか。
しかし、それをやると、今も無事かもしれない食料や薬が無駄になってしまう。
「どうしたものかな……」
魔物の卵は孵化前だとしても、危機を感知する能力を持つ。
迂闊に手を出せず困っていると、エルサが背後から、喜悦を満面に表わしてやって来た。
「流石だな! 全く危なげない勝利だったじゃないか。……しかし、どうした。部屋の方はどうなんだ?」
「見てのとおり。卵に触れずに入るのも、移動するのも難しそうだし、どうしたものかと困ってたところ」
「何……? ならば、あれらも凍らせてしまえばいい」
自明の様にエルサが言ってきて、マコトは困った様に唸りを上げた。
一つを傷つければ、他も一斉に孵化を始めるのが、魔物の卵だ。
【
だが、マコトの扱える【
「別に困らんだろう。孵化したばかりの魔物は弱い。お前の敵じゃないし、そもそも静かに凍らせていけば、問題ないと思う。私も手伝ってやるから」
「……使えるの?」
召喚術士じゃないのか、という意味で問い返せば、不満も顕に唇を突き出した。
「馬鹿にするな! それぐらい使える! むしろ、お前ほど強力じゃないからこそ、静かに処理するには向いてるぐらいだ」
「……なるほど、そういう見方もあるのか。じゃ、頼むよ。協力してやろう」
「うむ。せめてこういう所で働かねば、申し訳も立たんからな」
言うなり自ら先に進み出て、入り口付近の卵を率先して凍らせていく。
入ってすぐの所にあった、机上などにも卵は産み付けられていた。
しかし、エルサが言ったとおり、彼女の魔法に影響されて孵化する様子はない。
自信満々に言うだけあって、その先見は確かなものであったようだ。
そうとなれば、余計な邪魔をして妨害する訳にはいかない。
マコトもまた慎重に魔法を駆使しながら、卵を次々と凍らせていく。
そうして一通り作業が終わって安全を確保すると、エルサは部屋の最奥に配置された棚を、慎重に吟味し始めた。
程なくして幾つかを手に取ると振り返り、その顔に満面の笑みを浮かべる。
「あった、あったぞ! やはり、薬はあった! 瓶詰めの方も無事だ。しっかり密閉されてるから、匂いも漏れてなかったらしい。……いや、もしかしたら、この匂いだからこそ、奴らは口にしなかったのかもしれない。酢漬けやオイル漬けは、お気に召さなかったか!」
「大丈夫? それ全部、運べる?」
「なに、このくらい……!」
両手に持っていた瓶を胸元に近付けると、ペンダントがきらりと光り、その中へと次々収納されていく。
どうやら、マコトが使う鎧と同じ様に、物を収納できる道具であったらしい。
ならば、何度も往復する危険を冒さずとも、無事に食料を持ち帰る事ができそうだ。
「さて、お前はどうする? 此度の功労者を、ぜひ皆に紹介したいんだが……」
「いや、先を急ぐよ。あまり……のんびりもしてられないしね」
「そう……、そうか……。いや、世話になった。今は礼を言うぐらいしか出来なくて、実に心苦しいんだが……」
「いや、大丈夫。その気持ちだけで十分。それじゃ、行くから……」
「あ……!」
返事を聞くより早く、マコトは踵を返して、部屋を出て行った。
何かまだ言いたいことがあったろうとは、その背を掴もうと伸ばした所からも分かる。
だが、マコトはそれを振り切り、逃げる様に駆け出した。
――逃げるように、ではない。
実際に逃げているのだ。
彼女の喜ぶ顔を、直視し続ける事が辛いから、逃げざるを得なかった。
その時、脳を揺さぶる感覚がして、念話で繋がる。
相手はシュティーナだとは、すぐに分かった。
そしてそれは、今のマコトにとって、最も聞きたくないと思っていた声に違いなかった。
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