猜疑と不安の波間で その8

「良かった……。相当危険な綱渡りだったろうし、無事じゃ済まないと思ってたんだ」


『問題ありません。三階に居た魔物は、粗方連れ出せたので、そちらの移動もスムーズに行くかと思います。付いてきた魔物も、上手く撒けたかと……。ただ、一つ注意が……』


「注意?」


『そちらにエルサ・ルンドグヴィストがいるのを見掛けました。接触は避けて下さい』


「いや、もう遅いかな……」


 そう言って、不思議そうな顔付きで見つめて来るエルサに、何でも無いと手を振る。


『彼女は有能な人材で、国の深部にも関わりある人物です。多岐に渡る召喚術の使い手でもあります。魔法陣を用いなければ、その多岐についても多くを封じられている状態ですから、戦力としては怖くありませんが……』


「なるほど、召喚……」


 ――その声が聞こえた瞬間、蘇るものがあったのは、そういう事だったか。


『深部まで関わっていた彼女だからこそ、あなたの勇気ある行動には反対するでしょう。つまり、姫様側の人間です。接触は避ける方が、賢明と思われます』


「あぁ、うん……。忠告は有り難いけど、もう目の前にいる……」


 一時の沈黙が漂い、会話が止まる。

 返答がない代わりに、溜め息をついていそうな雰囲気は伝わってきた。


『ではせめて、それ以上関わらず、即座に別れて下さい。もしも何か協力を要請されても、断るべきです』


「それは……また、どうして?」


『姫様と直接的に今も繋がりがあるかどうか、それは分かりません。ですが、あると思って行動する方が良いでしょうし、それがあなたを利する行為だと確信するからです』


 エルサに記憶が無いと正直に告白した時、彼女はまるで信じていなかった。

 小馬鹿にされたとでもいう態度で、冗談を聞いている余裕はないとも言っていた。

 それを考えると、ケルス姫と今も深い繋がりがあるとは思えなかった。


 もしも今の態度が演技で……と考えていけば、何もかもが信じられなくなってしまう。

 見たこと、聞いたこと、感じたこと、それら全てを疑っては何も決められない。

 そうした思考の袋小路に嵌った事は、実際これまでに幾度もあった。


 その度に立ち止まり、方向を見失い、自分をも見失う位なら、自分の直感こそを信じてみるべきかもしれない。

 記憶を失ったとしても、個としてのマコトは失っていない。


 判断基準の深い部分は、今も変わらず残っている筈だ。

 それを信じて行動する事が、即ちマコトの信念を根底とした行動となるだろう。


「シュティーナの言いたい事は分かった。でも、どうするかは、自分で決めるよ」


『……畏まりました。最終的な判断が狂わない限り、どうするかは勿論、マコト様の自由です。……ですが、忠告だけはさせて頂きます』


「うん、それでも良い。とにかく、誰を信じるか、何を聞くか、何を捨てるかは自分で決める」


『……はい。でも四階、姫様の居室で何か有益な物がないか、探しに行くのは急いで下さい。こちらでも、何か他に有用な支援が出来ないか、探しておきます』


 それを最後に、念話は途切れた。

 既にマコトから離れ、また奥の通路の様子を見守りに戻っていたエルサは、再びチラリと視線を寄越してくる。

 先程から、何をそこまで執拗に探っているのかと密かに気になっていたので、視線に誘われるまま傍に近寄った。


「何をしていた。……念話か?」


「うん、そんなとこ」


「まぁ、こんな時だ。お前の様な奴は、今も頼りにされて動かされているんだろうさ。……その頼りついでに、こっちでも一つ頼まれちゃくれないか」


 エルサが何を言いたいか、通路の奥を覗き込んですぐに分かった。

 そこには一体の魔物がいる。


 それはアルビドに良く似た姿だった。

 しかし、トサカを持ち、そこから炎を揺らめかせている点と、一回り肥えた様に大きな点が違っている。


 その魔物が、ある一室前に陣取り、部屋の出入りを繰り返しては、何かを探すように動いていた。

 角度的に見辛いものの、室内には卵までもあるようで、それを守るために警戒しているのかもしれない。


「あれは……?」


「フランマルビド……そう、呼称されている。頭を燃やしてる馬鹿っ炎を見れば分かるだろう? あいつにゃ火が通用しない。それだけじゃなく、鋼も中々通らない相手だ」


「火と鋼……つまり、剣の攻撃も有効じゃない?」


「火よりは通じるけどな。単に表皮……或いは鱗か? それが硬いっていうだけの話だから。自分の炎で焼かれないよう、便利な身体の構造をしている所為なんじゃないのか」


 筋肉の上に乗る脂肪など、そういった表皮までの間に、断熱材めいた組織があるのかもしれない。

 その為に、斬りつけたとしても、筋肉や骨に到達しない。

 だから鋼は通じるものの、有効そうに見えないのだろう。

 それこそが、鋼に強いという真相に思えた。


「それは……何となく分かったけど、何でアレを倒したいの?」


「……あそこには食料がある。瓶詰めにされた備蓄食料の一部が、あそこにあるんだ。それに、薬だってある筈だ。壊されていなければ……、多分」


「魔物って何でも食べるんでしょう? もう無くなってるんじゃ……」


 マコトの素朴かつ残酷な質問には、否定の言葉が返って来た。


「そうとは限らない。奴らが喰らうかどうかの判別は、魔力があるかどうかだ。より多く含有しているものがあれば、まずそちらに喰い付く」


「……なるほど。瓶の中身に魔力があっても、瓶が遮断しちゃって食い付こうとしない、と……。じゃあ、今も残っているかもしれないとして……何で、さっきからアイツは不自然に出入りなんかしてるの……?」


「私が姿を見せたからだ。私という獲物を追うか、それとも卵を守るか、それに迷う素振りを見せている。それがあの行動の正体だろう」


 魔物は特に、女性の肉を好むという。

 そこへエルサが姿を見せたからには、魔物の目には格好の獲物として映っただろう。


 だが、それならばもっと騒ぎ立て、しつこく襲って来そうなものだ。

 そうでないとすれば、あの魔物は、卵を守る本能の強い個体なのだろうか。


「お前が何を考えているか分かるぞ。どうして襲って来ようとしないのか? 餌を見つけて、魔物が我慢するものかってな。……それは、私がヘマをしたからさ」


「ヘマ……」


「本来なら召喚した従魔に、囮として動いてもらうつもりだった。あれも魔力を有する存在、喰らいつこうとすると思ったんだ。……その間に部屋へ忍び寄り、目的の物を持ってすぐ逃げるつもりだった。バリケードもあるし、上手く撒けるよう配置したつもりだった」


「あー……でも、ヘマしたっていう事は……」


「部屋に入るより前に気付かれた。何とか逃げられたが、従魔も失うし、魔物の警戒心は強めるし、最悪だ……」


 まさに踏んだり蹴ったり、といったところか。

 この魔物蔓延る城内で生きていこうと思えば、確かに食料や薬の確保は必須だろう。

 エルサが多少の無茶をしてでも、魔物を出し抜こうとリスクを冒す気持ちも分かる。


 だが、魔物は女性の肉に対して敏感なのは良く知るところだ。

 彼女にしても賭けだったのだろうが、その賭けに負けてしまったのだろう。


「その、従魔はまだ呼べるの?」


「無理に決まってるだろ。新たに召喚契約を結ばねばならんのに、今はその魔法陣まで向かえるものか。とんだ自殺行為だ。大体、今もまだ無事に機能するかも分からんのだぞ。そんな賭けに出たところで……」


 そこまで言って、エルサは口を噤んだ。

 従魔というものを正確には知らないが、兵の代わりをさせられる存在ではあるのだろう。

 だが、本当に頼もしい存在なら、そもそもやられたりしていない。


 それこそ魔物を打ち倒し、悠々と望みの食料や薬を確保して帰還できていただろう。

 だが、どうやらエルサが扱えるレベルの従魔とは、囮役として使える位でしかなかったらしい。


 作戦は失敗したが、それでもエルサは諦めきれず、こうして魔物が部屋から移動しないかと窺っている。

 その辛抱強さには、頭が下がる思いだった。


「さっき魔物の大移動があったからな……。だから、あれも一緒に動かないかと期待してたんだが、動こうとしつつも卵の方に戻るを繰り返してる。私が迂闊に仕掛けていなければ……、くそっ……!」


「あぁ、なるほど……」


 マコトは同情めいた声音で息を吐いた。

 匂い袋か何かを使い、シュティーナはマコトが行動し易いように、三階の魔物を釣り出していた。

 その行動より幾らか前に、エルサが先に仕掛けていたのだろう。


 もしその行動を遅らせていたら、他の魔物同様に釣られていた可能性もあった。

 それを理解しているからこそ、諦め悪くこうして機会を窺っていたのかもしれない。


「……うん、事情は分かった。でも、下手にあそこに拘るより、他を探した方が良いと思うけど……」


「あそこ以外に無いんだよ。部屋を幾つも引っくり返したんだから、それぐらい知ってる。仲間は魔物の氾濫で多く失ったが、まだ残ってる奴らもいる。動けない奴だって……。そいつらの為にも、持って帰ってやんなきゃ……」


「仲間の為……、だったのか」


「お前がこんな所にいる理由は知らん……が、お前の事だ。いつだって、大変な時には頼みにされていた。今だって、事態の解決を図って動いてるんだろ? 多分、根本的な解決の為に。もしかしたら、それで全員が救われるのかもな。だが――」


 エルサはそこで一度言葉を切って、改めてマコトに視線を合わせる。

 そうして一拍の間をおいて、頭を下げた。


「いつ終わるともしれない解決を待っているのは無理だ。あいつらには薬が必要だ。助けてやりたいんだよ。どうか、少し時間を割いてくれないか。お願いだ」


「う、ん……」


「あいつらは私の作戦に同意してくれた奴らなんだよ! 階下か階上へ逃げれば助かったかもしれないが、ここでバリケードを作って、それ以上侵入させない努力をした奴らだ! 馬鹿な私に付き合った負傷だ。死なせたくないんだよ!」


 詰め寄り鎧の胸当てに手を当て、縋るように頭を下げた。


「頼むよ。生かしてやりたいんだ。魔物に喰われなくとも、このままじゃ死んでしまう……! 薬がいるんだ、食料も……ッ!」


「うん、分かる。分かるけど……」


「お前が上手くやっても、即座に魔物が消え去ったりしないだろ? 掃討戦とか……、とにかく色々ある筈だ。それまであいつらも、黙って待っているしかない。けど、あいつらに待てる時間なんて無い!」


 エルサの声は必死だ。

 どうにか繋ぎ止め、マコトの意志を変えようと言葉を重ねている。


 最初から乗り気じゃないとは見透かされているからこそ、彼女は必死なのだろう。

 そして食料も薬も、決して自分一人で閉じこもって生きる為に必要だから、求めた訳ではなかった。


 仲間の命を――仲間を思うが為に、危険を冒してまで手に入れたいと、思ったからだった。

 そこまで必死に願われては、マコトもただ横を通り過ぎる事は出来ない。

 ――まぁ、そうなるだろうとは思った。


「……分かった、協力する。でも、あの魔物については良く知らない。もっと詳しく、教えてくれないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る