猜疑と不安の波間で その7

「愛しいマコト……。そこにいれば安全です。危険な目に遭わずに済むでしょう。だからしばらく、そこで大人しくしていて下さい」

「な、何を……!」


 扉越しから伝わる声には労りがあり、そして憐憫までが感じられた。

 ドアノブを捻ってみても全く動かず、力ずくで叩きつけても、木製の扉に小さな罅すら出来ない。


 ケルス姫が何かをしたとしか思えなかった。

 たとえばドアを固めてしまうなど、周囲のバリケードにも使われている魔法を、ここにも使ったと思えば説明も付く。


「何だ、何をしたんだ……!」


わたくしがしたいのは、あなたが犯す過ちを防ぐこと……。この国の姫として、最後に残った王族として――為政者として、やるべき事をします。その邪魔をしないで下さい」


「邪魔なんて……! そもそも――」


「全てを終わらせた後で、また会いましょう。終わらせるまで止まらない、そう言ったのはあなたです……。ならば、それまでここで大人しくしていて下さい。そして、どうか信じて……。わたくしは、あなたを死なせたくないだけ……」


「何を、勝手な……」


 切なげに言葉にはケルス姫の本音と、そして覚悟が見え隠れしていた。

 扉越しに聞こえて来る声は聞き取りづらい。

 それでも、痛いほどの覚悟がそこから読み取れてしまう。


「――では、手筈通りに。参りますよ」


『ハッ!』


 最後に掛けた言葉は、明らかにマコトに対してではなかった。

 返答した声は三人……そして、踵を返し、遠退く足音は四人分だ。


 恐らくは、彼女の護衛――近衛などが傍に控えていたのだろう。

 これまでケルス姫が、どうやって生き延びていたのか不思議に思っていた。

 だが、答えを知ってしまえばどうという事もない。


 そもそも一人ではなかったのだ。

 王族ならば、これ程の災厄の時、傍で身を護る兵がいて当然だった。

 彼女自身に戦う力があろうとも、だからといって、その身一つで動く筈もない。


 最後の王族に対する護衛としては少なく思えたが、災厄の発生からここまで、幾度もの戦闘があったとは容易に想像つく。

 そして、そこまで数を減らしてしまった。

 それでもケルス姫と近衛は、己の信念の元に何事かをするつもりでいる様だ。


 ドアを叩く形で固まっていたマコトの手が、力なく落ちた。

 マコトは呆然として、何を考えるべきなのかも分からない様子だった。


 ――何と言って良いかも分からない。

 ケルス姫は純粋に、マコトの身を案じている様だった。

 そして、マコトの自爆を防ぎたいと思っているらしい。


 だがそれは、単に国益を優先しただけに過ぎないのではないか。

 国の消滅を防ぐ為であって、その為に思い留める策として、案じる言葉を吐いただけなのかも。


 為政者という言葉が、彼女の口からも出てきた。

 国益、国体の守護、それを何より優先するのが、王族という存在だろう。

 だから、マコトの行動は看過できず、国と魔物を諸共滅ぼす手段は許容できない。


 記憶を奪った理由も、そこにあるのかもしれない。

 だが、この部屋に留めておきたい、という言葉には心からの配慮があった様に思う。

 死なせたくない、という彼女の言葉もまた、真の真心から出た言葉の様だった。


「どうすればいいんだろ……」


 どちらの言い分を、信じるべきなのか。

 シュティーナもケルス姫も、その行動の根幹には強い意志が伴っている。


 かつてのマコトは覚悟を決めたらしいが、今のマコトは違う。

 そこまで確固たる意志を抱いていない。


 死にたくないと思うし、生きられる希望があるのなら、それに縋りたいとも思うのだ。

 ケルス姫の言葉は、マコトの固まり掛けていた決意を緩めてしまった。

 ――或いはそれこそが、狙いだったのだろうか。


 記憶がないのだから、確固たる意志がないのも当然。

 揺さぶりは有効だと、聡明な者なら気付けただろう。

 だからケルス姫は、留まるしか無い理由を作り上げて来たのだろうか。


 思い留まれば……。

 少しでも、疑念を植え付けられれば……。

 それが狙いでやったのだとしたら、実に有効だったと言う他ない。

 そこまで考えてやったのなら、大した策士と評すべきなのだろう。


 マコトはやるせない気持ちを、外へ追い出す様に溜め息をつく。

 どこまでも力ない動作で拳を持ち上げ、ドアへ打ち付けた。

 二度、三度と叩く度に力が増していき、次第に熱が入って来ると、蹴りまで加え始めた。

 だというのに、扉にはヒビすら入らず、小揺るぎさえしない。


「どうなってるんだ、これ……」


 あまり強く叩き続けると、要らぬものを呼び寄せてしまう可能性がある。

 強固に閉じられているから、魔物とて入って来る事は出来ないとは思う。

 しかし、注意するに越したことはない。


「そうだ、逆側の扉……」


 片方を封鎖しておいて、もう片方が無事という粗末さは期待できない。

 それでも、マコトは確認するだけはしておきたかった。

 そして案の定、扉は鍵ではない何かによって、封鎖されていると分かった。


「どうしたものかな……」


 部屋の中に窓はなく、完全に密閉された空間だ。

 元々置いてあった家具などは運び出され、バリケードに利用された様なので、本当に何もない。

 床には椅子やテーブルで付いた凹みや、色あせが出来ている部分などが見えていて、歓談の為に用意された部屋なのだと分かる。


 こんな部屋では、有事の為に残しておいた物も期待出来ない。

 マコトは部屋の中を探るように、ゴツゴツと床板を鳴らすながら歩き回る。


 ただ黙って座り込んでも、事態は決して好転しないだろう。

 頼みの綱と言えるのはシュティーナだけだが、彼女も苦労の最中だ。

 こちらから呼び掛けも出来ず、助けを呼ぶにも時間が掛かるだろう。


 マコトは落ち着きなく、部屋中を歩き続ける。

 その度にグリーブが床板を蹴りつけ、そして擦り切れるような浅い傷を残していく。

 腕を組みながら外周をグルリと周ったところで、その傷跡に気付いた。

 マコト自身が残した、グリーブの痕を。


「まさか……」


 更にゴツゴツと床板へ爪先を落とせば、そこに新たな傷が付く。

 先程は扉相手に殴りつけても、一切の傷が付かなかった。


 これが魔法で封じられているものだとして、扉だけを守っているとは思えない。

 部屋一室まるごと封じていると考えるべきで、扉が駄目なら何処も駄目と思っていた。


「せいっ!」


 マコトは扉から離れた壁を殴り付けてみたが、派手な音は立てても傷一つ付かない。

 封印の魔法は、部屋全体に掛かっているとみて間違いなかった。


 だが、魔法の効果はあくまで外周だけに過ぎず、上下には働いていない可能性がある。

 抜け出そうと思えば、床をひっぺ返すのも有効かもしれない。

 だが、この下がどういう構造になっているかも不明で、下手をすると二階へ突き抜ける。


 そして、今の二階は、三階にいた魔物まで流れ込んでいる場所なのだ。

 迂闊に底を抜いて落下でもしたら、ひしめき合う魔物の中心に、身投げする事になるかもしれない。


 シュティーナの献身が無駄になるし、そんな馬鹿で窮地に陥れば、泣くに泣けない。

 だから、目指すとするなら、上方にするべきだった。

 部屋の形は正四角形で、足場になる物も無く、天井までは高くて手が届かない。


「まさか燃やしてしまう訳にもいかないし……」


 いよいよとなれば、それも最終手段として考慮しても良いだろう。

 燃えるかどうかも疑問だが、もし有効だったら煙で一酸化中毒になる危険もある。

 やはり、初手から打つべきものではなかった。


 壁には穴も空いてないし、足がかりと出来る部分がない。

 傷も付かないので、その為の穴を空ける事も出来なかった。

 というより、穴を空けられるなら、素直にそこから出れば良い話だ。


 マコトはやおら部屋の角へ目を向け、壁の感触を確認してから十歩ほど下がる。

 そして助走をつけて走り出し、まず左足で壁を蹴り上げ、次に右足を逆側の壁へ蹴りつけると、そのまま天井に向かって拳を振り上げた。

 激しい衝撃音と共に、天井はあっさり砕かれ穴が空く。


「やっぱり……!」


 一度穴が空いてしまえば、次からはそこに手を掛けられる。

 同じ要領で穴を拡大させてしまえば、そこから登る事は難しくなさそうだった。


 そうして何度か殴り付け、穴を広げて天井裏に頭を突っ込む。

 すると、そこにはひと一人が這って進める程の、上下に狭い空間が広がっていた。

 三階と四階の狭間となっていて、それこそ小型の魔物なら棲み着いていても、おかしくなそうな雰囲気を発している。


 明かりは当然ないので、見通しは利かない。

 だが、壁らしきものも無く、支柱となるもの以外に遮る物も何もないように見えた。


 そのまま四階の床下を打ち抜いて、外に顔を出しても良いものだろうか。

 出た先が魔物の巣の中心かもしれない事を考えると、開けた穴の先の安全を、先に確認しなければ出られない。


 そして上の階の床を打ち抜くとするなら、その穴から魔物が雪崩込んで来るかもしれないのだ。

 その危険を考えれば、下手な博打を打つべきではなかった。

 四階への直行は諦めた方が良さそうだ。


 狭間の中を進んで部屋の外となる場所まで移動し、そこで穴を開けて三階に降り立った方が良いだろう。

 マコトは這ったまま幾らか進み、再び拳を振り下ろして穴を空ける。

 そこから外を窺う限りは魔物の姿もなく、安全そうに思えた。


 判断が付くと行動は早い。

 穴から頭だけ出して、その縁に両手を掛けると身体を投げ出す。

 身体が半分ほど抜けると反転させて、逆上がりを逆再生するように、足先から床へ降り立った。


 本来ならば、もっとよく確認してから行動に移すべきとも思う。

 しかし、シュティーナが魔物を引き付けられる時間にも、きっと限界はある。

 見事、逃げおおせたとしても、獲物を見失ったなら、魔物は元の場所に帰って来る筈だ。

 いま魔物の姿が見えないのは、一時のボーナスタイムに過ぎない。


「慎重になり過ぎる贅沢は出来ないんだよね……」


 素早く左右を見渡し、魔物の姿が見えない事を確認してから動き出す。

 どちらへ進めば四階かも分からないまま、一つの通路を曲がった先で、一つの人影を見つけた。


 ――人だ。

 それも、生きている人だった。

 後ろにいるマコトに、その人影は気付いていない。

 そしてその人影は、通路の角に隠れて少しだけ顔を出し、その先の様子を窺っている。


 ローブ姿な為、後ろ姿だけでは性別まで分からないが、物腰から女性という気がした。

 何故こんな場所で、という気持ちと、よく無事で、という気持ちが心の内で鬩ぎ合う。

 声を掛けようとしても、警戒している人の後ろから声を掛けるのは、驚かせるだけで済まない気がする。


 ローブ姿というからには、きっと魔法も使えるのだろう。

 安易な声掛けは、咄嗟の攻撃を誘発してしまいそうだ。

 しかし、いつまでも通路の奥を警戒している人の、後ろ姿を見ている訳にもいかない。


 マコトが困ったように立ち尽くしていると、人影の方からマコトの気配に気付いてくれた。

 うっそりと背後を振り向き、そして盛大に肩を持ち上げて驚く。


 声を上げなかったのは、魔物の習性をよく理解しているからだろう。

 必死に押し殺した声が形にならず、顔を真っ赤にさせて体を震わせている。

 そして、マコトの姿と正体に気付くと、その顔に驚きと怒りが綯い交ぜになった形相が浮かんだ。


 口をぱくぱくと動かした後、今しがた覗き込んでいた通路の奥を、もう一度確認してから近寄って来る。

 顔を寄せ、声も小さく、明らかに怒気を纏わせながらぶつけて来た。


「なに考えてるんだ……! ひとの背後に黙って立ってるだと……!? 正気なのか!? 心臓が喉から飛び出るかと思ったぞ!」


 その声を聞いた瞬間、脳裏に閃くものがあった。

 いや、それは閃くなどという言葉とは、根本から違う。

 目前が黒く覆われ、視界が一色に染まり、椅子に座っているかの様な不思議な錯覚を覚える。

 身体が浮遊感を覚えると同時、そこに声が聞こえてきた。


 ――君はここに、召喚されて来たんだ。

 ――いや、違う。ここはニホンという場所からは、遠く離れているだろう。

 ――現状を破却する為、都合の良い存在を外に求めた。その結果が君だ。


 黒一色は一瞬で過ぎ去り、耳に聞こえた音も同様に過ぎ去る。

 その時聞こえた声の主は、目の前にいる人物で間違いない。

 マコトが呆然と見つめていると、彼女の方から胡乱げな視線を向けられた。


「なんだ、どうした? 突然固まって……」


「あぁ、いや……。大した事じゃないんだけど、まぁ……ここに来るまで結構苦労が……」


「そうだろうとも!」


 鼻息荒く頷いて、その人物は頭を覆っていたフードをどかし、その顔を顕にさせる。

 予想したとおり、ローブの中身は女性だった。

 ラベンダー色の髪を後ろで二つに括っており、学者風の身なりで、目には知性の色が窺える。

 しかし今は、それを押し退けて怒りの色が多分に含まれていた。


 二十代前半に見え、大人びた話し方はその風貌とも良く似合っている。

 驚かされた事に怒りつつも、マコトを拒絶せず近寄ってきたところからして、知り合いであるのは間違いない。


「苦労して貰わねば困る。このバリケードによる迷路は、私が作ったのだからな」


「あぁ……。え、君が……?」


「待て。……何で他人行儀なんだ? いつもの様に呼べ」


「いやー……、それが……」


 マコトが口ごもると、その女性は訝しげに首を傾げた。


「なんだ? このエルサの名前を、忘れたと言うのではあるまいな?」


「いや、まぁ、うん……。忘れてた」


「馬鹿も休み休み言え。そんな冗談に付き合ってる余裕はないんだ」


 エルサの表情と態度は、悪い冗談を聞かされたとしか思っていない。

 取り合う事なく鼻を鳴らして、近付いた分だけ身体を離す。


 何と返して良いか分からぬまま、曖昧に謝罪して、マコトは事情を聞こうとした。

 その時、マコトの脳を揺らす感覚があって、いつもの念話だと即座に気付く。

 非常に不愉快という点を除けば、既に慣れたものだ。


 待ち構えていると、繋がった相手の声が聞こえて来る。

 相手がシュティーナだと分かると、マコトは安堵の息を吐いた。

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