第三章

複数の真実に明瞭はなく その1

『あなたの行動は、実に称賛されるべきものでした。食料の調達、薬の確保……。勿論、それらを欲する彼女に、手を貸すのは正しい行いです』


「見てたのか……」


『そんな訳ないじゃないですか。二階に居ながら、どうやって見ると? そうではなく、エルサを目撃した時、備品室の傍にいると気付いていました。バリケードの隙間からでも、彼女が部屋に踏み込みたいという意思は、十分伝わってきたものです。そこから推測したに過ぎません。ところで、今はどちらに? もう四階階段付近まで到着したのでしょうか?』


「いや……」


『そうでしょうね。助ける事を選ばずにはいられない。それぐらい分かろうというもの。……あぁそして、彼らは生を繋ぐ希望を見出し、喜んだでしょうね。食料を持ち帰った彼女に、称賛と感謝を伝える。――全てが、吹き飛ぶとも知らず』


「やめろ……!」


 マコトは声を荒らげて、シュティーナの言葉を遮った。

 もしも付近に魔物が居たら、呼び寄せかねない、遠慮のない声量だった。


 ――当然か。

 どこに魔物が残っているか分からない状況で、みだりにする行為でないと分かっていても、抑え切れなかったらしい。


『あなたには言っておきましたよね。接触を避けるようにと。それが出来なければ、深く関わり合いになるべきでないと。何故そんな事を言うかと、少しでも考えてみたでしょうか』


「考えたさ……。考えは、した……」


『納得……でしたか。勿論、大事なことです。ですが、この世に地獄を生み出さない為には、非情な心が必要なのです。生存者が一人ならば、呑み込めたでしょう。でも、多くの者が助けを欲すると知ってしまった。情が移れば――』


 シュティーナの説教とも、説得とも取れる言葉を、マコトは全てを言わせず力なく遮る。


「分かってる。解決する一番の近道は、結晶剣の爆破だ。でも、だったとしても、最終的にそれを選ばざるを得なかったとしても……、見過ごせなかった……!」


『行いそのものは尊い。ですが、もし姫様が今後エルサに接触したら……。その時、どう転ぶと思いますか?』


「さぁね……。ケルス姫のする事なんか、分かる筈がない。何をしたいかも、何一つ分かるもんか……」


『あなたが何を爆破するつもりか、それを暴露するのは間違いありません。ケルス姫は強力な味方を得られますね。仲間の為、せっかく繋いだ命と安全の為に、エルサは結晶剣への実行を認めない。まず、妨害しようとするでしょう』


「妨害させたい、味方を得たい……。それを望んでいるなら、とうに接触しているんじゃないか。姫はこのフロアにいたんだ。だが、エルサにそんな素振りは見えなかった」


 シュティーナから即座の返答がない。

 言葉を選んでいるのか、それとも言葉に窮しているのか……。

 暫くしてから、言葉が返って来た。


『そうですね……、見えるものだけが真実とは限りませんが……。あなたを妨害する機会がなかった、それだけの話かもしれません。例えば、手伝わせたお礼と称してどこかへ連れ込み、油断しているところを……。そういう腹づもりであった可能性もあります』


「……それは、余りに穿ち過ぎじゃないのか」


『姫様が何をするつもりか分からないと、ご自身で言ったばかりではないですか。それに、あなたを止めようにも、正攻法では勝ち目がないと、エルサにも分かっているでしょう。そして、シュティーナの名を騙った裏切り者は、召喚士でした。エルサもまた召喚士……、これが単なる偶然なら良いですね』


「迂闊な行動だった――そう、言いたい事は分かった。……今後は、自重するよ」


『ご理解頂けて何よりです』


 叱責めいたお小言は、それで終了となった。

 シュティーナが言うように、ケルス姫との関係を匂わせない形で、裏をかくつもりだった可能性はある。


 エルサはマコトの実力を高く評価していた。

 正攻法では太刀打ちできないと考えるだろう。

 その為に、マコトに対して一芝居打ったのだとしたら、大した役者という他なかった。


 エルサは全くの善人に見えた。仲間思いで責任感の強い女性だと。

 それが実はケルス姫の手先だったかと思うと、心が重かった。

 いっそ彼女の為人を知らずにいたなら、敵に回っても気にしなかったろうに……。


 だが、不幸中の幸いとでも言うのか。

 どこへ行くつもりかは伝えてないので、先回りされる心配がない。

 それだけが、今は心の救いだった。


 その時だった。

 足音を隠しながらも、何かが近付いて来る。

 魔物ではないと、その足音からすぐに察せた。


 何より、先程まで一緒にいた相手なのだ。

 それが誰なのか、振り返らずとも分かる。


 ――問題は、どういう理由で追い掛けて来たのかだ。

 振り返ろうとした時に、シュティーナからの念話が切れる。

 勝手をした後始末は自分で付けろ、という表明なのかもしれなかった。


 逃げるのも一つの手だったかもしれないが、マコトはゆっくりと近付いて来る足音を待つ。

 道の角から顔を覗かせたのは、予想通りエルサだった。

 待ち構えていたマコトに若干の驚きを見せたものの、同時にホッともしていて、気軽な調子で近付いて来た。


「あぁ、良かった……! 追い付けないかも、と思ってたんだが……。こんな所で立ち止まって、どうしたんだ?」


「いや、何というか……」


 周囲には魔物も居ないし、バリケードも無い。

 立ち止まる要素のない場所だ。


 エルサの疑問は当然なのだが、まさかシュティーナと言い争いをしていた、などと正直に言えない。

 警戒心を表に出さないように注意しつつ、返す言葉に困っていると、エルサこそ困った顔に笑みを浮かべて手を振った。


「いや、悪かった。別に詮索するつもりじゃないんだ。ただ、やっぱりあのまま行かせたんじゃ、受けた恩に対して余りに不義理かと思ってな」


「いや……、別にいいのに……」


「とはいえ、こっちも何か渡せるほど余裕はないんだ。だから、渡せるものは情報だ。もし、四階へ行こうとしてるんなら……」


 直前に考えていた事を思うと、行き先を知られる要素は、極力排除したい。

 しかし、よくよく考えてみると、マコトの行き先候補はそう多くないのだ。


 エルサが四階を口にするのは、むしろ今の状況からは出て当然の推論だろう。

 そしてエルサは、少し困った顔をさせて言った。


「ちょっと、苦労があるかもしれない」


「……どういう意味?」


「いや、あれらバリケードの事なんだが、そもそも道の封鎖を魔法でされてるのを見て、思いついてやった事だったのだ」


「誰か別の人が、事前に道を封鎖していた?」


 エルサは憤懣やる方ない、といった様子で頷く。


「そう、全く何考えてるんだか……! 自由な逃げ道が無くなったんだってんで、籠城するしかなくなった……そういう部分もある。……で、魔物を遠ざけられないものかと、苦肉の策でバリケードを張って迷路にした」


「なるほど……。それで、被害は抑えられた?」


「まぁ、流石に全てをというのは無理だったがな。何が何でも押し退けて入ろう、という魔物が少なかったのも幸いした。動けない怪我人もいて、そいつを抱えて長い移動も無理だった。何処かで休めなくてはならなかったし、どうせ籠城するしかなかったんだが……。まぁ、何とかなった」


「魔法で塞がれている場所も利用して?」


「あぁ、そうだ……。とはいえ、そういう場所は多くない。最初は邪魔としか思っていなかったんだが……」


 そこまで言って、エルサは壁に向かって手を翳す。

 単なる壁にしか見えていなかったものが、水滴を垂らしたように揺らぐ。

 すると、次には扉が姿を表した。


 魔法による……というのは、壁を作り出して塞ぐという意味だけはなかった訳だ。

 壁に見せ掛けて通行出来なくさせる、という効果もあったらしい。


「こういう具合に隠されてる場所もあって、だから魔物も見事に騙される。……まぁ、私らもそういう場所に隠れてるよ。そういう意味じゃ、助けられてもいる。それにこれは、元の構造を理解してる人にとっては、妨害にならないものだ」


「それは、手を翳すだけで無力化できるの?」


「まぁ、翳すだけっていうか、魔力を伝えるのさ。魔法が使えるなら、訳もないだろ?」


 これにマコトは首肯だけで応える。

 そして、改めて思った。

 何を考えてるんだか、というのなら、これはマコトに対する備えになっているのだ。


 王城を知る筈もない魔物に対し、この罠は正常に作動する。

 壁を壁のままと認識し、上手く誤魔化せているのは、エルサの言からも確かなようだ。


 しかし、この魔法は記憶を失ったマコトに対しても、同様に有効だった。

 正にそれを期待して使われた魔法だろう。


「なるほど……。構造に覚えが無い相手なら、立派な防御策として成り立つ、と……」


「覚えがあっても、熟知してない奴らも出られなくなって、当時の混乱は大変なものだったがな。それで逃してやるタイミングを、逃したようなものだし……。だから、バリケードを張ったとも言える」


「でも、エルサは問題なかった訳でしょ?」


「そりゃあ、な。だが、自分が引率したとしても、血の跡を残して壁の中に消えていけば……? 流石に魔物も気付くだろうさ。奴らも馬鹿じゃない。それに、逃げた先が安全とも限らないしな。だから籠城は、結局のところ選ぶしか無い手だったかもしれない」


 とはいえ、この階に留まるしかない事には、忸怩たるものを感じているらしい。

 エルサの浮かべる苦々しい表情が、それを物語っている。


「えーと……それで、この現れた扉を通れば、後は問題なく迷路を抜け出せるって事……?」


「何でだよ、ここは別通路の扉だ。それぐらい、お前も覚えてるだろう? そうじゃなくて、だからこの封鎖を解かないと、多分上には上がれないって言いたいのさ」


「封鎖……。単に隠されているから、行き着かないんじゃなく? バリケードも、それに輪を掛けて邪魔してるんだと思ってたんだけど」


「いや、そういう事じゃない」


 エルサは一度言葉を区切って、翳していた手を戻す。

 それにつられて水面のように揺れていた扉が、単なる壁に戻った。


「見せ掛けの幻術による妨害、それと物理的に道を塞ぐ壁もまた併用されてる。つまり、見破ろうとも、それだけじゃ四階へは辿り着けない仕組みだ。この三階は、その為に捨て石にされたんだろうって思ってる」


「それは……、酷いな」


「王族を守る為っていうなら、それにも納得するがね。だが、上の階に人は居ない。貴き者を守る為じゃないっていうなら、何の為にそこまでしたんだ? 私はむしろ、そこに怒りを感じてるが……!」


 マコトは口元辺りに――兜が邪魔で直接は無理だが――手を当てて、小首を傾げた。

 エルサは本気で怒りを顕にしているように見える。

 これも一つの演技なのだろうか。


 だが、実はケルス姫と接触も、結託もないのだとしたら、その怒りは正当のものに思える。

 捨て石にされたと思っているエルサに、協力を持ちかけるのなら、その理不尽に対する理由も聞いている筈だろう。


 王族の命令一つで多くは解決するとしても、今は災厄の只中だ。

 相応の説明も求められる筈で、エルサが何も知らないとは思えない。


 当初、エルサとケルス姫との接触はなかった様に見えたが、むしろそれで正解だったのかもしれない。

 この封じ込めに対する仕打ちは、彼女に反感を抱かせるには十分だ。


 そして、消えたケルス姫は四階に逃げ込んだ訳でもないらしい。

 では、マコトが閉じ込められた時、ケルス姫は封じる魔法だけ掛けて、どこぞへと向かった、ということになる。


「……確かなの? 上に人が居ないのは」


「あぁ、確かだ。王族の寝室や居室なんかがある筈だが、今の生き残りは姫様だけだ。そして、姫様はここを封じるなり下へ行った筈だ。だったら、上に人が残っている訳もない」


「怪我人や生き残りを移していたとか……」


「だったら、私達だって庇ってくれても良いじゃないか」


 憤りが含まれた言葉に、マコトは手を当てたまま頷く。


「そうだね、それはそうだ……」


「人ではない、何かを守る為……。それを封じる為に、こんな事をやったんだ」


「逆説的には、そう……思えるけど」


「そして、この規模を一人で展開するには大きすぎる。魔法陣を使いでもしないと、維持出来ないだろう。それも、一つじゃやっぱり無理だから、主陣となるものを用意して、それを転写する形で実現させているんだと思う」


 そう言われても、魔法の理屈など知らないので、そうなのか、という感想しか出てこない。

 だが、三階フロアに掛けられた魔法を使う時、ケルス姫は一人ではなかった筈だ。


「一人じゃ無理? じゃあ、四人なら?」


「同じ事だ。少人数でどうにか出来る規模を越えてる。展開だけなら問題ないが、維持は別なんだよ。その場に術者が留まってなきゃいけないんだから」


「つまり、どうすればいい? 魔法陣を見つけたら破壊すれば良いって事?」


「それも一つの解決策だし、お前の魔力なら不可能じゃないと思うが……、疲労が大きき過ぎる。確かに城内で使用する限りにおいて、魔力切れはないとはされているさ。でも、大きく魔力を損なう場合、同時に体力までも消費するもんだろ? 運動で消費される場合と違って、こっちは非常に分かり難い。……ま、お前に言う事じゃなかったか」


「……一つ二つならまだしも、一体幾つ破壊すれば良いかと考えたたら……。魔物との戦闘は、いつだって起こり得る。余計な損耗は避けたいな……」


「だから、主陣の方だけ破壊すれば良いって話だ。一つの破壊に掛かる労力は同じだが、一つで済むなら簡単だ。楽できるのは、お前にとっても歓迎すべき事だろう?」


 それは確かに間違いない。

 マコトも、大人しく頷いた。


 だが、そこで問題となるのは、その主陣が一体どこにあるのかだ。

 そこへ辿り着くまでの労力もまた、考えなければならなかった。

 魔物との遭遇が激しければ、魔法陣を破壊していった方が、まだしも楽な可能性もある。


「そう難しく考える必要はないぞ。何故、転写陣のみならず、幻術まで用意したのか考えてみろ。解除する時を考えているからだ。まさか、陣を一つずつ解除する訳にはいかないだろう? 時間も労力も掛かり過ぎるからな」


「あぁ……! だから、幻術で壁を作り、通れないようにした。理解している者なら、僅かな魔力を翳すだけで通過できる。――つまり、その行き着く先に、主陣があるんだ」


「――ご明察。まぁ、お前なら力押しで上がって行く事も可能だと思うが、楽な道があるなら、そっちの方を選ぶべきだ」


「それは……うん、勿論。有益な情報、助かったよ」


 マコトが素直に頭を下げると、エルサは嬉しそうに頷いた。


「受けた恩に対しては、ちょいと小さ過ぎる返しだがな。でも、ありがたいと思ってくれるなら、少しは気持ちも楽になる。何するつもりかは知らないが、上手くやるんだな。こっちは怪我人の面倒なんかもあるし、動けない奴らを守ってやらないといけないから、あまり手助けは出来ないが……」


「……いや、十分だ。ありがとう」


 改めて礼を言って、マコトは壁に手を翳す。

 水面が揺らぐように扉が出てきて、それを実際に開いてみれば、確かに通路へ繋がっていた。


 エルサはケルス姫と繋がっていない。

 それが今の会話を通じて分かった事だった。


 マコトを妨害したいなら、まずこの情報は伝えない筈だし、何より秘匿するべき情報だ。

 敵対したくないと思っていた矢先の出来事で、重くなっていた心の重しが消え去る。

 振り返ると手を振っているエルサに応手して、扉を潜って先へ進んでいった。

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