猜疑と不安の波間で その2
「でも、戦わずに行くと言っても……」
マコトがボヤくように口の中で言葉を転がす。
それから、ベリトが多数と、アルビドの少数が支配しているホールを睨んだ。
「見つからず避けるっていうのは……」
無理だろう、という言葉は、その口から出なかった。
とはいえ、ここを通らずに西棟へ行くのは不可能に思える。
一階エントランスホールには、通路が西棟へ続くもの以外にもあるし、固く閉ざされているものの、扉があるのも確認出来た。
しかし、他の通路が何処へ繋がるか、全くの不明だ。
それに、例え迂回路があるにしろ、それを探しながら移動するなど、自殺に等しい行為だ。
あるかも分からない通路を探すのと、直進すれば辿り着ける通路を目指すのでは、果たしてどちらがマシだろう。
見つからない自信があるなら、中庭を通って迂回するのも、一つの手なのだろう。
だが、その見つからない、というのが如何にも難しい。
只でさえ、鎧を着込んでの移動は、音を立てやすい。
だから、上下の動きが発生しないよう、細心の注意を心がけて移動を開始しなければならない。
そして、音を立てずに進めても、当然、動きは遅くなる。
魔物の勘は鋭い。
あるいは、匂いに敏感なのかもしれなかった。
女性に対して特に敏感という事からも、何かしら……フェロモンなどを嗅ぎ取れるだけの、嗅覚を有している可能性がある。
柱の陰で息を潜め、完璧に隠れ通したと思いきや、見つかった時の事を思い出す。
あの時の事を考えると、単に音を立てずに隠れて進むだけでは、まず発見されると考えるべきだった。
「でも、進まないと……」
西棟で待つ、と言ったシュティーナも、魔物にいつ襲われても不思議ではないのだ。
せめて、どういうルートで進めば安全、などと助言をくれていれば、と思わずにはいられない。
もしかすると、マコトはそのルートを知ってて当然、とでも思われたのだろうか。
あるいは、勇者として魔物を蹴散らして進めるもの、と勘違いされているのかもしれない。
かつてのマコトがどれほど強い存在だったのか、当然いまのマコトは知る由もない。
だが、誰もマコトが城内を移動する事に、危機感を持っていない。
心配する口ぶりだけは感じるが、襲われたところで死なないと思っている節は感じられる。
何かあってもどうにかするだろう、という無条件の信頼感を持っているのだ。
それが共通認識としてあるから、マコトの無事に無頓着でいられるのだろう。
――魔法だって、一つしか持っていないのに。
かつては無敵の勇者だったかもしれない。
これまでの戦闘でも、身体が覚えていた動きは大したものだった。
そして、一つ戦闘を重ねる毎、その動きに身体が馴染んでいく感覚もある。
「本領を発揮した時、もしかしたら、という期待感はあるけど……」
しかし、それは今ではない。
いつかは出来るかもしれないし、これらの魔物を蹴散らせる様になるかもしれない。
だがそれは、記憶を取り戻すとか、数多に持っていた魔法を取り戻した時だろう。
剣捌き一つ、体捌き一つでどうにか出来る数ではない。
「でも……、じゃあ、どうする……」
魔物にはまだ気付かれていないが、卵も多数、部屋の隅に積まれているのだ。
食べたものによって、魔物の卵は孵化までの時間が変わるという。
未だ孵化していないなら、時間の掛かるタイプと期待しても良いかもしれない。
だが、姿を隠して進むにしても、卵に接近した時、どう動くのか未知数だった。
危機を察知すると孵化するところを見ているので、その傍を通り掛かるだけで、孵化を誘発しそうで怖い。
その上、西棟へ続くと思われる通路の入口角にも、やはり卵が産み付けられている。
身を隠し、壁際を移動しようすると接触してしまう、嫌らしい位置だ。
――どうする。
どうすれば、という思考が
その時、ふと顔を上げたマコトは、唐突に懐を弄り始めた。
ややあって目的の物を見つけたマコトは、掌を開いて、握っていたそれを見つめる。
そこには、メイドのシュティーナから受け取った、魔物を誘う匂い袋が置かれていた。
「これなら……?」
シュティーナは、これを使って城内を移動していたらしい。
傷一つ負っていなかった彼女が使っていた匂い袋だから、その効果も高いと期待できる。
何かと移動の多かった彼女が、今まで無事だったのは、これのお陰であるのなら――。
「ただ、問題は……」
果たして、これを信用しても大丈夫なのか、という漠然とした不安があった。
今となっては何が真実で、何を信じて良いのか分からない状態だ。
どちらか一方のシュティーナが、マコトを罠に嵌めようとしているかもしれない。
そして、何らかの目的を遂行する為に、偽名を名乗っていたのかもしれないのだ。
その彼女から受け取った物を、素直に使って大丈夫なのか……。
その不安を、完全に排除するのは不可能だった。
――だが、目的は謀殺ではない筈だ。
単に殺したいだけなら、危険を教える必要は無かった。
それこそ、匂い袋を寝室にでも投げ込んでおけば、簡単に事は済んだだろう。
「大丈夫だ……、大丈夫……」
マコトは自分にそう言い聞かせて、匂い袋を握り込む。
すると何かが砕ける音がして、ほのかに甘い香りが鼻をついた。
脆い素材を使ったとは聞いていたが、これほど脆いのは予想外だ。
「まず……っ!?」
掌にでも付着したら、それこそ延々と魔物たちに追い回される破目になってしまう。
まだ割れたばかりだと言うのに、匂いに反応した魔物が、にわかに騒ぎ始めた。
持ち方を慎重に選んで匂い袋を掴み、なるべく遠くへ――西棟とは別方向へと投げつける。
「ぎゃぎゃぎゃ……!」
「グル、グルル!」
すると、凄まじい反応を示して、魔物たちが匂い袋へ殺到した。
他のものには目もくれず、一目散へ匂い袋に鼻面を押し付けようとしている。
そこへ何重にも波となって飛び込むものだから、同士討ちと似た形になり、場は更に混乱の坩堝と化した。
「すご……」
想像していたよりも高い効果に、思わず呆ける程だった。
あれはまるで、釣り堀に餌でも投げ入れたかの様な殺到ぶりだった。
シュティーナが城内を移動できていた訳だ……。
あれほど強力な撒き餌ならば、移動するだけなら、そう難しくなかったに違いない。
「あぁ、いや……早く移動しないと……!」
アキラは思わず呆然と魔物の様子を見つめていたが、この機会を逃す訳にはいかない。
身を屈め、気配を隠したつもりで移動を開始した。
柱の陰から陰へと移動し、遮蔽物が無い所は息を止めて移動する。
それでも、魔物はいずれもマコトに見向きもしない。
匂い袋を奪おうと互いに争う事に忙しく、周辺の警戒など全くしていなかった。
これもまた一つの大きな騒動だと思うのに、魔物同士の争いであれば、卵も危機意識を刺激されないらしい。
卵が孵化する気配は全く見られない。
マコトは悠々とメインホールを通過し、西棟へ続く通路に侵入できた。
卵についても、魔物が全く見向きもしない今、これを避けて通るのは簡単だ。
通路の先へと視線を向けてみれば、障害らしき物もなく、また面倒事もないと分かる。
左右対称の作りになっているからか、東棟から入って来た道と見た目は変わらない。
バリケードで封鎖されている点も同様で、やはり人が一人通れる程度の穴が空いていた。
「よしよし、ここまでは順調みたい……」
すり抜けるように外へ出て、西棟へと赴く。
東棟とは色合いや雰囲気の違いはあっても、外観の多くに違いはない。
しかし、入り口脇に掲げられた紋章旗など、所属を示す部分に些細な違いは見られた。
それらもやはり、今となってはボロボロに食い千切られている。
東棟は研究室などが主にあった所為だろうか、こちらは逆に権威的な様相を感じた。
城から続く渡り廊下に魔物の姿はなく、そして今は近辺にも魔物は見えない。
周辺の草木は既に食い荒らされた後なので、食料を求めて他へ移動したのだろうか。
入り口まで警戒しながら進み、背中を壁に付け、警戒しながら中を窺う。
そうして、理解した。
魔物は姿を見せていないのではない。
何者かに狩られたのだ。
魔物の死骸が幾つも見え、そして全てが焦痕を残して爆散している。
手足が千切れ、胴体から二つに別れた個体も見えた。
誰の手によるものか不明だが、魔法による攻撃なのは間違いない。
「まだ、城内には戦える者が残っている……?」
ケルス姫が魔物を殺して回っている可能性も、皆無ではない。
だが、これまで見せた彼女の様子からは、あまり想像できなかった。
それに王族が魔物の討伐を、直接行う事にも違和感がある。
武闘派の王族などいる筈がない、と言うつもりはなかった。
初対面に見せた雰囲気を考えると、どうにも戦う姫様という光景が浮かばないだけだ。
着ている服も華美ではない、シンプルな美しいドレスで戦闘に向いた服装でもなかった。
戦いは勿論、逃走にだって向かない服装だ。
そうして、考えてみるほどに違和感が募る。
――ケルス姫はどうやって魔物から隠れ、移動し続けているのだろう。
魔法が使えるからといって、簡単にとはいかない筈だ。
それとも、東棟から移動した彼女は、実はここに来ていた、とでも言うのだろうか。
戦えないと思い込んでいただけで、この惨状を生み出す程には、戦闘慣れしている可能性も――。
考えながら西棟の中に足を踏み入れると、突然念話が脳を震わす。
またも身体をビクリと震わせる事になり、周囲を忙しなく見渡し、背中を壁に押し付けた。
『あぁ、愛しのマコト……』
直前まで、ケルス姫の事を考えていたからだろうか。
どう接して良いか分からない彼女からの念話に、マコトは身を竦ませる。
隠れられる場所はないか探しながら、どう返答しようか迷っているかのだった。
『あなた……、今どこにいるのです? 本城へ向かった時、あぁやはり、と思ったものです。ですが、どうも不自然な行動が目立ちます。協力者でも居るのでしょうか? それはもしかして――』
「……ッ!!」
意志の力を総動員して、強制的に念話を打ち切る。
念話を向けられ、受け取らないのは無理でも、今のように強制終了は出来るようだった。
荒くなっている息を整えながら、マコトは独白するように呟く。
「姫は……何を言いたかったんだ? 何に勘付いて……。途中で会話を打ち切ったのは失敗だったかも……」
あの時に続く名前を聞いていたら、何かに繋がるヒントが得られたかもしれない。
そこから出る名前は、シュティーナだった可能性もある。
もしもそうなら、シュティーナに出会った時、勘付かれた事も警告できた。
それに別名が出たとしも、それはそれで今後出会うかもしれない人物を見定める材料になる。
――気が逸ったな。
それもまた、仕方ないと言える。
何しろ、記憶を奪ったのはケルス姫と聞いたばかりだ。
信用できる筈もなく、接触を出来る限り避けたい、と身構えてしまうのは責められない。
誰を信じて良いか分からぬ現状……。だが、それも日本に帰ってしまえば関係なくなる。
本当にそれが可能なら、それに縋りたい――。
マコトの考えは、今やそちら側に大きく傾いている。
「ともあれ、二階か……」
二階のどこかまでは分からないし、奥まった場所にあるなら時間も掛かるだろう。
どこを探せば良いものか、と思いながら二階に上がり、目の前の光景に考えが変わった。
魔物は二階にも侵入し、襲撃していた。
数の多さで言えば、東棟とも変わらない数だったに違いない。
だが、それらは既に死んでいて、焼き捨てられた死体だけが転がっている。
床には血液らしき体液も飛び散っていて、間違いなくここで戦闘があった事を示唆していた。
ここを訪れた何者かが、魔物を駆逐したに違いない。
――頼もしいとは思うが、あの繁殖力だ。
一時の掃討程度では、焼け石に水だろう。
一日後、あるいは二日後には、また同じ様に魔物が溢りそうなのが辛い所だ。
だが、今は魔物を気にせず探索出来る。それは素直に有り難かった。
未知で初見の場所を、魔物を気にしながら動くのは、相当に神経を擦り減らす。
そうして魔物の死体を追っている内に、一つの部屋へと辿り着いた。
既にドアは半開きになっていて、薄く灯りが漏れている。
顔をそっと近付け覗き込むと、衝撃的な光景が目に飛び込んで来た。
「――ッ!?」
そこには居たのは、ナイフを片手に持ったシュティーナだった。
ナイフの刃先から血が垂れており、その後ろ姿から表情は伺えない。
ただ、彼女が見下す先には、腹部から血を流して倒れている女性がいる。
力なく腕を投げ捨て、ピクリとも動かないその姿は、既に絶命しているのだと如実に告げていた。
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