第二章
猜疑と不安の波間で その1
聞いた内容に戸惑い、咀嚼し理解するのに一瞬の空白があった。
――日本に帰れる……?
魔法を使って召喚したのなら、逆に送還する事も可能である。
そう言われたら、確かに納得できる話ではある。
しかし、それが事実だったとしても、衝撃を受けたのは別の理由だ。
何よりも、その送還自体を、過去のマコトが考えていたという事だった。
それで意味が理解できず、咀嚼するのに時間が掛かってしまった。
――決定的な矛盾を突き付けられた。
他方は自分の死も厭わず魔物を滅しろと言い、また他方は全てを捨てて逃げろと言う。
相反する真逆の発想に、どう考えて良いのか分からなくなってしまう。
「その……逃げ出すっていうけど、……それは誰が言い出したの? 誰か別の人が発案してたとか、そういう話?」
『いいえ、勿論マコト様からです。記憶を奪って体良く利用しようなんて、酷い裏切りです。あれほど貢献されて、人々の生活も上向いて来て……その恩恵を受け取って感謝している人は多いんですから!』
「案外、慕われていたのかな」
『案外だなんて!』
念話から伝わる声は、悲鳴を上げて否定した。
『皆さん、とっても感謝してますよ! 戦争では負けなし、魔力供給の上向き、そしてどれも便利な魔法開発! ここ十年で王族が取った唯一の功績は、マコト様の召喚だったと、誰もが思っているんですから!』
「それはまた、過分な評価を貰っているようで……」
『マコト様が謙虚なのは知ってますけど、そんなだから、王族も調子に乗ったんじゃないですかね。記憶を奪って、その後は都合の良い記憶だけ刷り込む……。いざとなれば、そういう悪逆もあり得るって、あたしも思ってましたからね』
「まぁ……【ドーガ】の魔法については、良い事ばかりじゃなかったみたいだ。……でも、君はそれで良いのか……? 逃げる手伝いなんかして……」
『そんな非道は起こって欲しくないって、本当に思ってたんですけどね。……だって、他国から来た一人の人間に、反発されたらその動機すら奪って使い倒そうなんて、明らかにおかしいじゃないですか!』
それは確かに、彼女の言うとおりかもしれなかった。
従順さを欲して記憶を奪ったのだとしたら、それは悪辣という他ない。
この事態を生んだ原因は、召喚という方法を選んだ事にある筈だ。
そして、その力に頼る事を決めたのが王族ならば、その失敗に責任を負うのも、また王族だ。
召喚の儀には危険もあった筈で、必ず無害で有益なものしか出現しないと、想定していて然るべき筈だ。
そのつもりがなくとも、魔物を喚び込む可能性を、考慮できていなかったとは思えない。
この様な事態に陥ったり、その原因となったのは、決したマコトの所為ではない筈だ。
しかし、その失敗の責任や、尻拭いを負わせようとしている。
達成困難であるからこそ、達成の可能性をより高めてくれる相手に託したい、という理屈は理解できても、被害者の立場としては到底納得出来ない。
『裏切りですよ。今までの発展に多く助けられて来て、そして還す約束もしてあったんですから。だから、そんな裏切りが本当に起きたら、手助けして差し上げようという約束をしていました』
「いずれ……日本に還る約束が、あった……?」
『当人同士でどういう約束があったか、あたしはそこまで知りません。でも、何年か経ったら還すとか、戦争が終決したらとか……、そういう約束はあった筈なんですよ。本人が希望するなら留まる事も出来たみたいですけど……。でも、あたしにこういう約束を残していたぐらいですから、不本意な形で終わるとも予想してたんじゃないですか?』
――そういう事になる。
マコトに留まる意志があったなら、還る手助けを誰かに頼んでおく必要はない。
あるいは、記憶を消されるという蛮行が行われない限り、全力を尽くすつもりがあっただけかもしれない。
そして、ここで――この世界で、五年を過ごした記憶まで奪われ使い潰される位なら、全てを忘れた状態で生還した方が余程マシだ。
記憶を失くして五年後の日本に帰ったら、完全なウラシマ状態だろうが、当時のマコトはそれでも良い、と判断したのだろう。
全てを奪い、裏切ったのは向こうが先だ。
ならば、同じく裏切る事に、何の抵抗があるだろう。
そう思って当然なのだが、さりとて疑問は残った。
再生した記憶と真逆の発言、そして今も話している彼女の名前だ。
「シュティーナ……、それが君の名前?」
『そうですよ。きっと、顔にも職業にも覚えはないでしょうけど』
「それは、うん……。申し訳ないと思うけど、職業って何を……?」
『召喚士です。といっても、大それた魔法は使えない下っ端ですけど。扱いも低くて……いや、実力社会ですから、そこに文句言うのは筋違いなんですけどね……』
そう言って乾いた笑いを上げた彼女に、気負いや嘘の雰囲気は感じられなかった。
自分がシュティーナと名乗る事にもまた、同様に一切の嘘を感じられない。
とはいえ、マコトが知るメイドのシュティーナの時も、同じ様なものだった。
そこに嘘や欺瞞を感じさせず、何より初めに接触と手助けをして来たのが彼女だ。
同じ国に住むのだから、同じ名前を持つ人間が居たとしても不思議ではない。
しかし、同じ名前を持つ二人が、手助けの申し出をしてきて、全く別の提案をして来た。
これが偶然とは思えない。
――どちらか偽物じゃないのか。
マコトが訝しんでいるのは、そこだった。
同名の人物が、同じ城に仕えている所までは良いとしても、状況が特異すぎる。
果たして、そんな偶然あるものか。
「ところで、聞きたいんだけど……。君と同じ名前の人、この城に居る?」
『……何故でしょう?』
この答えには一拍の間があった。
そして、それまでの人懐っこい声の中に、緊張を滲ませたものが窺える。
「さっきまで、シュティーナと名乗るメイドと会ってた。同じ名前だし、知り合いじゃないかと……」
『知らないですね。同じ名前なら、たとえ知り合いじゃなくとも、噂とかで伝わって来たりするものです。広い城内ですし、知らない顔も勿論いますけど……。でも、そんな人が居れば、働いている区分が違っても、存在だけは知っていたと思います』
「じゃあ、さっきまで会っていたシュティーナは何者なんだ……」
『分かりません。けど、注意した方がいいと思います。信用するのは危険です』
だが、あのシュティーナは最初から助ける姿勢が一貫していた。
考えたくはないが、何か目的があって、上手く利用されているのだろうか。
だが、そこを疑うというのであれば、いま話している彼女の話もまた、どこまで信用して良いのか判断できない。
そして、マコトは自身の記憶を、再生装置で実際に見ているのだ。
その記憶が言っていた。
――シュティーナは信頼できる。
そこまで考え、どのシュティーナを言っているか、それだけでは分からない事に気が付いた。
彼女に導かれ、彼女が言うとおりの場所に記憶の魔石があった。
だから、頭からあのシュティーナが本物だと思い込んでいたが、それだけで断定するのは早いかもしれない。
かつてのマコトは、どちらのシュティーナを指して、信頼できると言ったのか。
シュティーナが二人いるなど、想定してない事だった。
そして今、彼女は二人目のシュティーナは城内に存在しない、と断言した。
では、どちらかが、その名を騙っているのだ。
マコトが信頼できる、と断言したシュティーナは、果たしてどちらの彼女なのだろう。
考えあぐねて沈黙していると、向こうの方から声を掛けて来た。
『身元不確かな人物が近くに居るというなら、早く逃げてしまった方が良いのではですか? それだって逃げてしまえば、もう関係ないんですから』
「そう……かもしれないけど」
そう言って送還を促す当人が、そもそも信用出来るか、という問題があった。
だが、異世界から逃げ出す事が叶うなら、煩わしく考える必要もなくなる。
――それは確かだ。
『西棟二階、そちらで待っています。召喚儀式に使われる場所ですから、設備も揃っているんです。動かす方法と手順さえ知っていれば、私なんかでも出来ちゃう訳で……』
「送還というのは、本来そう簡単じゃないんだ……?」
『下っ端に、そんなの無理ですよ。設備がなくても出来るのは、それこそ第一級のエルサさんくらいじゃないですかね。――ともかく、急いで下さい。いつまで魔物の襲撃を躱せていられるか、分からないんですから』
そう言うと、念話が勝手に途切れてしまった。
まだ聞きたい事は沢山あった。
それなのに、こちらか掛け直せないのは大変不便で、そして理不尽にも感じる。
それに、彼女が口にした西棟――。
場所は当然、分からない。
だが、現在地が東棟である事を考えると、本城を越えて正反対の別棟へ行く、と考えれば良いのだろう。
マコトが先程決めた覚悟は、心の底から湧き出た思いで生まれたものではない。
いわばメッキの勇気で、だから逃げ道があると分かって揺らいだ。
死ぬ必要もなく、逃げ出す手段があるのなら、それに縋りたいと思ってしまう。
何故なら、この国と人に愛着も、執着も持っていない。
大局を見るなら――魔物の脅威と、そこに生きる人々を思うなら、やるべき事は決まっている。
だが、そこまで自分がしてやる必要があるのか、と思う気持ちを止められなかった。
――西棟に向かっても良いじゃないか。
かつてのマコトがどう考えたかはともかく、大事なのは今の気持ちだ。
見知らぬ誰かの為に、捨てられる命は持っていないのだ。
「別に、いいよね……。逃げられるなら、誰だって逃げたいよ、こんな状況……」
そうと決まれば、いつまでも崩れた回廊で佇んでいる訳にもいかない。
マコトは崩れた先端から、階下を覗き込んだ。
魔物は一箇所にじっとしている訳でなく、常に食料を求めて動いている。
最初は犇めいていた魔物の群れも、周辺の庭木を食い尽くすと、三々五々に散っていた。
回廊の真下は、一種の空白地帯になっていて、今だけは魔物に注意を向けられない場所になっている。
やる気があるなら、大幅なショートカットが見込める。
逡巡は一瞬で、マコトは一気に飛び降り、足音も静かに着地した。
ここまで大胆になれたのは、着ている鎧のお陰だろう。
三階の高さから落ちても、痛みが無いのは実証済みだ。
だからこそ、そこまで思い切りが良かったのだろうとはいえ、肝が冷える思いだった。
一度来た道を戻るより、こちらの方が早いという決断は間違いないが、酷い蛮勇でもある。
そして、あまりに思い切りが良すぎた。
確信が薄くても勘で行けると判断したのは、それこそ勇者マコトの感覚が、その身に宿っている所為なのかもしれない。
とはいえ、蛮勇はそこまでで、中庭から別棟へ向かうのは、あまりに危険だ。
城内が安全という意味ではないし、どちらも同じだけ危険ではあるのは変わらない。
だが、城内は遮蔽物も多く、潜伏して行動するには向いている。
そして現在地からは扉こそ幾つも見えるものの、どれも固く閉ざされていて、通れる場所がありそうもない。
だが、扉のない通路を手近な家具などで、封鎖しただけの場所もある。
出来る限り家具を持ち出し、バリケードとして封鎖しようと試みたと見て分かる。
しかし、そういう所は既に魔物に破壊され、通行可能になっていた。
厳密には足の踏み場もなく、通路として使うには抵抗も多い。
だが、身体をねじ込めば入れる程に、バリケードは穴が出来てしまっている。
そこを通れば、本城へ入るのは簡単だった。
本城の中へ足を踏み入れて、マコトは簡単めいた息を吐く。
やはり別棟とは違って装飾に贅が凝らされ、より豪華で絢爛なものになっている。
位置的に、ここはメインホールへと続く、単なる通路でしかない筈だろう。
なのに、壁の石質やそこに刻まれた紋様、床に敷かれた絨毯など、東棟とは多くの違いが既に垣間見えていた。
しかし、平時ならば目を奪われていた光景も、今となっては本来の半分は損なわれ、実に無惨なものだった。
目を楽しませる為に活けられていた花は全て喰われて、茎しか残っていない。
多くは噛み千切られた痕なども見えていて、魔物の食料にされたのだと分かった。
見事な装飾をされた柱が整然と並んでいても、そこに無事な姿の物は一つとしてない。
大抵は擦り傷、切り傷、噛み傷などが多く残されている。
まるで、柱そのものに怒りをぶち撒けているかの様な有様だった。
魔物が縄張りを主張するかのよう見え、もしかしたら、その通りなのかもしれない。
そこから暫く進めば、すぐに大きなホールへ行き当たる。
王城の一階メインホールというだけあって広い造りになっていて、正面にある大きな扉は固く閉ざされていた。
幾つもの板が釘で打ち付けられているだけでなく、その上に魔法陣が浮かんでいる。
どうやら、物理的かつ魔法的に、双方の手段で封印した様だ。
扉から続く通路の中央には、エントランスとなるメインホールがあり、その先にやはり豪奢な装飾がされた階段が二階へと続いている。
しかし、見事な装飾と赤い絨毯が敷かれた階段は、今や魔物の卵に占められて、足の踏み場も僅かしかない。
三階へと続く、見事な曲線を描いた階段も、二階ホールの両端から伸びている。
だが、きっとそこにも卵が産み付けられているだろう。
ここからでは見えないから、もしかしたらを期待してしまうが、いずれにしてもホールから上階へ行くのは諦めた方が良さそうだ。
しかし、どこかへ迂回するにしろ、まず一階エントラスを通らねばならない、というのが問題だった。
ここに多くの卵があるからこそ、魔物達の巣窟となっている。
視界に入るだけでも、既に三十の数は間違いなくいた。
柱の陰は勿論、視界に入らない部分にも、もっと多くいるに違いない。
避けて通るのは難しく、柱の影に隠れて進むやり方では、到底突破不可能に思えた。
さりとて、全ての魔物を相手するのも現実的ではない。
敵は目に入るだけの数では済まない、と考えるべきだ。
戦闘になれば騒ぎを聞き付け、他からも増援がやって来るだろう。
一階のみならず、二階にもいる筈の魔物が来襲する事も考えねばならない。
ひとたび戦闘になれば、数に圧殺されるのは確実だ。
――そうなる未来だけは、容易に想像できる。
マコトは何としても、見つからずに回避する方法を、ここから探さなくてはならなかった。
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