目覚めの時、或いは微睡みの継続 その7
マコトは力なく項垂れ、胸に抱き込んだ兜の頭頂部をジッと見つめていた。
――無理もない。
過去のマコトから――記憶を失う前のマコトから託された願いは、あまりに過酷なものだった。
かつては悲喜こもごもを飲み込み、そして決心した事なのかもしれない。
だが、その決意に至るまでの覚悟を、今のマコトは持ち合わせていなかった。
勇者と言われても他人事、魔物や魔法についても同じ事だ。
目の前で実際に見て、その脅威を目の当たりにしても、だから自爆してでも止めてやろうとは思えなかった。
魔物の繁殖速度は異常だ。
その異常性を持って、城を内部から食い破り、様々な抵抗を排除して、今では自由に闊歩しているのだろう。
ドーガで見たマコトの口振りからして、城外へ出るには、強固に閉ざされた城門を通るしかない様だ。
そこが未だ突破されていないなら、全てを無に返す手段は残されている。
そして、その手段を選ばないのなら……。
いずれ溢れ返る魔物が、城外へと解き放たれてしまう。
かつては城内にも兵達がいて、突然の事態だろうと応戦した事は予想できる。
だが、どうにもならなかった。
だから、この惨状がある。
魔物が城外へ解き放たれてしまえば、果たしてどうなるだろう。
恐らくは、この城内で起きた事が、そのまま外の世界で起こり、拡大されていく。
この魔物が恐ろしいところは、戦闘能力ではなく、むしろその繁殖能力だ。
一匹逃しただけで、予想もしない被害の拡大を招くだろう。
ならば、一匹たりとも逃さず殲滅するには、全てを灰燼に帰す位しか方法がないように思える。
封じ込めを維持されている今が、最初で最後のチャンスだ。
どれだけ丁寧に魔物を狩り出しても、最後の一匹まで間違いなく殲滅したと保障できない。
例えば、人の手に届かない場所で卵を産まれていたら……。
例えば、目の届かない隙間に卵を産まれていたら……。
見える範囲で全て倒したと確信しても、それだけで
ならば、過去のマコトが決意したように、全てを滅する以外、道は残されていないのかもしれない。
だが、城内の人員全てが食われてしまったとは限らない。
今も生存者は魔物から逃れ、何処かで生きているかもしれないのだ。
マコトが暢気に眠っていられたのは、その生存者達が奮戦してくれていたお陰かもしれない。
それなのに、全てを巻き込み、諸共吹き飛ばしてしまって良いのだろうか。
彼らが何処かで隠れているか、あるいは知らないだけで、今も戦っているとして――。
マコトが全てを巻き込み自爆するつもりだと、彼らは知っているのだろうか。
――知らないだろう。
ケルス姫が記憶の魔石を隠した事実からして、妨害するつもりだったのは明らかだ。
下手な不安を周囲に振り撒いたりはしないだろう。
以前のマコトが、それを吹聴して回っていない限りは……。
そしてきっと、マコトも吹聴して回る馬鹿な真似はしていまい。
ならば、他人の命の結末を、マコトが勝手に握っている事になってしまう。
以前のマコトは決意していたようだ。
それ以外に被害拡大を阻止できない、という理由で。
そして、魔物の脅威を外へ漏洩させたくないなら、有効な手段ではあった。
大局を見据えるならば、やるべきなのだろう。
小を切り捨て、大を助けるべきなのだろう。
だが、汎ゆる記憶を失くしたマコトに、同じ決断を即座に下せ、と言うのは無理な話だ。
「はぁぁぁ……」
何も決める事が出来ないまま、マコトが深い溜め息を吐いた時、部屋の扉が開かれる音がした。
ビクリ、と肩を震わせながら振り返る。
ケルス姫か来たのかと思って見れば、そこには見知らぬ女性が立っていた。
シワもなく、ツヤもない黒い生地の綿サテン。
襟首には固く糊付けされた白い襟と、クチバシ型に尖った袖山。
レースの入った白い前掛けエプロンに、ごく薄い綿バティスタのキャップ。
立派なお仕着せを纏った、立ち姿まで美しいメイドがそこにいた。
髪は栗色で、後頭部で団子状に髪を一纏めしており、感情をあまり表に出さない性分の様だ。
美しいと思える顔付きであっても素朴なもので、市井に紛れたら目立たないと思わせる容貌だ。
街のどこにでも一人はいそうな……、埋没型の女性に見えた。
何事にも一歩引いて主人の為に働くと思えば、返ってこういう目立たない風貌の方が、メイドとしては好まれるものなのかもしれない。
その彼女が扉の前に陣取り、丁寧に手を前で組み合わせて見つめて来る。
知らない顔なのは当然だが、敵意もまた、微塵も感じられない。
そして、ケルス姫の遣いでもないとしたら、残る候補は一つしかなかった。
マコトは恐る恐る、声をかける。
「……君が、シュティーナ?」
「左様でございます。……初めまして。以後、お見知りおきを」
完璧な一礼を見せる彼女の声にも、確かに聞き覚えがある。
まだ短い付き合いでも、彼女がシュティーナで間違いないと判断できた。
「メイドだったんだ……。そうか。それで、ケルス姫を上手く誘導できるかも、と……」
「えぇ……。ですが、私が到着した時、既に姫様の姿は見当たりませんでした。もしやと思い、五階まで上がってみたのですが、やはり姿は見えず……。それから戻って来たのですが……現在、どこにいらっしゃるかは不明です」
何処に姿を消したのか、確かにそれは不安だ。
隠れているかもしれないと思うと、常に警戒を余儀なくされる。
だが、それはそれとして気になる事があった。
「姫もそうだけど、君は大丈夫なの……? 到底、一人で出歩ける様な状況じゃないんだけど……」
「えぇ、わたしは訓練されていますから。気配を消し、身動きせずに控えるのは、メイドとして必須技能です。隠れ続ける事は、そう難しくありません」
全く問題ないと、済ました顔でシュティーナは答えた。
とはいえ、果たしてそれだけで、魔物の索敵から逃れられるものだろうか。
だが、こうして無事に立っているのも事実だ。
マコトは、更なる深い追求はしないと決めたらしい。
「そう……なの? ……じゃあ、姫も?」
「姫様にそんな技能は無いと思いますが、魔法が堪能でいらっしゃいますから。それを駆使して逃げるなり、迎え撃つなりしていたのではないかと愚考します」
「あぁ、そうか……。魔法大国の姫様が、魔法を使えぬ筈はないと……。そして、今は行方不明……」
「左様です」
感情を感じさせない声音で、顔面にニコリとした笑みを浮かばせる。
実に洗練された、作られた笑顔だった。
「そして、わたしの役目は、あなたの行動を手助けする事……。ドーガ魔法は記憶を留めておける技術ですが、同時に記憶を除去できる技術でもあります。その危険を早い段階で気付いていたあなたは、不測の事態に対し、備えを怠らなかった」
「つまり、それが君……」
「はい、もしも全ての記憶を奪われる様な事態が起きれば、先の記憶を見て貰えるよう、尽力すると約束しました」
シュティーナは澄ました顔で、何でもない事の様に言った。
とはいえ、この様な災禍の中で遂行するなど、想定していなかったのではないか。
魔物が跋扈する中でマコトを助ける事は、自分の安全を投げ捨てるのと同じ事だ。
単なる金一封、あるいは全財産を渡したところで、逃げ出す人は逃げるだろう。
それとも、危険を押しても協力してくれる魅力的な提案を、かつてのマコトは出来たのだろうか。
だが実際、目の前には協力しているシュティーナがいる。
不慮の事態だろうと、かつての交わした約束を守っているのだ。
しかし、気になる事はある。
どれほど魅力的な提案だろうと、
「あー……、一つ聞きたい」
「何なりと」
「君は記憶の内容を知ってる? ……つまり、城ごと全て吹き飛ばせっていう内容を。全てが無くなるらしいんだ、何もかも。……まぁ、かつてのマコトが言うには、だけど」
「勿論です。全て、お話を聞いております」
事も無げに言って、シュティーナは首肯した。
そこには不安な表情も、嘆きの表情も浮かんでいない。
ただあるがまま、その決定を受け入れている様に見えた。
マコトが絶句している間にも、シュティーナは淡々と説明を続ける。
「あなたの目には巨大な剣と映ったあれは、魔法大国の根幹を成す巨大な魔力結晶であり、城内全ての魔道具の起動、運用に使用される物でもあります。そのエネルギー量は莫大で、もしも爆破されたなら、城壁内の命は全て灰になるでしょう」
「全て……。その全てには、君も含まれているって、理解してる?」
シュティーナは大いに頷き、一礼する。
「勿論です。その様に説明を受けております。何一つ、誤解してなどおりません」
「でも、いや、本当に……? あ、でも……君が既に了解してたとしても、他に生き残りは……?」
「存じません」
その一言は、心の奥底に暗いものを生み出した。
やるせない気持ちと、魔物に対する嫌悪感が湧き上がる。
「もう他に、誰も生き残っていない?」
「知る限りでは」
「じゃあ、知らないところで生存者が居る可能性もある、かも……?」
「可能性の是非を問うだけなら、そうなります。ですが、現実をご覧になって下さい。今では城内を歩くと、人に会うより魔物に出会う始末なのですよ。その中で、どれ程の生存者がいると? 最早、誰も残って居ないと考える方が妥当です」
シュティーナはキッパリと断言したが、それはおかしいと思える根拠が目の前にいる。
「だけど、君は残っている。なら、他にも居たっておかしくない筈だ」
「仰るとおりです。ですから、可能性の上では、と言わせていただきます。でも、可能性に縋っても仕方ないでしょう。魔物に支配され、蹂躙された王国……それが現実です。そして残っていた生存者も、今まさに食われている最中かもしれません」
マコトは信じ難いものを聞いた反応そのままに、首を左右に振って一歩下がる。
「なんでそんな残酷な事を、簡単に言えるんだ……」
「それが現実だからです。目を背けようとも、耳を塞ごうとも、今ここで実際に起きている事だからですよ。何もかもから目を逸らして、それで事態が解決しますか? 必要なのは行動する力なのです。かつてのあなたには、それがあった」
「……死ぬんだぞ。僕も、君も。何もかもが吹き飛ぶ」
精一杯の脅しで言ったつもりだろう。
だが実際は、力なく掠れた、酷く臆病な声しか出ていなかった。
それでも、その声に込められた悲喜こもごもは正確に伝わったらしい。
シュティーナはゆっくりと頷く。
既に覚悟と決意の定まった瞳で見つめてきた。
「あなたと共に行動すると決めた時から、それは覚悟しています。あなたの決意と覚悟を知るからこそ、その意志を遂げさせる為、自分で決めた事なのです。気遣って頂く必要はありません」
「……覚悟は、既に……」
「えぇ……。ですから、結晶剣を目指しましょう。あれが破壊出来れば、間違いなく全てを灰に出来ます。……勿論、簡単ではありませんが」
マコトは当然、彼女とのやりとりを覚えていない。
それでも、シュティーナとの間には、ある種の結束や覚悟の共有が結ばれていたらしい。
シュティーナの瞳には、それほど迷いというものがない。
必ず成し遂げる、という暗い熱意が、その瞳に渦巻いていた。
この話を持ちかけたのは、まず間違いなくマコト側からだ。
そして、シュティーナはそれに頷いた。
説得に押されたのか、かつてのマコトから向けられた熱意に絆されたからか……。
とにかく、シュティーナの中には確固たる決意がある。
その熱意が伝搬したからか、もしくは逆に絆されたからだろうか。
マコトの中にも、僅かながらに決意が目覚めたようだ。
腕の中で転がされていた兜を被り直し、力強くバイザーを下げる。
その音がまさに覚悟を示す音の様に、部屋中へ鋭く響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます