目覚めの時、或いは微睡みの継続 その6

「はぁぁぁ……!」


 荒い呼吸は幾らか落ち着いて来ても、マコトは暫くの間、動けないでいた。

 あんな魔物にまで入り込まれているなら、城の兵が全く見えないのも当然だ。


 マコトは、それまでの緊張を吐き出すかのように、何度も深呼吸を繰り返す。


 それにしても、魔王が魔物を世に放ち、溢れさせたという話が真実なら……。

 なぜ城の中にまで、溢れる事態になっているのだろう。


 隣国が呼び出したのなら、既に国としては滅んでいるのは間違いない。

 そして、次の矛先が、この国に向いたという事なのだろうか。

 軍隊も魔物に抵抗しなかったとは思えないから、迎撃の為に大規模な戦闘が起きたのだと思われる。


 だが、内部にまで侵入され、魔物の繁殖すら許しているのが現状だ。

 そのような状態ならば、最早なにもかも手遅れなのではないか。


 ケルス姫は王族として、最後まで抵抗し、戦う姿勢を崩せないのは分かる。

 だが、既に敗戦した後なのだとしたら……。

 抵抗を諦めないのは立派かもしれないが、この状態からどうすれば反撃できるというのだろう。


 もしもマコトが持つ勇者としての力を期待して、というのなら、余りにもあんまりだ。

 全てをひっくり返せる、起死回生の策が勇者の存在だ、などと本気で思っているのだろうか。


 その様に何でも解決してくれる、便利な存在なのであれば、既に魔物は駆逐されているだろう。

 マコトの存在一つで、都合よく解決したりしない。


 魔物の脅威が城の中に深く食い込んでいるのだから、既に手遅れの状態だ。

 それでもケルス姫は、諦めていないというのだろうか。

 そして、諦めていないからこそ、マコトに執着するのかもしれない。


 ――それが良きにしろ、悪きにしろ。

 記憶を消された理由は、今だ分からない。

 しかし、明確な計画があるからこそ、行った事だと思われた。


 先の魔物の衝突音は、建物を震わせるほど大きなものだった。

 とすれば、流石にケルス姫にも知られた事だろう。

 頻繁に暴れては壁に衝突する魔物でもなければ、誰かと戦闘したと考える筈――。


 ケルス姫はすぐに、マコトは階下にいた、と察する筈だ。

 今もまだ探しているのなら、その所在を知られた様なものだ。

 いつまでも隠れ続けられはしない。

 しかし、見つかってしまうとしても、ドーガの続きは確認しておきたかった。


 息を整えている間に、考えも整理できた。

 マコトは最後に大きく息を吸い込むと、勢いよく立ち上がり、階段を登り始める。

 背後にも注意を払いながら、階上を警戒しながら進んだ。


 螺旋階段は視界が通らず、少し顔を覗かせた程度では、誰の姿も捉えられない。

 足音らしきものも聞こえてこず、何者かの話し声もまた、聞こえてこなかった。


 シュティーナが引き付ける、と言っていたから、もしかしたらそうした声も聞こえて来るかと思ったのだが――。

 しかし、分かったのは、物音が一切しないという事だけだった。


 そして、シュティーナからの一報も入って来ない。

 ならば、未だ問題は起こってない、と判断しても良いのだろうか。


 それはあまりに楽観的過ぎるが、この場で立ち止まって身動き取らない方が拙い。

 マコトは極力音を立てないよう注意しながら、爪先立ちで階段を登って行く。


 先程の騒動を聞き付け、近くの魔物が新たに来るかも、と警戒はしていた。

 だが、結果的に何事も無く、マコトは二階へすんなりと到着できた。


「何事もないのは良いけど、何もなさ過ぎるのも怖いんだよね……」


 フロアへ顔だけ出して、人の影がないか確認する。

 静かなもので、そこには先程通った時と同様、沈黙しか存在していなかった。

 足を一歩踏み出して、周囲の警戒を忙しなく行いながら、研究室へと近づいて行く。


 扉の前に立つと、耳を押し当てて中の様子を窺う。

 しかし、やはり物音一つ聞こえない。

 あまりに静かすぎて、あまりに不気味だった。


 中に誰も居ないのか、居るのに息を潜めているのか……。

 それとも、既に移動した後なのだろうか。


 ここには、映像を確認する為に戻って来たのだ。

 その為に一階まで落ちて、復旧させる苦労をした。

 ここまで来たのだから、いつまでも中の反応を窺っている訳にもいかない。


 マコトはドアノブに手を当て、光が収まるのを待つ。

 そして、鍵の外れる音が聞こえると、ゆっくりを押し開いて中の様子を盗み見た。


 細く開いたドアの隙間から見える範囲は、ひどく限定的だ。

 だが、少しずつ開いて中の様子が判明して行っても、部屋には誰の姿も確認する事が出来なかった。


 完全にドアを開き切り、マコトも隠れる事なく姿を晒す。

 それでも、やはり同じで誰も姿を現さない。


 荒れ放題の部屋に動きはなく、後は奥の扉を確認するだけだった。

 そして、それが一番危険な本命でもある。


 隠れる……というか、待ち構える場所を選ぶなら、必ず戻って来る場所にするだろう。

 目的は知られているだろうし、ならば、記憶再生装置のある部屋で待つのが当然だった。


 ――シュティーナから連絡はないのか。

 連れ出す事に成功したら、連絡の一つくらいあって良さそうなものだ。

 便りがないのが良い便り、とも言う。

 しかし、今だけは密な連絡のやり取りを望みたい。


 そうしている間に、マコトは奥の部屋まで到着し、やはり同様に耳を押し当てた。

 だが、物音は聞こえず、誰かが隠れている気配もない。

 マコトは更に慎重にドアを開けて様子を窺ったが、部屋の中には誰もいなかった。


 再生装置は光を取り戻していて、問題なく起動していると分かる。

 記憶を再生されたくない、と考えていたケルス姫は、この部屋まで来ていた筈だ。

 魔力の中継機を止めたくらいで問題なし、と考えたなら余りに浅はかだし、その程度で安心するとも思えなかった。


「本当に、ここまで来ていたのか……?」


 そう思える程、部屋の中に何の異常もない。

 この部屋まで来たのなら、最悪、装置を破壊してしまえば良いのだ。

 破壊するには惜しい装置、替えの利かない装置だったとしても、これを放置してまで一体何処へ行ったのだろう。


 だが、何も起きていないのは事実だ。

 もしかして、破壊するより前にシュティーナがやって来て、上手く部屋から連れ出したのだろうか。

 何もかも分からない事だらけだ。

 それでも、装置が無事なのは歓迎すべき事だった。


 便りがないのも、今は余裕がないだけだとか、問題は発生していないから、と思うしかない。

 こちらから連絡できない以上、そう思って今自分の出来る事をするしかないのだ。

 マコトは再び魔石を窪みに嵌め込むと、兜を脱いで代わりの金魚鉢を被る。


 そうして、眩い光が画面一杯に広がると、先程の続きから映像が再開された。

 相変わらず顔の見えない鎧姿で、マコトが力なく椅子に座っている。

 バイザーの上がった兜の影から、瞳だけがこちらを向いていた。


「――そして、記憶を奪った理由だが、ケルスが目指す最終目標と合致しなくなったからだ。だが、マコトという個人戦力は使いたい。……そこで、決裂した事実を、失くそうと考える筈だ」


 目の前の映像が何を言ってるのか、理解したくない気持ちで占められた。

 頭の隅を過ぎった考えではある。

 マコトの戦力を頼るからこそ、マコトに執着を見せるのだと。


 ならば本当に、ケルス姫は非常に利己的な理由で関係性をリセットし、再び手駒として利用するべく画策したという事になる。


「ケルスはお前を魔物と戦わせようとするだろう。……当ててやろうか。魔王が現れ、世界を破滅に導こうとした、とか聞かされなかったか? それを止めてくれとか、なにか嘆願さたんじゃないか?」


 全く同一ではないが、似た様な事は言われた。

 マコトは目覚めた直後に、魔王が魔物を呼び出した、と聞かされている。

 その場で戦え、と頼まれた訳ではない。

 しかし、話が上手く進んでいたら、きっと頼まれていただろう。


 まるで刷り込みの様だ。

 ケルス姫にとって都合の良い方向へ誘導し、目覚めたばかりで白紙のマコトを自分色に染めようとしたのだ。


 嫌悪に似た気持ちが、胸の中に去来する。

 映像のマコトは、手を伸ばせば届く程の距離にいた。


 その項垂れる姿を見ていると、思わずその肩に手を置いてやりたい衝動に駆られる。

 再び顔を上げても、やはり影に隠れて顔は見えない。

 しかし、その瞳から疲れ切った雰囲気は窺えた。


「いいか、魔王なんて存在しない。いるとすれば、この国そのもの……魔物の巣窟となったこの国こそが、魔王と言えるだろう。始まりは、戦争に使えるより良い戦力として、召喚に頼った事だ。実験は失敗、即座に中止し、封じ込めを行ったのだが、召喚された魔物には逃げられてしまった。再捕捉した頃には、大増殖していて、溢れる程になっていた」


 映像の中のマコトは、ここで一度言葉を切り、大きく溜め息を吐いた。


「なぁ、これが外に広がれば……どうなると思う? 世界に仇なす存在として、世界に混沌を呼び込んだ元凶として、糾弾され指弾されるだろう。国家一つを指して、魔王呼ばわりされたとしても、正当な怒りと言うしかない」


 そこまで言うと、マコトは影の中で沈んでいた顔を上げ、瞳を爛々と輝かせて続ける。


「……だが、まだやりようはある。王城を貫く巨大な剣、あれは存在自体が巨大な魔力タンクそのものだ。それを爆破させてやれば、全てを吹き飛ばせる。無かった事に出来る……! だが、ケルスは当然、それを防ごうとするだろう。世界の為ではなく、国家の滅亡を認められず……断じて防ごうとするだろう。魔物を絶滅させるチャンスは、城壁内という閉じた空間で繁殖している、今しかない」


 魔物が城内に溢れているのは、むしろそれが理由だったのか。

 外から侵攻されたのではなく、内側から溢れたのだ。


 召喚実験、都合の良い存在を求め……しかし、何かを間違えた。

 咄嗟の封じ込めで外へ逃がさない事だけは成功したようだが、逃がした一体の生み出した繁殖が想定外の規模でどうにもならず、城内は地獄絵図と化したのだ。


「城壁は高く、門扉も固く閉ざされている。そう簡単には抜け出せない。……そう願うよ。そして、まだ城壁内で留められているのなら、これ以外の方法がない。剣と魔法を駆使して千を駆除しても、その外で万の数が増えていく事になるだろう」


 人を捕食して、即座に卵を産んでは、幾らも経たず孵っていた光景を思い出す。

 あの生態は、魔物全てが持つ特徴なのだろうか。

 もし、そうであるなら、マコトの言葉は決して誇大妄想とは言えない。


「今はまだ、そのチャンスが残されているだろうか。あの結晶剣を爆破するには、城壁外から魔法を打つ程度では無理だ。既存の魔法では破壊力も足りない。だから、ケルスと共同開発した新魔法が必要となるだろう。そして爆破されれば……当然、近くで使う自分も無事では済まない」


 射程範囲に限りがあり、城壁外からは使えない、というなら、そういう事になってしまう。

 巨大な王城を縦に二つ積んでも、尚巨大な魔力の結晶体を爆破するというのだ。


 その爆破規模は全く想像が付かない。

 だが、城壁内の生命は例外なく灰燼と帰す、という想像だけは明確に出来た。


「……苦しい決断だ。誰だって死にたくない。だが、既に犠牲は多く出た。これ以上は、何としても食い止めなくてはならない。そして、内側で完結させるには、これが最後のチャンスだ。勇ましき者として喚ばれた君だろう? ――正しい決断を下せると信じてる」


 その言葉を最後に、映像は終わってしまった。

 映像の中のマコトは、身じろぎもせずいた格好のまま停止し、それから景色が七色に歪んで掻き消えていく。

 視界は元に戻り、狭い部屋へと帰って来た。


 マコトは何も映さなくなった金魚鉢を力なく脱ぎ捨て、台座の上に置いた。

 のろのろとした手付きで兜を手に取り、しかし被ろうともせず、胸の中に抱き込む。


 マコトが残していた記憶は鮮烈だった。

 知りたくない様な内容ばかりだ。


 そして極めつきに、国ごと全てを爆破しろ、という願いがそこに託されていた。

 魔物を決して外へ逃がすなと。

 全てを巻き込み自爆しろと、過去の自分は言っていた。

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