目覚めの時、或いは微睡みの継続 その4
「あ、あ、あぁぁぁ……ッ!?」
マコトは真っ逆さまになって、背中から地面へと落ちた。
だというのに、衝撃で視界は揺れても、痛みは一切感じない。
背中の次は後頭部まで、強く打ったのは間違いない。
だというのに、脳震盪さえ起こっていなかった。
まさかそれら全ての衝撃を、防具が防いでくれていたのだろうか。
だとすると、身に付けた鎧は単なる防具ではなく、魔法を込められた逸品なのかもしれない。
魔法王国と言うだけあって、そうした武具が用意されていたのだろう。
マコトはゆっくりと起き上がり、自分が落ちて来た先を見上げる。
改めて下から見れば、気が遠くなるような高さだ。
よく無事だった、と改めて血の気が引く思いだった。
だが、怪我の功名とでも言うのか、見つかるリスクのあった二階を飛ばして降りて来られた。
痛みもなく、大幅なショートカットが出来た事は、幸いと言えるかもしれない。
それ自体は良いのだが、喜んでばかりもいられなかった。
今の騒ぎを聞き付けたのか、魔物の威嚇とも、遠吠えとも付かない声が聞こえて来る。
周囲は木が生い茂り、視界を遮ってくれているお陰で、未だ発見はされていない。
魔物の生態について詳しくないが、匂いに敏感なら、ここにいる事もすぐ嗅ぎ付けてしまうだろう。
「まず、移動……移動しなきゃ、だけど……!」
左右を見渡しても、城の中へ繋がる、都合の良い扉など見つけられない。
窓はあってもガラスが使われていない上、手を伸ばして届く範囲にもなかった。
その上、窓は人が入り込めるような大きさをしていない。
どうしたものかと改めて見回して、そうして気付く。
城の外には魔物が溢れているらしく、城内とは比にならない数がいた。
林の木々の間から僅かに覗くだけでも、夥しい数がいると分かる。
「何だよ、あれ……」
更に厄介なのは、ベリトよりも巨大な魔物も少なくない、という事だ。
あれは爬虫類に似ている形をしていた。
だが、遠くに見える魔物は、小型の恐竜としか思えない奴まで見える。
背中には蜘蛛の足を思わせる節足が伸びていて、それが移動の手助けや、獲物の捕食を手伝っているようだ。
人でなくとも何でも食べるらしく、木の葉や木の枝、幹にまで齧り付いて嚥下している。
あんな見た目をして、実は草食だったりするのだろうか。
とはいえ、映え揃った牙や爪は、明らかに肉食獣としての特徴を示している。
単に、腹が減れば何でも食べるだけなのかもしれない。
どちらだろうと構わないが、いずれにしろ、あれに見つかれば非常に拙い。
それだけは、確信を持って理解できた。
本当に草食……木食生物ならば、危険はないのかもしれない。
しかし、それを確認する為に、わざわざ見つかりたいとは思えなかった。
マコトが戦々恐々としているその時、その魔物が何かに気付いて顔を上げる。
そして、数秒静止してから、その大きな口を開いた。
「ギィヤォォォオオ!!」
吠声は、まるで恐竜そのものだ。
空気を震わせるその音は、根源的恐怖を呼び起こす。
その魔物は、次いで何かを探るように、首を忙しなく動かし始めた。
「気付かれた……?」
まだ捕捉はされていない。しかし、匂いか何かで勘付いたのかもしれない。
だとすれば拙い。
あれ一つに見つかれば、他の魔物まで殺到して襲って来るだろう。
マコトは勇者として呼ばれたのだし、実は本当に強いと解りかけて来たところだが、数の圧殺に勝てるものだろうか。
「今は……、見つかる前に逃げないと……」
マコトとしても、見つかりたくないという気持ちは強い様だ。
当然だろう。
戦える力を持っているとしても、率先して戦いたいかどうかは、全く別の話だ。
マコトは腰を低く屈めて、音を立てないよう、壁際を歩いてどこか入る道がないか探し始めた。
いざとなれば、狭い窓を破壊して、穴を拡げる事も想定していたかもしれない。
だが、ここで下手な音を出すのは、あまりに危険だ。
魔物の方が身軽だろうし、簡単に追い付かれてしまう。
そのうえ、破壊した窓を塞げなければ、そこから魔物を呼び込む事にもなってしまうのだ。
この調子では正面扉に行き着いたところで塞がれていそうだし、どこからか潜り込める場所を見つけなければならなかった。
このまま無駄に彷徨っていては、魔物に食い殺されるだけだ。
「どうすれ……どうすれば……!」
焦った声で忙しなく周囲へ注意を向けながら、マコトはとにかく壁伝いに進んで行く。
しかし、そもそも城とは攻め込まれる時を考えて、容易に侵入できない仕組みになっているものだ。
一階に窓らしい窓がないのも、それが理由だろう。
ならば何故、シュティーナは壁伝いに降りろと言ったのだろうか。
外から侵入できない造りになっているなら、その助言は全く見当外れでしかない。
それとも、彼女にも見落としがあり、この事態は想定外だったとでもいうのだろうか。
――いや、違う。
見落としがあったとすれば、それはそんな単純な事でなく、マコトが記憶を失っている事に対してだ。
当然知っていると思い込んでいて、一階から侵入する方法など、敢えて口にしなかったのではないか。
つまり、本来のマコトなら当然知っている手段で、一階の何処かから侵入できてしまうのだろう。
隠し扉とか、そういう類の何かが、壁のどこかに――。
そう考えていると、壁伝いに手を添えていた一部が、淡く光ってすぐに消えた。
一歩進む毎にすぐ手を離していたので、光もすぐに消えてしまっていたのだが、新たに触れた壁は光ったりしない。
「なんだ……?」
マコトは一歩戻って、また同じ場所に手を置く。すると、再び壁の一部が淡く光った。
手を離すと消えてしまうので、触れている間だけ、何故か光る細工になっているようだ。
「……もしかすると」
マコトの中に、一つ閃くものがあったようだ。
しばらく壁に手を押し当てていると、鍵の外れる音がする。
研究室の扉が、マコトを生体認証するような魔法が掛けられていたのと同じ理屈だろう。
城の隠し扉もまた、そうした同じ仕組みで出入りできるようになっていたようだ。
勿論これは、マコトに許された特権の類なのだろう。
国の重要人物だけに許される隠し扉、それを使える立場であった様だ。
異世界人であるマコトをどれだけ高く買っていたのか、ここからも類推できる気がした。
鍵の外れた音と共に、壁の光は急激に収まる。
そうして最後に、扉の輪郭をなぞるように線が光って、今度こそ本当に何の反応も見せなくなった。
「これで、入れるようになったのかな……」
その輪郭に沿って壁を押し込むと、重い音を立てて壁が引っ込む。
一度引っ込むと後は勝手に動いて、どこかの部屋へと通じる隠し通路が出来上がった。
ひと一人が通るには十分な広さで、通路の中には、例の薄っすらと照らす魔法灯もある。
背後からは、周囲を警戒する魔物の唸り声も聞こえていて、追い立てられるようにマコトは中へと身体を滑り込ませた。
どこを触れば閉じられるのか、マコトは壁伝いに手を這わせる。
しかし、スイッチみたいな物は用意されておらず、誰かが入れば勝手に閉まる仕様だったらしい。
マコトが足を踏み入れた時点で、勝手に閉じてしまった。
改めて通路の奥へと顔を向けてみると、それほど長い道ではないと分かる。
十歩も歩けば、次の扉に着けるだろう。
だが気になる所もあり、形としては扉であるものの、ドアノブや指を引っ掛ける凹みなども無い。
それでとりあえず触れてみると、またも光って独りでに横へとスライドしていった。
開いた先は、どこかの部屋へと通じている。
マコトは顔だけゆっくりと覗かせて、音を立てないよう、左右を見渡す。
どうやら、中は倉庫のような作りをしていて、乱雑に物が置かれている。
そして、ここは魔物のお眼鏡に適ったものはないらしく、荒らされた形跡もない。
物は多く、整理もされていない場所だが、よくよく見渡してみると研究室の様な趣もある。
もしかすると、ここがシュティーナの言っていた、中継機のある場所かもしれなかった。
マコトは慎重に様子を窺い、そろりと部屋の中に踏み入る。
外から入って来た時同様、それで背中の扉も勝手に閉まった。
少し奥へ進んでも、やはり魔物の姿も、卵が植え付けられている気配もない。
それで勇気付けられたのか、マコトの足取りも軽くなる。
部屋の奥まった所まで進んで行くと、大きな八面体の水晶が、台座の上に鎮座しているのが見つかった。
更にその台座へと、多種多様の管が接続されている。
水晶の色や煌めきは、本城を貫いていた剣と同じ物の様に見えた。
この城――あるいは国に対して賄う程のマナを、あの結晶剣が生んでいるのだとしたら、その中継を成す為に同じ結晶を使うのは道理に思える。
だが、今は結晶に輝きが灯っていない。
まるで火が消えたかのような静けさで、動力を落とした状態がこれ、と言われたら納得してしまう。
本当にこれが中継器ならば、直せば記憶再生装置も復活する、という事になるのだが――。
「どうやって、再起動させたものかな……?」
何しろ水晶にも、その台座にも、PCみたいな分かりやすいボタンなどは付いていない。
しかし、起動装置は台座の方にあるだろう、という予想は間違っていないと思う。
思うのだが、台座を中心に一回り調べてみても、それらしい突起やマークなどは見つけられなかった。
「あ、そうだ。管の方は……」
そもそも、中継機を兼ねているという話だった。
単に管を切断しても、動作は停止できるのだ。
もしかしたら、マコト同様止め方を知らない姫が、強硬策に走ったとしても不思議ではない。
そうして管の行き先をある程度追って行くと、壁の中へ入ってしまい、それ以上の追跡は不可能になった。
しかし、こうなってしまうと、どこまで追っていけば無事と確認できるか、分かったものではない。
元々、管は本城から繋がっているのだ。
切断の有無をハッキリ確認したいなら、そこまで追って見なければならなくなる。
到底、現実的とは思えない。
それならば、まず水晶が起動するかどうか、様々試してみる方が建設的だろう。
マコトは踵を返して水晶まで戻ると、不意にペタペタと触り始めた。
これまで扉が生体認証で開いたように、この水晶もまた似たシステムを採用しているかも、という判断は正しい。
――なかなか、冴えている。
そして、それはどうやら、正解だったようだ。
マコトが台座部分に五秒触れていると、重苦しい音を立てて水晶に灯りが灯った。
その中心に小さな灯りが点って全体に広がると、更に光量が強くなる。
台座に鎮座していた水晶は、重力を無視して浮き上がり、非常にゆっくりとした回転を始めた。
この不思議装置が再起動したのは、実に喜ばしい。
しかし、そもそもの問題として、これが中継機だったのか確信は持てない。
本当は全く別の、何ら関係ない装置を起動しただけかもしれないのだ。
とりあえず起動した理由も、隠し通路の先に、それらしい装置があったから、という単純なもでしかないだろう。
果たして本当に良かったのか、今更ながら不安になる。
そもそもとして、シュティーナはもっと詳しく説明しておけ、という話だ。
何も知らないマコトには、それらしい装置は全て中継器に見えてしまう。
――果たして、その思いが通じたのだろうか。
その直後、脳内に念話の声が響いて来た。
『シュティーナです。現状は?』
「とりあえず、それっぽいのを起動してみたところ。なんか、八面体をした水晶の……。今は光って、ゆっくり回転してる」
『それで結構です。説明が足りなすぎた、隠し通路の存在は覚えていないかも、と思っていたのですが……。全てを忘れていた訳ではなかったので?』
「全て忘れてたよ……! 単に運が良かっただけ! なんで何も教えてくれないんだ! 外には魔物だって、わんさと――」
口に出した事で興奮も増して来たマコトを、シュティーナは冷淡な声で鋭く止めた。
『お静かに。大声を出すと、姫様だけでなく魔物まで呼び込みますよ。あなたが研究室に居ないと、既に確認した後でしょう。ならば、探しに移動した事が期待できます。再び五階まで戻ったのなら、問題はないのですが……。まだ研究室に居るとすれば……』
「再起動がバレてる! 拙いよ、帰って来る事を見越して、待ち構えられたら……!」
『えぇ、だとすると、非常に厄介な事に……。ですから、まず私が先行します。もしも研究室内に留まっていたなら、何処か適当な場所へお連れしますよ』
「え、大丈夫なの、それ……」
『何かあれば一報を入れます。そして、もし姫様が見切りを付けて、移動した後だったなら……』
シュティーナは一度言葉を切って、それから囁くように言って来た。
『……初めて、お目に掛かれますね』
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