目覚めの時、或いは微睡みの継続 その3

 恐る恐る目を開いた先では、視界一杯に映像が現れていた。

 上下左右、どこを見ても映像の途切れというものがなく、まるで映像の世界へ意識だけ飛び込んだかのようだ。

 現実と虚構の区別を、この装置が掻き消してしまっている。


 それ程までに、目の前の光景が映像だと理解できない。

 狭い部屋の中では照明もなく、どこか空虚で恐ろしい。

 その空気感すら伝わって来るかのようだ。


 視線の先には一人の人間がいて、これが恐らくマコトだと思った。

 そのマコトが、背もたれの無い簡素な椅子に座っている。

 左右それぞれの膝の上に肘を置き、項垂れるようにして首を下に向けていた。


 その顔が、うっそりと上がって正面を向く。

 格好は今と同じで、ブルーメタルの鎧に兜という姿だ。

 バイザーは半分しか上げられておらず、画角の問題でハッキリと顔は見えない。


 しかし、その目はハッキリと、こちらを見ていると分かった。

 記憶を再生するという話だったから、自分が見たものをそのまま映している筈だ。

 だとすると、全身が映る大きな鏡に向かって、顔を向けていたりするのだろう。


 映像の向こう側に居るマコトは、酷く疲れているように見える。

 それが体力的なものなのか、それとも精神的なものなのか、そこまでは分からない。


 ただ、項垂れていた姿は、哀愁の雰囲気すら感じられた。

 小さくため息を吐くと、気怠げな調子で言ってくる。


「今の君が、どういう状態にあるのか、正確にはどれほど酷い状況にあるのか、そこまでは理解していない。しかし、最悪の状況を想定して、これを残す」


 一応の覚悟はしていた。

 自分に向けたメッセージを残すなら、それは楽観的な内容にはならないと思っていた。

 そしてやはり、それは間違いないらしい。


 ドーガのマコトが僅かに顔を上げた事で、幾らか顔立ちが顕になる。

 とはいえ、顎の細い線が見えたぐらいでしかない。

 しかも兜が影になってしまい、顔の全貌は全く見えなかった。


 だが、その奥で爛々と光る瞳だけはハッキリと分かる。

 そこへ一瞬のノイズが入り、映像が乱れた。


「最初に言っておく。シュティーナは信頼できる。記憶を失った時の為、それをフォローして動いてくれる約束だ。彼女を頼って動くと良い」


 また映像が乱れたが、この技術というのは、随分不安定なものらしい。

 昔ネットの動画で見た、VHSのカセットテープの様な、不自然な乱れが生じていた。


 ともあれ、シュティーナの扱いを自分の口から聞けたのは、まず朗報と言って良かった。

 今までも助ける素振りは見せていたものの、本当に信じて動いて良いか、常にその疑問が付き纏っていた。

 一抹の不安は常に疑念を作っていて、それが解消されてホッとする。


「先に説明しておくと、この映像は君が知る録画技術と、原理を大きく異にしている。現代科学に慣れ親しんだ、カメラのレンズを通して録画するものじゃない。これは幻術を利用して記憶を吸い出し、それを固着させる事で現像化させている」


 どうやら、随分と乱暴な手段で再現した代物らしい。

 科学的アプローチで、魔法の利便性を向上させる――。


 それがマコトのやって来た事で――そして、だからこそ革新的と称賛されていた。

 それは、これまで聞いてきた話の内容から察していた。

 しかし、何もかも科学になぞらえる事は無理だったようだ。


「だから、この映像に覚えが無いのは当然だし、その記憶が完全に欠落していても不思議に思う事はない。けど、この映像以外にも、全ての記憶が失われているのなら……。つまりそれは、ケルス姫に奪われた事を意味する。……信じられないって? だが、そういう事になってしまう」


 ――本当か?

 返答が無いと分かっていても、思わずそう問いたくなる。


 目覚めた時、すぐ側に寄り添ってくれていた彼女。

 抱き着き、心配そうに見つめてきた彼女。

 それ事態には、本心と真心があったように思う。


 しかし、記憶を失っていると知りつつ、恋仲だったと伝える事は、果たしてフェアだったろうか。

 そして、部屋の去り際……。

 こちらを観察するあの目、あれは恋人に向けるものとは正反対のものだ。


 単なる勘違いとも思えない。

 心配した事は本心でも、何か隠しているものがある。


 ――怪しい。

 そう思わずにはいられない。

 そして、マコトもそう思ったからこそ、ここに留まれという願いを無視して、逃げ出すつもりになったのだろう。


 だが同時に、何故と思わずにはいられない。

 シュティーナは、ケルス姫とマコトが恋仲は有り得ない、と言っていた。

 それは異国の血を王家に汲み込む事を許さない、という不文律から来るものかもしれなかったし、もっと単純に美醜の問題でもあるのかもしれない。


 恋仲であったかどうか、それは誰かに指摘されてしまえば、即座に判明してしまう程度のものだ。

 それが分からぬ筈もない。

 では、その嘘とケルス姫の行動に、どれ程の意味があったのだろう。


 疑問と葛藤を他所に、映像の中のマコトは話を続ける。

 その時、また映像に乱れが生じた。


「理由という――ザザッ――、勿論ある。ケルスなら使用可能な魔力量を、確保できるからだ。誰でも扱えるほど、簡単な魔法じゃない。訓練を受け、しっかりとした基礎技術を身に着けた者しか使えない。怠慢な学者風情には無理だ。そして、記憶を奪った理由――」


 言っている途中で、プツリと音を立て、突然目の前が真っ暗になった。

 まだ全て聞いていないのに、音も映像も途切れてしまう。

 映像も乱れていた事だし、この記憶再生という技術は、スマホで動画を見るほど安定性は無いらしい。


 ――何だよ、いい所で……!

 憤ったところで、映像は再開されない。


 一度被っていた物を外し、うんともすんとも言わない金魚鉢を上下に振る。

 そこへ念話が突如入って来て、マコトはびくりと肩を震わせた。


 驚かされた文句も言おうと、マコトは口を開く。

 だが、その口から出て来たのは、押し殺した悲鳴だった。

 聞こえて来る筈の声と、実際に聞こえた声がまるで違ったからだ。


『あぁ、マコト……。愛しい、マコト。まずはわたくしの不明を詫びます。あなたを一人にさせてしまった事、寂しい思いをさせてしまった事……。とても不安だったでしょうね。……深く、後悔しています』


 マコトは手に持っていた金魚鉢を落としそうになり、慌ててお手玉して懐に抱き込む。


『ドーガを使って保存した魔石は複製できる。それは知っていました。隠した場所は、全て見つけたと思っていたのに……』


 だったら、主任の――マコトが使っていた机など、真っ先に調べそうなものだ。

 引き出しを開ければ見つけられた程度のものを、どうして見落とせたのだろう。


『ですが、釈明する機会を下さい。下手な言い訳は致しません。私の口から、全て説明します。それを許して下さる、というのであれば……。だから動かず、そこでジッとしていて下さい』


 それだけ言うと、ケルス姫からの念話は途切れた。

 落ち着かない気持ちになったのか、マコトは金魚鉢を投げるように元へ戻すと、代わりに兜を装着する。

 部屋の中を落ち着きなく歩き、どうしようかと思案していた。


 そこへ再び念話が届き、脳を揺らした。


『シュティーナです』


「あ、あぁ……! 良かった……君か。映像は最後まで見られなかった。勝手に切れてしまって」


『最後まで見るべきです。でも、再生装置は魔力供給が遮断されれば使えません。装置から無数に伸びる管は見えたでしょうか。途中で映像が切れたのは、そこからの供給を止められたからでしょう』


「……どうすればいい?」


『復旧させるしかありません。物理的に管を切断されていなければ、魔力タンクをダウンされたと考えるのが妥当です。復旧させれば、また問題なく見られるでしょう。私の方でも、別の方向から調べてみます』


 ハキハキと答えが返ってくるのは、この状況では心強い。

 とはいえ、その魔力タンクとやらが、どこにあるかが問題だった。


 マコトは当然、その疑問をぶつけようとする。

 だというのに、それより早く念話の途切れる気配がして、マコトは慌てて呼び止めた。


「――ちょっと待って! それどこにあるの?」


『そうでした……。えぇ、そのすぐ階下、東棟の一階にその設備があり、直接そこへ繋がっています。一階設備は中継機も兼ねているので、大本から切断されていれば、本城まで出向く必要がありますが……。もしも中継機だけダウンさせられているなら、復旧も簡単です』


「それを聞いて安心したよ……」


『ですが、その中継器をダウンされたとなれば、当然、姫様もすぐ近くに居る事に……』


「それは拙い。何か分からないけど、とにかく拙いよ……!」


『では、一度階段を上り、外から壁伝いに降りるしかありません。鉢合わせを防ぐには、それが最も確実かと。単に階上へ逃げて息を潜めて隠れても、姫様は魔法が使えますので』


 どういう魔法か不明だが、誰でも安易に習得できるというのは問題だ。

 今更言っても詮無き事だが、悪態の一つも吐きたくなる。


 そして、現実に魔法があれば、人を探知できる魔法ぐらいあるだろう、と思える。

 周囲の生体反応を感知できるだとか、サーモグラフィーの様に壁を透過して見えるのだとしたら……。


 単に上の階で息を潜めているだけでは、見つけて下さいと言っているようなものだ。


「でも、それで大丈夫? 壁伝いでも見つからない? その……姫が使う魔法で」


『城の外壁までの距離があれば問題ないでしょう。そこまで広い範囲で、見つける事は出来ない筈です』


「今はそれを信じるしか無いか……。じゃあ、とにかく行ってみる」


『ご武運を』


 その一言で念話が切れると、マコトは左手を前に突き出し、剣を逆手に持って防御する型を取る。

 部屋から出ようと歩き始め、そして即座に階段が視界に入って来た。

 この時点でケルス姫が階段を登っていたら、即座に鉢合わせるか、あるいは発見されてしまうだろう。


 魔法に対する理不尽さを口の中で呟きながら、マコトは出口までおっかなびっくり進んで行く。

 部屋から顔を出す時も、まるで魔物に警戒する時以上の慎重さを見せた。


 足甲グリーブの踵は、石床へ軽く打ち付けるだけで音が響いてしまう。

 必死に押し殺しても、足音をゼロには出来ない。

 だからだろう、階下の様子を窺う回数は非常に多い。


 螺旋階段なのだから、見たところで姿の確認は不可能だ。

 それでも見ずにはいられないらしく、ちらちらと後方を窺いながら、慎重に階段を登っていく。


 室内などに比べれば、階段は散乱してないとはいえ、石が欠けた部分は幾つもある。

 それを踏み潰したり、あるいは蹴り飛ばしてしまえば、それだけで居場所を知られかねない。


 マコトは全身を緊張させて、不自然なほど膝を上げては階段を上がって行った。

 そうして苦労の果てに上階へと辿り着く、大きな溜め息を一つ吐いた。


 そうする余裕があるのは、先程魔物を一掃してあったお陰だ。

 これならば、少々音を立てたところで問題なさそうだった。


 だが、この階全ての魔物を確認した訳ではない。

 発見されでもして、一つ魔物を倒せば、その騒ぎで別の魔物を呼ぶ危険は高かった。

 用心するに越した事はなく、石橋を叩き過ぎるぐらいで丁度良い。


 だが、周辺に魔物がいないのは確かなようだった。

 あまり奥へ行き過ぎなければ、発見されないだろう。

 マコトもその辺りは弁えているらしく、不用心に遠くへ足を運ぼうとしない。


 巨大な結晶剣を見た当たりなら安全そうと判断し、窓辺へと近付いて行く。

 板ガラスが嵌められた窓は、上下スライド式になっていて、錠を外せば簡単に開いた。


 どうやって降りたものかと、下を覗き込んでみれば、ひと一人が通れるだけのスペースがある。

 それは道ではなくデザイン上の問題で、窓下は石壁沿いに出っ張りが作られているようだ。


 立って歩ける幅があるのは結構な事だ。

 しかし、一度降りてしまえば、自力で窓まで這い上がるのは無理な高さでもあった。

 ――ここから降りれば、もう戻れない。


 その上、降りた先は姫が来ているかもしれない二階なのだ。

 単に降りるだけにも慎重さがいる。

 盛大に音を立てながら、そこへ降りる訳にはいかなかった。


「これ、行けるのかな……」


 思わず弱音がマコトの口から洩れる。

 三階とはいえ、それはマンションの三階とは訳が違う。


 一階まではマンション五階か、それ以上の高さがありそうだった。

 落ちてしまえば、怪我だけでは済まないだろう。

 逡巡しつつも、マコトは窓枠へと手を掛ける。


 身体を外に出すと、石壁のどこかへ足を引っ掛けられる部分はないか、足先で外壁を引っ搔いていた。

 しかし、使用されている石材は、どれも丸みを帯びていて、足を引っ掛けられそうな場所がない。

 どうやら、あの僅かなスペースに、上手く着地するしかないようだ。


 幸いな事に、風の流れは感じられない。

 煽られて流される事はないだろう。

 だが、着地に失敗すれば、地上まで真っ逆さまに落下してしまう。


「う……! くそっ、なんでこんな目に……っ!」


 マコトは半ば涙声を出しながら、窓枠をしっかり握って肘を伸ばしていく。

 鎧の重量もあって重いだろうに、懸垂の要領でゆっくりと身体を下に降ろす。


 とはいえ、スペースまでの距離は遠く、足は依然届いていない。

 足先をフラつかせて壁を引っ掻くが、手を離さなければ届かない程の絶望的な距離だ。

 幾らか足掻いていたものの、とうとう覚悟を決めて、マコトは手を離していた。


 だが、実際には見た目より大した距離ではなかったらしく、大して音も立てずに着地できた。

 膝をクッションにして、上手くバランスを取ったつもりかもしれないが――。

 鎧の重量まで、その計算には含まれていなかったらしい。


「わ、わ、わわっ……!」


 後ろへ倒れ込みそうになり、身を捩って壁に手を伸ばす。

 しかし、指先が石壁に触れるだけで、ほんの少しでも引っ掛かりはしない。


 重力に引っ張られ、徐々に後ろへ倒れ込んでいく。

 マコトは小さな悲鳴を上げながら、背中から真っ逆さまに地面へと落ちて行った。

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