第一章

目覚めの時、或いは微睡みの継続 その1

 唐突に現れた謎の声が言う事を、全面的に信じる事は出来ない。

 しかし、胸の奥でシコリの様に生まれていた違和感は、その発言から芽を出し、疑念が形を成してきたように思う。


 目覚めたばかり、記憶を失った状態。

 そうした中で、ケルス姫の言う事は疑う余地がないかに思えた。


 ――だが、もしそうでないとしたら。

 一度生まれた疑念は、そう簡単に払拭できない。


 最後にケルスが見せた、観察するような視線……。

 居て然るべきと思える看護人……。


 獣とは違う謎の雄叫びも、また気になるところだった。

 そしてあの声は、決して遠くから聞こえたものではない。


 ここが仮に城であるなら、その城内から聞こえたように思える。

 仮にそうでなくとも、近くから聞こえた事は間違いなかった。

 ケルス姫はここに居ろ、と言っていた。


 その言葉を信じて待って、本当に良いのだろうか。

 あの恐ろしい叫声は、決して近付いてこないのだろうか。

 大人しく待機していれば脅威が取り除かれ、安全になるのだろうか。


 分からない。

 何もかも分からないが、何かした方が良いのでは、と思わされる。

 ――とはいえ、逃げろと言われても、どこに逃げれば良いかも分からないのだが。


 マコトは改めて部屋の中を見渡す。

 たが、どこか他へ繋がる扉は発見できない。

 どうすれば、と身体を固くさせて周囲を窺う事しか出来ないマコトへ、再び脳内に声が入った。


『まずは、お着替えを。逃げようにも、そのままでは危険ですから。ベッドの下を見て下さい』


 言われて両腕を広げて見下ろせば、麻布で作られた薄い寝間着を身に着けているだけだった。

 気付いてみれば裸足のままで、サンダルの類すら履いていないし、ベッド付近にも見当たらない。


 そのベッドも、三人は優に眠れそうなほど広いものであるものの、代わりにシーツなどは薄く変色していて清潔さがなかった。

 定期的な洗濯や、交換がされていなかった証拠だ。


 またも違和感の種を発見しながら、言われたままにベッドの下を窺うと、そこには一つの箱が隠されている。

 豪華な一室には似つかわしくない、釘打ちされた粗末な木箱だった。


『ベッドの下に、使用人用の衣装入れが置いてあります』


「あ、あぁ……。見つけた……!」


『あなたが運び込まれるとしたら、候補は幾つもありませんでしたから、予め置いておく事は簡単でした。さぁ、遠慮なくどうぞ。中にあるのは、貴方が使っていた装備です。お仕着せではありませんので、どうかご安心を』


 軽口に返す余裕もないのか、マコトは無言のまま箱を引っ張り出す。

 被せ式になっている上蓋を開けると、そこには確かに鎧一式とは言わないまでも、装備の類が入っている。


 ブルーメタルの胸部甲冑には、中心に鮮やかな赤い宝石が埋め込まれていて、素材も頑丈そうだ。


 そして、鎧色に合わせた前腕部まで守るガントレットと、膝丈まで防護するグリーブ、それに兜が用意されている。 

 この兜だけは違う色で、使い込まれた銀が鈍色の光を放って鎮座していた。


 全身鎧から幾つかパーツを引き抜き、身軽にさせた装備、という物に見える。

 他にはレザースーツも入っていて、鎧の下に着込む事で、装甲の無い部分を保護する役目を持つ物の様だ。


 それらの装備を特に感慨もなく手に取り、いざ着替え始めようとして、咄嗟に目を反らした。

 ――自分の身体という自覚もなしに、その裸を見るべきではない。


 着替えが終わるまで意識して視線を外に向け、しばらく金属同士が触れ合う音だけが部屋の中に響いた。

 鎧は服の着替えほど簡単には済まない筈だ。

 それでも、身体が覚えているというのは本当だったのか、手慣れた手付きでスムーズに着装が済んだ。


 兜にはバイザーが付いていて、それも下ろしてしまえば、視界は一気に悪くなる。

 全方位を注意深く観察するには全く向いてなくて、下げたばかりのバイザーは、乱暴な手付きで即座に上がった。 


 防具はこれで良いとして、しかし武器がない。

 箱の中にも無く、部屋の中にもそれらしき物は見当たらなかった。


 危険というなら、守るばかりでなく、武器もまた必要である筈だ。

 その時、まるで見計らったかの様に、再び声が聞こえてくる。


『準備は宜しいですか? 危険が迫っています。一人がそちらへ逃げ込んでいます。追いつかれるのは時間の問題でしょう。……少々時間を掛け過ぎましたので、そこでも既に安全ではありません』


「な……っ、そんなこと言われても……! 逃げ込むって何? どうすればいいの……!?」


『別方向へ逸れてくれる事を祈り、その間に逃げるしかないでしょう。すぐに部屋から脱出して下さい』


 その言葉を皮切りに扉へ駆け寄り、マコトは乱暴に開け放つ。

 だが、それまでの乱暴さは消えていて、そろりと外へ顔を出す。


 そこには先程と変わらぬ、沈黙だけが支配していた。

 物音一つ聞こえないし、本当は危険など無いのでは、と思いたくなる。


 ――それに。

 薄暗い廊下が左右を貫いているだけで、どこへ逃げれば良いのかも分からない。

 安全な場所があるとするなら、それはここではないか、と思い直す程だった。


『部屋から出たら、左へ進んで下さい。階段が見えて来ます。そこは最上階ですから、まず降りなければ話になりません』


 見渡す限りは窓などない廊下だし、部屋の窓にはカーテンが掛かっていたから、ここが高所と思ってすらいなかった。

 しかし最上階とは、つまり袋小路という意味でもある。

 ならば確かに、ここから動くしかないのだろう。


「でも、武器は……? 武器がないと……!」


『それなら既にお持ちです。胸元に埋め込まれた魔法石が、武器を収納してくれています。手を翳して念じれば取り出せ、必要ない時は、同様の手順で仕舞えるのです』


 言われるままに手を置いたマコトは、胸元から生えてくる剣に感嘆とした声を出す。

 その全貌を顕にした剣は鋭く優美な騎士剣で、一振りすれば風を切り、取り回しも軽い物らしい。


 剣を振るうのもサマになっていて、全くの素人でない事を感じさせる。

 鎧の装着と同様、身体で覚えている事は、記憶がなくても出来るというのは間違いないらしい。


「う、うん……。何とかなる気がして来た」


『結構な事です。では、お急ぎを』


 おっかなびっくり右足を出し、そして辺りを窺いながらも前に進む。

 しかし、この通路は湾曲して続くだけで、他に部屋がある訳でもない。

 幾らもせず、階段へはすぐに行き当たった。


 壁にはやはり魔法光らしきものが照らしていて、真っ暗闇ではない。

 しかし、螺旋階段になっている所為で、先行きも、危険の有無も分からない。


 だから片手に剣、もう片方を壁に付きながら、警戒しながら降りるしかなかった。

 やはりおっかなびっくり降りていけば、階下のフロアはすぐに見えた。


 まずはこのフロアに降りて、身を隠した方が安全だとは思う。

 だが、何が正しいか分からない現在、聞いていたとおり降りてみるしかない。


 更に階段を降りて三階に出たその時、横からけたたましい悲鳴と足音が聞こえてきた。


「いやだぁぁ! たす、たすけ……ッ!」


 咄嗟に壁へ身体を当て、剣も胸に抱いて息を潜める。

 マコトは助けようとするよりまず、身の安全を図る事にしたようだ。


 そうすると、獣の様な荒い息遣いと唸り声、そして何かが盛大に転ぶ音が聞こえた。

 次の瞬間、叫び声と共に肉を食む音、引き千切る音、骨を砕く音が耳を貫いた。


「あぎッ! いや、いだ、いやだ! ぎぃぃぃアアア!!」


 手足が床を叩いても、バリボリと骨ごと肉を食い荒らす音は止まらない。

 そのまま十秒も過ぎると、遂に悲鳴は聞こえなくなった。


 それを聞かざるを得なかったマコトの息遣いは、自然と荒くなる。

 壁一枚を隔てた向こうには、捕食している化け物がいるのだ。

 その現実を、受け入れられないのだろう。


 ――気付かれれば、襲われる。

 想像するだに恐ろしく、唾液を飲み込む音さえ聞こえてしまいそうで怖い。


 咀嚼音が終わるのを、マコトは念じる様に瞼を閉じて待つ。

 そうすると、祈りが通じたのか、二分と待たず、すぐ止まった。


 マコトは身体をそろりとした動きで出口へ向け、そこから顔を半分だけ出して様子を窺う。

 すると、そこには爬虫類と虫を掛け合わせた様な、醜悪な獣が周囲を警戒している場面が目に入った。


 あまり大きくはない。

 中型犬よりは大きい程度の、トカゲに良く似た化け物だった。


 歯は鋭く乱杭歯が外に飛び出し、足の数も八本と多い。

 そして、その全身は蜘蛛を思わせる体毛に覆われている。


 床には一面、血溜まりだけが残されていて、人の形をしたものは残っていない。

 辛うじて、衣服の切れ端が見えるだけだった。


 魔物はその場で何かを探して、執拗に周囲を見回している。

 それから唐突に身を震わせると、壁際に寄って、肥大し風船の様に膨らんだ尻尾から、白い物を落としていった。


 糞かと思った直後、それは違うと否定する。


 ――あれは卵だ。

 醜悪な形をした怪物……あれが魔物で間違いないなら、その魔物が今まさに、数を増やそうとしている。


 ――見過ごして良いのか。

 絶好の機会に思える。

 魔物の生態など知らないが、産卵するタイミングというのは、攻撃するまたとない機会ではないか。


 マコトは一度顔を戻して呼吸を整えると、騎士剣を胸から離して掲げ、柄から剣先までを一直線に見上げる。

 剣は魔法灯の灯りに反射し、鋭い光を煌めかせていた。


 何かに対しての覚悟は、それで決まったらしい。

 細く息を吐くと、一気に飛び出して魔物に飛び掛かった。


「ハァァァァア!!」


 掛け声一閃、素早く顔を向けてきた魔物の顔を、一刀両断に切り落とした。

 驚くような間抜け面のまま、ごとりと頭が床に落ち、鮮血が飛び散る。


 それを横に躱して、魔物の身体にも深々と剣先を沈める。

 すると、バタつかせていた足も、すぐに動きを止めた。


 呆気なく仕留めた。

 そう思った矢先、足元に落ちた卵は即座に孵化して、殻を破って顔を出す。


「――なぁ!?」


 産卵から孵化までが早すぎる。

 しかも、まだ身体が形成されていない、未完全の状態という訳でもなかった。

 そういう生態なのだと言わんばかりに、今しがた殺した魔物を小型化した形で生まれていた。


 だが、孵化した直後だからこそ、その動きも散漫だった。

 殻から完全に顔を出せていない個体も多い。

 その上、抵抗らしい抵抗まで出来ていなかった。


 即座に両断してホッと息を吐いたのも束の間、膨れ上がった尻尾の肉を切り裂き、次々と孵化した顔が突き破ってくる。


「ヒィィィッ!」


 悍ましさに身の毛がよだつ、とは正にこの事だろう。

 マコトは出鱈目としか思えない剣の振り方で、尻尾とその中身を細切れにした。

 五分も振り回すると、それでようやく動くものが見えなくなった。


 マコトは膝に手を当てて、荒い呼吸を繰り返す。

 戦果に見合う消耗でなくとも、今だけは仕方ないと思える。


 その時、またも突然脳内に声がして、マコトはまたもびくりと身体を震わせた。


『その魔物の名前はベリト。最も弱く、しかし、最も数を増やしやすい魔物。産卵時が最も倒しやすいのは間違いないでしょう。お見事でした』


「お見事……!? 見ていたの!? 助けもせず!?」


『直接見ていた訳ではありません。逃げ込んだ者の悲鳴が聞こえ、そしてあなたの悲鳴はない。そこから推察したまでです。とはいえベリトでは、あなたの敵にならないのも事実。褒め言葉など、むしろ侮辱でしかありませんでしたか』


「何を言って……。自分の実力なんて、自分が一番分かっていないのに。大体、どうやって話し掛けて来てるの? それに、まだ自己紹介もされてない。あなたは誰? どうして助けてくれるの?」


 その質問には、一拍の沈黙があった。


『どうやって話し掛けて……? それを知らないという事は……えぇ、確かなようですね。まず、この念話技術は四年前から広く使われるようになったもの。現代電信技術の応用、とかいう話ですが、詳しい事まで存じません。ですがこれは、魔法技術開発者として、あなたがこの世界で最初に実現させた技術です』


「……全く、知らない。覚えがない」


『その様ですね。そして、私の名前はシュティーナ。先程の魔物を見たでしょう? あれらが城内に溢れています。逃げ場はありません。……でも、私があなたを助けます』


「だから、何で。何が目的で?」


 マコトの声には苛立ちが混じっている。

 理解できない事の連続、命の危機、魔物の脅威……。

 それら全てに苛立ちを覚えているかのようだった。


『あなたは記憶を失ったのではない、のです。姫様は大義のため戦い、名誉の負傷の末――事故と説明したかもしれません。……でも、本当に? あなたが国の為に奮闘を? 王族と国に恩義を感じているなら、それもあり得るでしょうけど』


「あー……でも、ケルス姫とは恋仲同士だったとか……」


『……冗談のつもりですか? ご自身の姿を、客観的に見て下さい。一国の姫に、それは許されないでしょう』


 余りに辛辣な言葉に、マコトは言葉を失う。

 客観的も何も、鏡がないので分かり様もない。


 しかし、言いたいことは理解出来た。

 召喚されたというのが本当なら、マコトは他国の人間だ。

 他国どころか異世界の人間でもある。

 どこの血筋とも知れない者と、王族を結婚させられないとか、きっとそういう理由だろう。


『私はの為、予め説得を受けていた者です。あなたの覚悟を聞かされ、それに感銘を受けたから……。だから、あなたを助けると、私も覚悟を決めました。――その、最後の瞬間まで』

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