記憶を失って勇者モドキ! 〜彼は如何にして、再び世界を救う意志を取り戻したのか?〜
海雀
プロローグ
――召喚は上手くいった。同じニホン人だ。とはいえ、犠牲が多すぎる。もっと、何か別の……。
――他にあるなら、とうにしています。
――適合率が悪過ぎるのは、性別に問題があるんじゃないのか。
――どうしても、男性が必要なのです。
――分かっている、その必要性は……。とはいえだぞ、既に十五人も……。
――十四人です。大丈夫、今度こそ上手くいきます。反応は上々……、これまでには見られなかったパターンですよ。
頭の奥で、声が聞こえる。
あるいは、耳の外で聞こえる音なのかもしれなかった。
しかし今は、それすらも定かではない。
辺り一面は暗闇で、しかも指一本動かせなかった。
果たして自分は、一体どこにいるのか。
何故、身動きが取れないのか。
それもまた不明だ。
そして、聞こえる音の内容を吟味するだけの力さえ、今の自分には無かった。
自分……。
自分とは、何だ。
俺は……、僕は……?
自分が何者か分からない。
名前も、年齢も、住所も、家族の顔も……何もかも思い出せなかった。
今の自分が指一本動かせないのは、単に疲れが溜まっているだけなのか。
それとも、重病を患って、意識すら朦朧としているのか。
倦怠感に似たものは感じているが、どうも違う気がする。
どうであれ、考える事が酷く億劫で、それ以上の思考を放棄した。
それでも、このままじゃいけない、という焦りだけはあった。
このままであって良い筈がない、その思いばかりが先立って、身体を持ち上げようとする。
だが、指一本動かない身体では、身じろぎ一つ出来なかった。
それでも、その甲斐だけはあったようだ。
起き上がりたいという意志が、瞼を薄っすらとだけで開けさせてくれる。
そこが明かりに乏しい部屋の中――恐らく部屋、とだけ認識できた。
その直後、視界が焼けるかと思う程の閃光が、目の前に広がった。
光で目が潰れる程の眩しさを感じ、うめき声だけは辛うじて上げながら、目を開く。
恐る恐る……、再び目が焼かれないかと恐れながら開目して……。
自分は、単なる部屋でなく、どこか豪奢な部屋の中にいると理解した。
豪華であろうとも、室内には灯りが乏しく薄暗い。
見える範囲も狭く、部屋の輪郭は掴めなかった。
分かった事は、恐らく夜なのだろうという事だけだった。
壁にある蝋燭による灯りが、ちろちろと室内を照らしている。
西洋風の一室で、見える範囲にも多くの調度品があり、視線正面にある暖炉の上には、一枚の人物画があった。
薄らぼんやりとした視界では、それが女性という以外は、何も分からない。
そして咄嗟に出た感想は、まるで城の一室だ、というものだった。
そんなものに縁は無かった、という確信だけはあって、余計に混乱させられる。
混乱するまま、辛うじて動く首を巡らせると、すぐ傍に一人の女性がいる事に気が付いた。
一人……、もう一人いるんじゃないか、と視線を動かしても、他には誰の姿もない。
まず、傍にいるその女性は誰なのかと思い、そして看護師ではないと判断した。
また、医者でもないだろう。
何故なら、その格好から医療に携わる者ではないと予想できるからだ。
着ている服はパールピンクをしたドレスで、簡素でありつつ非常に高価と思わせる作りだった。
腕や首周りに高価そうな装飾品も身に着けており、物の価値など知らなくとも、高級品とだけは分かる。
――お姫様。
彼女が視界に映った時、真っ先に浮かんだ単語が、それだった。
その彼女が、視線を向けられていると気付いたのか、振り返っては驚いた顔を見せる。
だが、驚いたのはこちらも同じだ。
それはまさしく、姫と呼ぶに相応しいだけの美貌を誇っていた。
まだ二十歳になっていないだろうと思える若々しさ。
しかし、顔の作りからして幼しさは感じない。
王族としての威厳故なのか、ある種の使命感を感じさせる雰囲気があった。
それが薄い灯りしかない事も相まって、可憐だけではない見栄えを作っているのかもしれない。
振り返った表情は、最初だけ憂いた顔に沈んでいたものの、視線が合うなり、花が咲いた様に華やぐ。
咄嗟に駆け寄ってきて、そのまま抱き着くと、首筋にその顔を埋めて来た。
「――良かった! 無事に目覚めたのですね……!」
声までも美しい姫だった。
だが、何より突然の事に面食らってしまう。
自分の人生に、姫と関わりがあったとは思えないし、庶民の生まれだったという不思議な確信だけはある。
何があったにしろ、どうすれば姫様から、それほど喜びを向けられる事になるのか、皆目見当が付かなかった。
しばらくギュッと抱き着いていた姫だが、満足したのか身体を離し、佇まいを直して一礼する。
両手を前に重ねて頭を下げる所作は、美しくも堂に入ったもので、高い教養を感じさせた。
それから頭を上げて、誰もが好まずにはいられない笑顔を見せた。
「ごめんなさい、突然の事で驚いているでしょう?
「……君は。いや、私は……僕は……?」
いったい誰なのか――、どちらに対しても掛かる言葉だ。
そして、それは正に今、自分が最も知りたい事でもあった。
「あぁ、無理もありません……。貴方は戦闘中の事故により、記憶を失くされたのです。でも、こうして無事に目覚められた……」
「きおく、を……?」
「貴方の名前はマコト様。コウヅキ、マコト様と伺っておりました。そして私はケルスティン。ケルス、とお呼びさい。……かつての様に」
「かつて……?」
「えぇ。互いの身分で礼節に則るのなら、フルネームで呼んで貰わねばならないのですが……。普段呼びするには、長すぎる名前ですから。ケルスティン・ビルギット・オルソン=フェルンストレーム。度々、覚えられないと笑ってらした……」
切なそうな瞳を向けてくる表情は、かつての憧憬を思い起こすかのようだった。
一度外に向けた視線を、笑みを張り付かせて戻し、ベッドサイドに腰掛け顔を寄せる。
「覚えていませんか?」
「本当に、悪いけど……全然」
それは全くの本音で、何一つ思い当たる節がない。
姫が名乗った名前、覚えられないと言った過去、そして自分の名前までも、何もかも他人事でしかなかった。
まるで実感がなく、別の誰かと勘違いしていないか、と疑う程だ。
「では、少し掻い摘んだ説明を……。それで何か、記憶の隅に引っかかるものが、出て来るかもしれません」
そう言って一度、言葉を区切ると、返事も待たずに話し始める。
「我がストレーム魔法王国は、度々隣国――シンソニア魔征国と衝突がありました。十年前より本格化した戦争は、民も兵も疲れさせ、それでも未だ終わらず続いていたのです。我が国は魔法において先進国でしたので、規模において勝る隣国を撃退し続ける事が出来ていました」
自国が他国と比べ、軍事的にも優位性を保っていた。
そして、その優位性が、いつも瀬戸際で追い返す事に成功していた、という事なのだろうか。
「ですが、隣国シンソニアも、常に魔法研究を欠かしていませんでした。そして技術革新の末に、その優位性が崩れます。更なる改良、新たな開発、常に有利を握ろうとする、魔法開発競争の始まりです。我国が得意とする、遠距離からの一方的な勝利が不可能となれば、接近戦も行われるようになり、従魔を使った戦闘に切り替わっていきます」
聞き慣れない単語ばかりで、内容が入って来ない。
従魔については特に顕著で、イメージだけがそれとなく浮かぶだけだ。
その疑問が顔に出ていたのだろうか、即座に捕捉する説明が入って来る。
「召喚士が得意とする、異世界から呼び出す使い魔です。戦力として兵士より優秀で、接近戦では頼りになります。しかし、数を揃える事は難しい。だから、その優位も長くは続かず、また苦境に立たせられる事となりました」
一度言葉を切って、ケルスは強く頼み込むかのような瞳で覗き込んで来る。
「新たな魔法開発は簡単でなく、着想もままならないのが常です。そこで召喚を、より有用な何かを召喚する必要に迫られ……。そして、やって来たのがあなた――マコト様なのです。勇ましき者、我らを救い給いし救世主、そう願って召喚されました」
「勇ましき……、召喚……。でもそんな、自分が……? じゃあ、記憶は、その時に……?」
「いいえ、あなたは既に、五年も前に召喚されてやって来ました」
五年……。
その間の記憶がないのは当然として、そればかりか、召喚される以前の記憶すらも無い。
それは酷く恐ろしい事に思えた。
自分が何者か、それを聞かされている最中だというのに、まるで知らない別人の人生を聞かされているとしか感じられない。
それ程、これまで聞いた内容に現実味がなかった。
「あなたは勇敢なばかりでなく、我らを救うに相応しい実績の数々を上げました。剣を振るう魔法の戦いでも、誰より優れていましたが、魔法開発者としての才能も大きかったのです。誰にも思い付かない、先進的で斬新な発想力……。開発競争は我国優位に傾き、多くの部門で飛躍的向上が見られました。召喚技術についても、その内の一つです」
ケルス姫は饒舌に語ってくれるが、何を聞いても右から左へと横滑りする。
優秀だったらしいマコトとは、一体どこに行ってしまったのだろう。
技術や開発、そういった単語とは全く無縁だったという感覚も、こちらにはある。
だというのに、彼女が言う様な、大それた発想など本当にあったのだろうか。
「本来召喚とは、契約を結び呼び出す制約上、一人が多く持つ事は出来ません。前例の無い――召喚術本に記載されていない者の喚び出しは、相当な賭けです。望む者――それと近い者を喚ぶだけでも、分の悪い賭けをする必要があったのです」
「え、でも……」
「はい、あなたという存在は、その偶然の中で生まれた希望。また次も、と望むのは必然でもありました」
良い事の様に聞こえるが、ケルスの表情は乏しい。
ではつまり、結果として良くない事が起こったのだと悟った。
「ですが、魔法開発は一つ作れば相手も真似る。秘匿しているつもりでも、相手国には筒抜けなのです。間者が潜伏しているのは、戦争中ならば当然で、幾人かは見つけ出したのですが……」
「全部ではなかったと……」
「あなたを喚び出した召喚技法を盗まれたことで、敵国もまた召喚し、より強い存在を求め……その果てに、魔王とでもいうべき存在を召喚したのです。その結果、地に魔物が溢れ、世を覆い尽くす事になってしまった……」
ケルスはそこまで言うと顔を俯かせ、口もきつく結んだ。
小さな唇が悔恨に歪む姿は、見ていて偲びない。
その当時、為政者として実権を振るっていたとは思えないが、国を預かる一人として、忸怩たるものを感じているようだ。
ケルスは再び顔を上げて、真摯に見える表情で近付いてくる。
ベッドサイドが、それでギシリと音を立てて撓んだ。
「何か一つでも、思い当たる部分はありましたか?」
「いや……、悪いけど」
「本当に……、何一つ? 一つとして、記憶の端に掛かるものは無かった……そうなのですね?」
訊き方として、少し不自然なものを感じつつ、素直に頷く。
ケルス姫の瞳は値踏みするかのようで、視線を合わせ続けるのは辛い。
だが、覚えていないのは本当だ。
話を聞く限り、マコトとは戦争に多く参加し、そして多くの魔法を開発した身でもあるようだ。
しかし、そもそも魔法と聞いても、まるでピンと来ないというのが本音だった。
自分の身の上話や、戦争の流れを聞いたところで、記憶が呼び覚まされたりもしない。
誰か他の人と間違えているんじゃないか、と言いたい。
だが、姫の目を見ると、決して嘘を言っているようにも見えなかった。
本当なら、何もかもが嘘で冗談じゃないか、と言ってやりたいくらいだ。
しかし、騙す嘘や冗談と言うには、あまりに荒唐無稽すぎた。
誰かを騙したいというのなら、もっと現実味のある話をするだろう。
魔法……。
魔物……。
魔王……。
いずれも馴染みのない単語で、フィクションの中にしか無いものだった。
一体、ケルス姫は何を期待して、あの様な質問をしたのだろうか。
「一体、何を知りたいんだ。……何を、させたいんだ?」
「いいえ、何も……。何も、ないのです。余りに急ぎすぎました。まだ目が覚めて間もなく、安静にしておくべき時……」
悲しげに笑い、ケルス姫はその手を胸元へと当てる。
「私達は、愛を誓った仲でした。共に分かち合い、共に歩もうと……。ひと目、互いが瞳を合わせれば、記憶が戻るかもしれないと思っていました。でも、その瞳は空虚な色を映すばかり……」
まるで、記憶を取り戻せない事を詰る様な内容だった。
いや、彼女からすれば、そこに縋りたかっただけなのかもしれない。
しかし、恋仲と言われても困惑しか生まれないのは、自分の所為ではない。
「ごめんなさい、いきなり……。困らせるつもりなど……っ」
ケルス姫はベッドから立ち上がると、離れがたい相手を振り切る様に、二歩進む。
立ち止まった先で振り返り、憂いた横顔を肩越しに向けて来た。
そして、目が合ってギョッとする。
見ている瞳はまるで実験動物を観察しているかのようで、恋人に向ける視線ではない。
しかし、その指摘するより早く、部屋全体……あるいは建物全体が振動し、天井から砂か石の欠片らしきものがパラパラと落ちた。
獣とも違う、不気味な叫び声も聞こえて来て、身が竦み胸の奥から恐怖が沸き上がった。
ケルス姫もきっとそうだと思っていたのに、その横顔は険しいだけでなく、挑むような表情で口元をきつく絞っていた。
想像とは違うギャップにドギマギしていると、彼女は険しい顔付きのまま、こちらを見ずに言って来た。
「少し……、用事を片付けてきます。決して部屋を出ない様にして下さい」
返事を聞かぬまま一方的に言い放つと、ケルス姫はそのまま出て行ってしまった。
何と声を掛けて良いか分からないのもあって、言葉を発せず、ただ見送るに留める。
「はぁ……っ」
知らずに気圧されていたのか、その口から大きな溜め息が出た。
肩に力も入っていたらしく、脱力と共に肩が落ちる。
だが、あの状況は余りに唐突で、何もかもが初めて目にするものばかりだった。
何を聞いても困惑ばかりが先立つというのに、いったい何を言えたというのか。
話を聞いている間に、意識は明瞭になって来たのに、身体の方は未だに重い。
動き出せるにはどれだけ掛かるのか、と思っていると、意識する事なく上体が持ち上がり、勝手にベッドサイドへ腰掛けていた。
室内を見渡し、他に誰の影もない事を確認する。
そして、ふと疑問に思う。
姫と恋仲で、そして勇者として遇されていたというのなら、病人にはお付きの誰かがいるものではないのか。
医者やメイドなど、何かしら身の回りを世話する誰かぐらい、常駐させていそうなものだ。
それとも、今だけ二人きりで会話させようと、気を利かせただけなのだろうか。
マコトはベッドサイドから立ち上がり、扉まで歩いて手を掛けてると、ゆっくり開けて外を覗く。
そこには薄暗い廊下が左右に伸び、一定間隔で灯っている灯りが見えるだけだ。
こちらは蝋燭ではなく、不可思議な球体が浮かんでいて、淡い光で足元を照らしていた。
「なんだか、おっかないな……」
暗いだけでなく、何より人の気配が全くしない。
城の一画を思わせる、石造りの壁と床があるだけだった。
どこまでも寒々しく、遠くから聞こえる謎の叫声が、より一層恐怖を呼び寄せた。
今まで聞いたこともない、雄叫びにも似た声。
おぞましい獣か……、あるいは魔物とやらが上げた声なのかもしれなかった。
マコトは雄叫びから逃げるように扉をそっと閉め、ベッドへ戻る。
目覚めた事をケルス姫から知らされれば、きっと誰かしら来るのではないか。
そう思ったからだろう、シーツに包まると再び眠る事にしたようだ。
まるで、視界に幕が下りるかのようだった。
徐々に暗闇が迫り、視界は完全に閉ざされる。
意識が遠退く感覚――それを錯覚した時、叫び声と共に化け物の迫る光景が飛び込んで来た。
牙が並び、涎を垂れ流すアギトが、今にも喰らいつこうと――。
「うわァ……ッ!?」
マコトは飛び上がる様に起き上がり、荒く呼吸させながら周囲を見渡す。
だが、早鐘の様な鼓動が耳元で聞こえる以外に、室内は何の動きもない。
記憶がフラッシュバックしたのだろうか。
袖で額を拭うと、びっしょりと汗が付いていた。
周囲を見渡し、何者かの影でも隠れていないか確認する。
――何もない、安全だ。
変な雄叫びを聞いた所為で、変なものを見ただけだろう。
そうに違いない。
マコトはしきりに周囲を見渡しながら、呼吸を整える。
すると、唐突に声を掛けられて、文字通り身体を飛び跳ねさせた。
『聞こえますか? わたしの声が、聞こえていますか?』
「な、なんだ……!? どこに……!」
室内には誰も居ない。誰の姿もない。
それでも、女性の声だけは聞こえてくる。
まるで、脳内に直接響かせているかのような声だった。
『その場所に留まるのは危険です。けれど、詳しく説明している暇はありません』
あるいは冷淡にすら聞こえる声音で、はっきりとその声は断言した。
『すぐにそこから逃げて下さい。――あなただって、無駄死にしたくない筈です』
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