いつか見えるようになったら
洋子が落ち込んだまま道を歩いていると、風もないのにふわりと髪の毛が持ち上がる感覚がした。洋子は不思議に思って、立ち止まる。
「幸愛……さん?」
洋子の視線の先には、柔らかな赤い光があった。この輝きがそこにいるということは、きっと彰も近くにいる。そう思って、洋子はキョロキョロと辺りを見回した。
「彰くん」
洋子が振り返ると、こちらに向かって軽く手を振っている彰が見えた。洋子の表情が少しだけ明るくなる。空元気だった。今朝、母の優香が言っていた。洋子が悲しい顔をしていたら、彰も悲しくなるだろう。だから、洋子は笑って見せる。
「彰くん。今帰りなの?」
「うん。今日も陽太くん達が誘ってくれて、寄り道をしてたの」
「そうだったんだ」
笑顔で相槌を打つ洋子を見つめて、彰は少しだけ眉を下げる。
「洋子ちゃんは? さっきまで、何だか元気がないように見えたけど……」
洋子は、結局彰の前でしょんぼりとした姿を見せてしまった。と思って、軽くショックを受ける。
「う、うん。ちょっとね……」
彰と同じように少しだけ眉を下げた洋子だったが、すぐにニコッと笑顔を作った。
「でも、彰くんに会ったら元気出てきたよ!」
「……本当? よかった」
洋子の笑顔が作り笑いであることに、彰はすぐに気がついた。けれど、洋子が触れて欲しくなさそうにしているから、彰は何も聞かない。洋子に合わせて笑顔を作る。
「もう暗くなりそうだから、家まで送るよ」
「え? でも……」
「女の子がそんな遠慮しなーい。こんなに可愛い僕だけど、男の子なんだよ? かっこつけたいお年頃なんだから」
そんな彰の言動は可愛らしい。言葉遣いも何だか可愛らしいが、彼は自分が可愛く見える角度を熟知しているのだろう。頬に人差し指を当て、ウインクまでした彰は、洋子の目には物凄く可愛らしい
「私より、彰くんの方が悪い人に連れてかれちゃいそう。可愛すぎるんだもん」
「えへへ、ありがとう。でも大丈夫だよ」
彰はそう言うと、今度は腰に手を当てて胸を張った。
「僕、こう見えて結構腕っ節強いんだ」
えっへんと胸を逸らした彰を見て、洋子はくすくすと笑った。
「じゃあ、お願いします」
。。。
洋子と彰は、並んで歩きながら洋子の家に向かう。二人の家は本当に近いので、ちょっとした会話をしていたらすぐに目的地に着いてしまった。
「ここが家だよ。彰くん、ありがとう」
洋子はニッコリと笑って、言う。門を開けて別れようと手を振りかけたところで、もう一人、水森家の人が帰ってきた。
「洋子。洋子も今帰りかい?」
「お兄ちゃん! うん。圭ちゃん達と寄り道した帰りなの」
洋子の表情がまた一段と明るくなった。今度は、無理に笑った顔じゃない。彰はそれを見て優しく微笑むと、幸愛がいるのであろう左上に一瞬だけ視線を送る。仲のいい兄妹を見ていると、とても心が安らいだ。邪魔になるからもう帰ろう。と思って、彰は洋子に別れの挨拶をする。
「それじゃあ、洋子ちゃん。またね」
「あ、彰くん。ごめんね」
放置していた彰に気づくと、洋子はパッと彰に駆け寄った。
「送ってくれて本当にありがとう!」
洋子は、改めてにっこりと可愛らしい笑顔でお礼を伝えてくれる。そんな洋子を見て、彰の心はもっと安らいだ。
「お友達といたんだね。えっと…可愛らしい…………男の子…で、いいのかな?」
最初は、洋子を送ってくれたお礼を言おうと笑顔で対応していた恭弥だが、彰を見て段々困惑の表情に変わっていった。
彰の着ている制服は男子のものだが、容姿は一見するととんでもなく可愛らしい女の子なのだ。小柄なので、顔以外を見てもどちらともつかない。よくよく見つめると骨格が男の人のものなので、多分、恐らく男性だ。と、恭弥は思考を巡らせて答えに辿り着いた。
「はい。小柄だし顔立ちも可愛い方なので、よく間違われますけど」
彰は恭弥に視線を向けると、可愛らしく微笑んで挨拶をした。その表情は本当に女の子に見えてしまうので、恭弥は少しだけ口端を引き攣らせた。
「そっか。俺も勘違いをしてしまっていたよ。ごめんね」
「いえ。全く気にしてません! 僕の顔は妹とそっくりなので……。可愛いね。って言われると、妹に似ているねって言われてるみたいで、嬉しいんですよ」
彰は愛想笑いでもなんでもなく、自然な笑顔でそう言った。洋子も、恭弥も、彰の笑顔に見蕩れてしまっている。
「そうか。君も妹を大切にしているお兄ちゃんなんだね」
正直、恭弥は少しだけ彰を警戒していた。可愛い妹を誑かす男なのではないか。と、少々考えすぎてしまっていたのだ。その警戒心が、恭弥の中から消え去る。仲間意識すら芽生えた。
「はい。洋子ちゃんのお兄さんも、洋子ちゃんを凄く大切にしているって伝わります。洋子ちゃんもお兄さんを大好きなのが伝わってくるし。少し羨ましいです」
彰はニコッと綺麗に微笑むと、頭を下げて別れの挨拶をした。洋子と恭弥もそれに応え、手を振って彰を見送る。彰が道の角を曲がって見えなくなったところで、洋子と恭弥は二人で家の中に入るのだった。
。。。
ご飯を食べた後。洋子の空元気は既に保てなくなっていて、しゅんと落ち込んだ洋子の姿がリビングにあった。
そこに、お皿を洗い終えた優香と、洋子を心配する恭弥がやって来て、洋子のすぐ近くに座ってくれた。
「洋子が今朝見た夢のお話、聞かせてくれる?」
母、優香が洋子の髪をサラサラと優しく撫でてくれる。とても心地が良くて、温かい。
「あのね、彰くんと幸愛さんが出てくるの。姿は見えないんだけど、同じようにキラキラ光ってるから、多分間違いない」
洋子の言葉に、恭弥は眉を寄せる。
「あの子、名前はなんて言うんだっけ?」
「横井彰くんだよ」
「あの子が、洋子の夢によく出てくる彰くんだったのか……」
恭弥は複雑そうな表情で、洋子に話の続きを促した。
「それでね、夢で二人が私にキスをしてくれるの。祝福って言ってた」
それを聞くと、恭弥は更に複雑そうに眉間に皺を寄せる。あんなに可愛らしい顔立ちでも、彰は男だ。兄としてはやはり、妹が誑かされた気持ちになってしまった。
「あなたに祈りと祝福を……って」
「それは、一番簡単な祝いの言葉よ。伝統ある家門では、出産時に赤ちゃんに捧げる言葉なの」
優香の話を聞いて、洋子は納得する。何故なら、あの夢は彰と幸愛が生まれた時の夢だと思うから。
「……お母さんは、幸愛さんが亡くなった事件のこと、何か知ってる?」
洋子は、落ち込んでいた原因でもある、幸愛の話を聞こうと口を開いた。
「……ええ。なんとなくだけれど。あの子が亡くなったのは、達也と同じ10年前の話だからね」
優香はこくんと頷いて、悲しげにに俯いた。恭弥は唖然としてしまっている。さっき会ったばかりの彰の顔を思い浮かべてから、ちらりと洋子を見た。洋子がもしも亡くなってしまったら。と想像して、胸が苦しくなる。
「あのね……。信じてくれるか分からないんだけど、幸愛さん、幽霊になってまだ彰くんの近くにいるんだよ。私、幸愛さんの鈴みたいに高くて綺麗な声、聞いたの」
娘の頭が変になった。そう思われてしまうのだろうか。洋子はそう思って、恐る恐る顔を上げる。優香は何だか泣きそうな顔をしていた。
「……私もね、詳しくは知らないのよ。ただ、幸愛さんは彰さんの身代わりになって亡くなったってことは知ってる」
「え……?」
洋子は驚いて、近くにいた恭弥の腕をグッと握った。誰かに引っ付いていたかった。温もりを感じたかった。恭弥もそれは同じで、唖然とした顔のまま、洋子の背に優しく手を添えてくれる。
「洋子なら、いずれ幸愛さんが見えるようになるかもしれないわね」
優香は、洋子の頭を優しく撫でてそう言った。とても悲しそうな表情をしている。
「お母さん……?」
おかしい子だ。と否定されるどころか、優香は洋子が、いつか幸愛の事を見えるようになる。とまで言った。洋子の方が戸惑ってしまう。
「彰さんのお家、とても立派でしょう?」
「え? う、うん」
「実はいいとこの子なのよ? 彰さんは優秀で……。優秀すぎたせいで、当主争いに巻き込まれてしまったの。犯人は、本当は幸愛さんじゃなくて彰さんを狙っていたんですって。幸愛さん、彰さんの服を着た状態で見つかったそうだしね……」
洋子は手で口元を押さえて、泣くのを堪える。その代わりに、「酷いよ」と、嗚咽混じりの小さな声が出た。
「ねえ、洋子。洋子はどうして今も幸愛さんがこの世に留まり続けているんだと思う?」
「……わかんない。彰くんが犯人は捕まってないって言ってたから、私はそれが未練なのかなって思ったけど。お母さんは知ってるの?」
優しく抱きしめてくれる恭弥に寄りかかって、洋子は青い顔で母を見つめる。胸が、息が苦しかった。
「幸愛さんの未練は、彰さんがいつまでも自分に恨まれているものだと思い込んでいること。私はそう思ってるわ。彼女も彰さんの事が大好きだから。身代わりになってもいいって思うくらい、愛してるから……。いつか洋子に彼女の姿が見えるようになった時は、話し相手になってあげるといいわ」
優香はそう言って、洋子を恭弥ごと抱きしめた。震え混じりの優しい手が、洋子と恭弥の背を撫でる。それに応えるように、洋子と恭弥も母の背に手を回して、その温もりを感じていた。
「私、幸愛さんが見えるようになりたいな……」
洋子は小さな小さな声で、そう呟いた。
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