赤き光の正体

 彰の家のマンションの前に着いた洋子は、そのマンションを見上げてぽかんと口を開けていた。


「どうしたの?」

「え? あ……。昨日も思ったんだけど、このマンションってこの辺じゃ一番大きいから」

「ああ。そう言えば、そうか」


 洋子をマンションの中に招き入れた彰は、エレベーターに真っ直ぐ向かう。エレベーターはエントランスの奥に2つあって、洋子はドキドキしながら彰が誘導してくれたエレベーターに乗り込む。


「綺麗なマンションだね」

「まあ、結構お金かけたみたいだしね」


 このマンションが出来たのは、5年ほど前だ。洋子は昔からこの近所に住んでいるので、マンションの工事中も大きいなあ。と思いながら見上げていた記憶があった。


「え」


 洋子は何気なく彰の押した階層のボタンを見ていて、思わず驚いてしまう。彰が不思議そうに首を傾げたから、洋子はぶんぶんと首を横に振って誤魔化した。


 まさか、彰の家がこの大きなマンションの最上階だとは思わなかったのだ。


「高いところ、苦手だった?」

「え? そ、そんなことは無いんだけど……」


 彰が親切にしてくれる度に、洋子の胸は緊張でドキドキと高鳴ってしまう。


「あ、ついたよ。僕の家はここの一番奥なんだ。1808号だよ」


 彰の住むマンションは18階建ての大きなマンションだ。駅の近くにあるビルと同じくらいか、下手したらもっと大きなマンションで、アパートや一軒家が並ぶこの辺りの構造物の中では一番大きな建物になっている。


「僕の家は角部屋で、窓が面白い形をしているんだよ」

「あ、それは知ってるよ。このマンション、角が丸くて可愛いなって思ってたから」

「でしょ?」


 彰に誘導されるままに部屋に入り、洋子は玄関でふわっと香る桜のような匂いと、微かな線香の匂いでまたドキリとした。


「お邪魔します……」

「どうぞ。荷物はリビングのソファにでもテキトーに置いておいてよ。エプロン使うよね?」

「あ、ありがとう。彰くん」


 彰に案内されて通されたリビングで、洋子は思わずピタッと足を止める。とあるものに釘付けになってしまったのだ。


「仏壇……」


 玄関先でも微かに香っていたが、この部屋に入った途端に落ち着く線香の匂いが更に強く香った。朝にあげたのだろうか。既に消えている線香の火だが、今もまだ強く香りが残っている。仏壇の隣には、恐らく遺影であろう女の子の写真が飾ってあった。


 彰によく似た、可愛らしい女の子の写真だ。


「気になる?」


 彰に声をかけられて、洋子はハッとする。


「ごめんなさい。人のお家の仏壇をジロジロと、私……」

「いいよ。洋子ちゃんなら」


 彰はそう言うと、仏壇の前に正座をして手を合わせた。ほんの数秒でお参りは終わったらしく、洋子の方を振り返る。


「私も、手を合わせていいかな?」

「うん。きっと幸愛も喜ぶよ」


 亡くなってしまった女の子は、幸愛という名前らしい。と、洋子は初めて知った。彰の隣に正座をした洋子は、一礼をしてから手を合わせる。


「お邪魔してます。幸愛さん」


 小さな声で呟いた洋子の言葉に続いて、仏壇からではなく上の方から「ふふっ」と、これまた小さな笑い声が響いた。女の子の、透き通っていて爽やかな笑い声だ。


「幸愛……さん?」


 洋子はパッと振り返り、幸愛がいる方向へ視線をやった。


「洋子ちゃん」


 彰が洋子を呼べば、洋子は彰の方へと視線をやる。その表情はなんだか悲しげで、彰まで胸がキュッと締まるような気持ちになった。


「ごめんね。疲れてるのかな? 学校でも小さな女の子の声が聞こえたし」

「幸愛の声、段々はっきりと聞こえるようになってるんだね」

「え?」


 洋子が彰を見つめると、彰の方もまた、洋子の瞳をじっと見つめて、悲しげな顔をしていた。キラキラと輝いて見える、金色の素敵な目をしていた。


 彰のその瞳が、突然ふっと伏せられる。


「幸愛はね、確かにそこにいるよ」

「……嘘」

「本当。僕にはきちんとした姿は見えないけど、幸司なら見える。僕のお母さんにも見えてるし、2人なら会話が出来るんだ」


 洋子はそれを聞いて、ふと先程の光景を思い出した。ふんわりと優しく光る赤色の光に向かって、桜は確かに頷いていた。


「どうして幸愛さんはいるの? ゆ、幽霊だなんて……悪い冗談じゃないの?」

「冗談なら良かったよね」


 そう言った彰の瞳は金色に揺れ、なんだか泣きそうに見えてしまった。


「彰……」


 洋子の耳に、そうはっきりと聞こえた子どもの声。鈴のように高く、この澄んだ声が幸愛の声なのだろう。洋子はそう確信した。


「幸愛さんの声、とっても綺麗……。どんな人だったのか、聞かせて欲しいな」


 洋子が泣きそうに笑うと、彰もそれにつられて小さく笑った。彰の視線が幸愛の遺影に向く。


「僕と幸愛は双子だったんだ。僕の双子の妹。僕と一緒で可愛かったよ。きっと、世界で一番可愛い」


 そう言った彰もとても美しかった。きっと、妹の幸愛を溺愛していたのだろう。洋子はそう思った。


「動物が好きで、動物からも好かれる子だったんだ。犬でも猫でも、熊みたいに凶暴な動物だって、幸愛は手なずけてしまうんだ」

「えっ、凄い!」

「でしょ? 明るくて、儚げな見た目なのに結構強気でさ。口喧嘩したら、僕の方が負けちゃうくらいだよ」


 楽しそうに笑いながら、彰は溺愛する妹の話をする。そんな彰がふと、悲しげに目を伏せた。


「でも、幸愛は10年前。5月の半ばに、刺し殺されて亡くなったんだ……」

「!」


 そんなに痛ましい事件があっただなんて、洋子は知らなかった。思わず口を両手で押さえ、ヒュっと息を飲む。まともに息を吸うことも出来なかった。


「そんな酷いこと……。一体誰が……?」

「さあね」

「じゃ、じゃあ、まだ犯人は捕まってないの!?」


 洋子は驚いた顔でそう言うと、あまりに衝撃的だったのか、ポロポロと涙を流した。感受性が強いのだろう。初めて聞いた女の子の話に、これだけ親身になって泣いてくれるだなんて、彰は思っていなかったから驚いた。


「あ……」


 さらりと、風もないのに洋子の髪が優しく揺れる。きっと、洋子のすぐ側に幸愛がいるのだろう。


「幸愛さん、それが未練で今もここにいるの?」


 ゆらゆらと揺れる髪を自分でも触れて、洋子の手は幸愛を探してさ迷っている。触る事など出来ないというのに……。


 そんな洋子の手をギュッと握った彰は、自分も触れないというのに洋子ごと、幸愛の影を抱きしめた。


「彰……」


 苦しそうに洋子の耳に響く幸愛の声は、彰には絶対に届かないのだった。

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