3度目の驚き
体力測定と身体測定が終わった放課後。圭子が片付けのために居残りなので、洋子は今日も1人で帰る予定だ。
心做しかしょんぼりとしている洋子の肩を、後ろからトントンと誰かが叩いた。
「わあ! だ、だあれ?」
「わっ。びっくりしたー。洋子ちゃん、驚かしてごめんね」
洋子が振り返った先にいたのは、驚いて目を丸くしている彰だった。
「彰くん!」
「僕、洋子ちゃんを驚かせすぎだね。本当、ごめん」
昨日も今朝も、そして今も、彰は洋子に後ろから声をかけて、驚かせてしまっている。
「私がいっつも考え事をしてるから……。気にしないで」
洋子は苦笑して、そう言った。彰は首を傾げると、靴を履き替えながら洋子にまた聞き返す。
「考え事って?」
「ほら、圭ちゃんは体力測定の片付けがあるから、今日も1人だなって、ちょっと寂しくて」
「ああ。そっか」
「それと、今日の夕飯のお買い物は私の担当だから、何を買おうか悩んでたの」
洋子と彰は、会話を続けながら自然と一緒に昇降口を出る。
「僕も買い物に行く予定だよ。お母さんのスーパー?」
「うん! 彰くんもなんだね」
「僕も1人だと退屈だし、一緒に行こうよ」
「うん!」
彰の言葉が嬉しくて、洋子はしょんぼりとしていた事など忘れ、満面の笑みで頷いた。それだけで洋子の周囲が明るくなった気がするし、明るい表情で笑う洋子は周囲を注目させてしまうくらいに可愛らしい。
「そう言えば、彰くん。さっき転んじゃったんでしょ? 大丈夫?」
「誰かに聞いたの? 大したことないよ。もう全然痛くないし」
「聞いたって言うか……。聞こえたの。彰くんを呼ぶ声みたいなものが」
洋子はそう言うと、彰を見つめて苦笑する。
「変だよね? 最近多いんだあ」
「……そうなんだ」
彰は洋子を見つめ返すと、少しだけ悲しげに眉を下げて、小さく笑う。
屋上で幸司が「いずれ見えるようになる」と言っていた事を思い出した。それについては彰も納得していたし、洋子は特に、見えるようになるだろう。とは思っている。しかし、いくらなんでも早すぎる。まだ入学して3日なのだ。彰はそう思いながら、グッと拳を握った。
「もしも……」
「?」
「ううん。なんでもない」
彰はもう一度、小さく笑う。洋子は純粋で、慈悲深い女の子だ。彰はそう思っている。だからこそ、幸愛の姿が見えてしまうその日が怖かった。そんな事、彼女に言っても理解はされないし、どうしようも無いのだけれど。
だから彰は言葉を飲み込んで、別の話題にシフトチェンジする。
「ねえ、夕飯って洋子ちゃんが作るの?」
「うん。今日はお母さんもお兄ちゃんも遅いみたいだから。私が作るよ」
「へえ、凄いんだね」
彰は自炊をした事がない。母、桜が仕事でいない日は、大抵惣菜か、弁当か、カップラーメンを買って食べている。素直に感心して、洋子に尊敬の眼差しを向けた。
「彰くんは作ったりしないの?」
「僕は包丁に触った事、ないから……」
桜も料理を作りなれている訳では無い。と彰は何となく知っている。教えて欲しい。と言うことも出来ないでいた。
「えっ? そうなの?」
「僕もお母さんに料理、作ってみたいんだけどね」
そうしたら、母は喜んでくれるだろうか。彰は想像して、少し照れくさくなる。
「素敵じゃない。作ってあげようよ。お料理」
「えっ。でも、料理なんてした事ないし」
「教えてあげる!」
洋子は彰の手を両手で取って、顔をグッと近づけた。当然、彰は驚いて一歩後ろに後退する。
「……いいの?」
「うん。彰くんがいいなら、一緒にお料理しよ?」
「教えてくれるって言うなら、もちろん嬉しいよ。でも、家には誰もいないよ?」
「え? うん。お母さんをびっくりさせようね!」
そういう事では無い……。彰はその言葉を口に出せず、グッと唇を噛んだ。そして、チラッと後ろを見ると小さなため息をつく。
「うん。ありがとう……。でも、洋子ちゃんも家で料理するんでしょ? 時間大丈夫?」
「平気だよ。最初だし、あんまり難しくないお料理にしようね」
彰の心配を他所に、洋子はニコニコと笑顔でそう言った。それを見ていれば、彰も心配しているのが馬鹿らしくなってくる。
「うん。ありがとう……」
「何か作りたいお料理、ある?」
「そうだなあ。お母さん、肉じゃがが好きなんだけど、肉じゃがって作るの簡単?」
彰が不安げにそう聞くと、洋子は「うーん」と唇に手を当てて少し悩む素振りを見せる。
「野菜を切って煮込むだけだから、形にするのは簡単だよ。お母さんの好みの味付けにできるかは、調整が難しいかもだけど」
「そうなの?」
「桜さん、あっさりした味と濃いめの味、どっちが好きかな?」
洋子の質問に、今度は彰の方が悩む素振りを見せた。空を仰いで数秒、彰は洋子に視線を向けると、頬を軽く染めて嬉しそうに答えてくれる。
「家で出てくる肉じゃがはちょっぴり甘めかも。じゃがいもはゴロゴロしてるし、たまに皮が着いたままだったりするんだけど……。でも、僕は好き。なんだか優しい味なんだ」
あまり料理上手でない桜の料理だが、それもいい思い出なのだろう。むしろ、それが好きなのかもしれない。彰は男子とは思えぬほど可愛らしい表情を浮かべて、笑っていた。
「わかった。一緒に頑張ろうね」
「ありがとう。洋子ちゃん」
。。。
彰はスーパーに入ると、洋子に言われるがまま必要なものを揃えてレジに持っていく。すると、レジ打ちをしていた桜に驚いた顔で見られた。
「彰? 私、今日は遅くなるからご飯は作れない日よ」
「うん。そうなんだけど……」
彰は後ろに並んでいる洋子を軽く振り返る。洋子は買い物カゴを持ったまま、グッとガッツポーズをして彰を応援してくれている。
「僕も料理覚えたくて、洋子ちゃんに教わろうと思ってて……」
「え? そんなの迷惑じゃない」
「それはそうなんだけど、洋子ちゃんが一緒に頑張ろうって言ってくれたから。そんなに迷惑かけないように、頑張るよ」
彰はそう言うと、カゴを少しだけ前に押し出して会計をしてもらう。桜は次に来た洋子にも声をかけながら、会計をした。
「うちの彰がごめんなさいね」
「いいんです。私、お料理するの好きだから。私も楽しみです」
「ありがたいけど、不安だわあ」
不安がる桜の傍をふわりと赤い光が舞い、洋子は目を見張る。
「あれ? また……?」
桜はこくりと頷くと、洋子を改めて見た。
「うちの子をよろしくお願いします」
「え? は、はい……。えっと、こちらこそ」
洋子は戸惑いつつも返事をして、彰が待っているサッカー台へと小走りでかけていくのだった。
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