消えゆく影と見えない姿

 食事を終える頃には、もうすっかり元の彰と洋子の関係値に戻っていた。亮太達も気にしないようにしてくれているのか、最初のテンションで話してくれている。


「じゃ、また明日学校でな」

「またご飯行こーね! 彰ちゃん、洋子ちゃん」

「うん。今日は誘ってくれてありがとう!」

「またねー!」


 亮太達と別れたあと、彰と洋子は横並びで帰り道を歩く。


「まだ明るいけど、家まで送って行こうか?」

「え? 嬉しいけど、彰くんと私のお家って近いんでしょ? 大丈夫だよ。ありがとう!」

「そお?」


 彰の家は、優香や桜の務めているスーパーのすぐ近く。マンションの一室だ。そして、洋子の家はそのマンションから少し歩いたところにある畑を曲がって、すぐの場所にある。


「気をつけて帰ってね」

「ありがとう、彰くん。また明日ね」

「うん。また明日」


 彰の住むマンションの前で別れて、彰は洋子が畑の角を曲がるまで見守った。


 洋子が見えなくなると、彰はそのままマンションから離れて、本宮の本家のある方向へ歩いていく。


。。。


 彰がやって来たのは、本宮家を通り過ぎてもっと先にある、とある公園だった。


 公園の目の前には祭儀場があり、今日は葬儀があったのか、人が多い。


 彰が、ぼんやりと公園のベンチに座って祭儀場を眺めていると、霊柩車が出てくるのが見えた。これから、亡くなったご遺体が火葬場に行ってしまうのだろう。


「……ここにいるのにね」


 彰は小さな声でそう呟いた。それに反応するように、彰の髪がサラリと揺れる。木漏れ日が反射するせいか、キラキラと緑色の光が彰の揺れる髪に舞った。


「ごめんね。色々あって、僕はおじさんのお葬式には出られなかったの」


 彰の目の前には、確かにがいる。彰の目には映っている。彼の瞳に反射するのは光と景色だけなのに、確かに彰には視えている。


『……桜は元気か?』


 彰の隣に立つようにして、とある影がふわりと移動した。彰はふと聞こえてくる母の名前に反応して、こくりと頷く。


「お母さんも、行けなくてごめんなさいって言ってた。お母さんとおじさん、仲良かったのにね」


 彰の隣にいる影……つまり霊体は、彰の母である桜の兄であり、彰にとっては伯父にあたる人物そのものだった。


 数年前に大怪我をしてずっと寝たきりだった伯父が、数日前に病院で息を引き取ったらしい。桜にそれが知らされたのは、既に亡くなった後だった。そして、とある事情があって、桜は実家から葬式には出ないよう言われている。


『……アキ。……ユキ。桜をよろしく頼む』

幸愛ゆきあと何を話したの?」


 彰がそう問いかけるも、影は何も答えてくれない。彰の目に最後に映った伯父の顔は、ただ穏やかな笑みを浮かべているだけだった。


「そっかあ……もうかあ……」


 彰と話していた影はもうどこにも無い。代わりに、伯父よりも一際小さな影が、彰の傍でふわりと動いた。彰はそれにはなんの反応も見せず、ただボーッと空を眺めながら、暫くその場で時間を潰していた。


。。。


 彰が公園から移動しようと思った頃には、既に日は傾いて、空が赤く染まってしまっていた。元来た道を歩けば、当然本宮家の門の前を通ることになる。


「うげ」


 彰は、反対方向から歩いてくる人物を見つけて、顔を顰めた。その人物も彰を見つけたらしく、キラッと洋子が言うような光が彼の瞳に宿った気がした。


 本宮幸司と目が合ったのだ。


「珍しいね。彰がこっちまで来るなんて……」

「お前があの公園に行ってきた帰りだよ」


 彰が顰め面でそう言えば、幸司も顔を軽く顰める。


「嫌な言い方するね」

「罰だと思って諦めなよ。本宮家の能力は、普通の子にとっては怪異の類に入るでしょ。可哀想に」

「それは……うん」


 幸司がしゅんと視線を落とすと、サラリと髪が揺れる。空はすっかり赤くなっているのに、幸司の髪は青く光って見えた。


「そう言えば、彰はどうしてあの場所に?」

「伯父さんの葬式だったみたいだから」

かえでさんの?」


 幸司がそう聞き返すと、彰は不機嫌そうな顰め面のまま頷いた。その際に揺れた髪は、やはり空の色には影響を受けない、緑色に輝いている。


「そっか。長い間頑張ってたけど……ついにか」


 幸司はそう言うと、またソッと視線を落とす。


 幸司自身は彰の伯父、楓との接点は無かったが、何度か見かけたことくらいはあった。亡くなったと聞けば、幸司だって悲しい気持ちになる。


「成仏も早かった」


 彰がそう言うと、幸司はスっと彰から視線を横にずらし、彰の傍に常に控えている小さな影を見つめる。『幸愛』と彰が呼んだ霊である。


「幸愛が手伝ったんだろ?」


 幸司の問いに、影がユラっと動いた。空の赤に反射したのか、一瞬だけキラッと赤く光る。


「幸愛が?」


 彰には、幸愛の影が黒く見える。そして、楓の時と違って声も聞こえないのだ。


 彰と同じく霊感を持っている幸司が幸愛と会話しているのを、彰は訝しげに眺めているだけだった。


「そうだよ。彰も知ってるだろうけど、現世に留まり続ける幽霊は、自分の魂を削ることで意識を保っているんだ。長い間現世にいたら、輪廻転生の輪から外れるだろ?」

「うん。それは僕も知ってるけど、幸愛が手伝ったって言うのは何?」


 幸愛と意思疎通の出来ない彰には、幸司が言っている意味が理解できなかった。


 幸愛には、幽霊を使役する力がある。幸愛と会話のできない彰は、ただそれを知らないだけだった。


「幸愛には力がある。他人の成仏を手伝えるだけの力がね。家に仕える霊媒師よりも、よっぽど凄い力だよ」


 本宮家の人間には、大抵霊感が備わっている。幸司に霊感があるのも、一族の特徴が色濃く出たからである。そのためか、本宮家には優秀な霊媒師が仕えていて、何かあったらすぐに対応出来るようになっているのだった。そんな優秀なプロの霊媒師よりも、同じ幽霊の幸愛の方がずっと強い力を持っているのだと、幸司は言う。


「そんなの聞いたことないんだけど、前から?」

「亡くなってからだろうね」


 幸愛が亡くなったのは5歳の時。10年前で、洋子の父親である達也が亡くなった、数ヶ月前の出来事だった。


「そ。話は戻るけど、お前は洋子ちゃんに全部話す気は無いの?」

「痛いところをつくよね。いずれ話せたらいいけど、そんなに一気に全部を伝えたら、きっと洋子ちゃんは困るよ。今度こそ、本当に壊れちゃうかも」

「そしたら、僕はお前を許さないよ」

「……俺も、俺を許せないだろうね」


 幸司は目を伏せて、呟くようにそう言った。


「僕は洋子ちゃんの味方だから。次に洋子ちゃんを呪ったら、お前を呪い殺してやるよ」

「彰が言うと洒落にならないね」


 彰の顔を見れば、彰は本気で言っているのだと窺える。幸司には、それがなんだか、ものすごく寂しかった。


「彰は、帰らないの?」


 幸司が悲しげな表情のままそう聞くと、幸愛の影がサラリと揺れる。彰には見えない姿だが、黒い影が幸司に寄ったのが分かって、彰はムッと眉を寄せた。


「帰るよ。横井の表札がある家に」

「そ、か」

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