不思議な関係値

 教室に戻ると、すぐに担任である松下香苗先生も教室に入ってきた。


 松下先生を初めて見た時、洋子は彼女を男性だと勘違いをしてしまい、声と名前を聞いて驚いた。今もたまにドキリとしてしまう。


 ホームルームでは、最初にクラス全員の自己紹介を行った。そこでも幸司は皆を圧倒してしまったので、先生からも「末恐ろしいな」と言われてしまう。


 自己紹介が終われば委員会決め。これが終わって今日は解散になる。お昼の1時少し前が解散予定。だと先生は言っていた。


「まず学級委員から。誰か、なりたい奴はいないかー?」


 3組はあまり積極的なクラスではないのだろうか。誰も手を挙げる者はなかった。


「それじゃあ、推薦でもいいぞ」


 と言えば途端に元気になるのだから、現金なクラスだ。と、松下先生は心の中で苦い笑みを浮かべた。


「本宮くんは? 新入生代表挨拶、やったし。真面目そうじゃん」

「そしたら私、副委員長やりたい!」

「私も!」


 幸司はやるだなんて一言も言っていないし、まだなると決まった訳では無いのだが、容姿が優れている。というだけで、ここまでクラスメイトのやる気が出るらしい。


 松下先生は、心の中で(やはり末恐ろしい)と思った。


「本宮目当てじゃなくてもっと真面目そうな奴にしろよ。私はもっと楽がしたいんだ」

「その前に、俺は決定なんですか?」

「異論あったか?」

「……別にありませんけど」

「じゃあ、やってくれるよな?」


 幸司が断らないことを、松下先生は予想していた。首を傾げられて、さも当然のように聞き返されてしまうと、幸司は素直に首を縦に振るしかない。


「さーて、どうしようかな。誰か真面目で先生の言う事をなんでも聞きそうな奴……」


 幸司が頷いたのを認めた松下先生は、途端に幸司から興味を無くし、クラス内を見回して悪い笑みを浮かべる。


「本宮は誰がいいと思う?」


しかし、結局誰がいいのか思いつかなかったようで幸司に丸投げをした。


 それを予想していなかった幸司はビクッと肩を揺らして、嫌そうに顔を歪める。それは一瞬のことで、周りが幸司に注目する頃には何ともない、普通の表情に戻っている。


 しかし、その一瞬を見逃さなかった彰が、くすっと幸司を横目に笑ったので、幸司は少々ムッとした気持ちになってしまった。


「真面目かどうかはわからないけど……先生が任せても完璧にこなしてくれるのは、彰くんだと思いますよ」


 ムッとした感情は表には出さないように、ニッコリと優等生ぶった爽やかな笑みで、彰を手で軽く指し示す。


「えっ……」


 彰の方も一瞬だけ、嫌そうにぴくっと口元を引き攣らせたが、すぐにニコッと笑って先生を見る。じーっと見る。「断れ」という意味を込めた視線で、だ。


「本気なら…まあ、いいんじゃないか?」


 彰からの視線の圧力は逆効果で、松下先生はすーっとゆっくり視線を逸らすと、そう答えた。


「じゃあもう1人は?」

「うーん……。真面目そうなのは真奈まなちゃんか、明人あきとくん辺りじゃないかなあ?」


 入学をしたばかりの幸司でも知っている人物がこの2人だった。


 祖母が幸司の家で働いている女の子と、去年、幸司と同じクラスだった男の子だ。


 だからこの2人を推薦したのだが……。


 松下先生は彰にも意見を聞こうと視線を動かす。彰はすぐに先生の言いたいことを理解し、後ろをパッと振り返ると真奈の顔を見た。


 真奈のフルネームは横山よこやま真奈と言い、<横井>である彰の次の席に座っている。


「確かに…真面目にプリントをファイリングしてるね。字も綺麗だし」


 彰がそう言うと、真奈は恥ずかしそうに俯いて顔を隠す。


「それなら、俺は辞退しようかな。クラスをまとめる役とか、正直に言うと苦手だし……」


 明人は、そもそも自己評価では真面目であるとは考えていなかった。


 去年同じクラスで、事務的な会話くらいしかしたことがなかった幸司に対しては、仲良くなりたいと憧れを抱いていたため、出来ることなら同じ委員会に入ってみたい。そう思ってはいたのだが、それが学級委員なら話は別だ。正直に言えば、そういう役回りはめんどくさいのである。


「じゃあ、横山……。もしも横山さえ良ければ、頼めるか?」

「あ…えっと……」


 真奈だって、クラスをまとめる役は似合わないと自己評価している。人見知りだし、引っ込み思案で自分の意見だって言えない。自信もない。


「あの……」


 それでも、ここで断るという勇気が真奈にはなかった。大勢の前で決断を迫られ、肯定せざるを得なかったのだった。


「んー、そうか……?まあ、なら……これで学級委員は決まりだ。そんじゃあ」


 松下先生は出席簿に何かを書き込むと、スタスタと教卓の斜め後ろまで歩いていき、置いてある椅子の目の前で足を止めた。


「後は学級委員に委員会決めを任せるから。後よろしくー」


 ひらひらと軽く手を振って、松下先生は椅子に腰を下ろして足を組む。男と見間違う程のすらりと長い足。そして男性的な顔立ちがその構図をしっくりと来るものにした。


「あ、教卓にノートが置いてあるから。そのノートに決まった委員会ごとに名前を書いといてね」


 やはり松下先生は軽く手を振ると、そのまま体勢を変えずに、名簿のような物を読み始めてしまった。


「委員長くん。まとめ役はよろしくね。僕は黒板、真奈ちゃんはノートに決まったことを書き込むから」


 彰の笑顔に圧が籠っていて、幸司は裏返りそうな声で返事をする。


 そして、席を立って教卓まで歩いた。それに続いて、彰は幸司を横切って黒板の前まで行くと、チョークを持って委員会名を書き込もうとする。


「……代わろうか?」


 彰がチョークを持つ手を真っ直ぐ上にのばし、更には背伸びをしているものだから、幸司は善意と悪意を同時に彰へと向けた。親切半分、からかいも半分と言うことだ。


「幸司くんってば酷いなあ。身長、僕には勝てるからってさ」


 幸司もどちらかと言えば小柄。しかし、彰は女子とも大差ないほどの小柄だ。例えば、彼の身長は同じ学級委員になった真奈と、全く同じなのだった。


 彰はぷっくりと頬を膨らませると、幸司を睨みつけるように見た。


「ふふふ。彰くん。一度も俺に身長追いつけなかったもんねえ」


 幸司も負けじと、ニコニコ笑顔を返す。幸司は、彰に対して少々弱気になってしまうところがあるのだが、いつも負けっぱなしでは角が立つと思った。


 少しくらいの反撃は許して欲しい。心の中でそう思いながら、幸司はクラスメイト達を見回した。


 ……彰の顔を見る勇気はなかったからである。


。。。


 その後の委員会決めはスムーズに決まった。幸司の進行も流石だったのだが、生徒のやりたいたい委員会が被った時に彰が出した妥協案も凄かった。


 スムーズに決まりすぎて、真奈がノートに書き込む速度の方が間に合わない程だったのだ。


 彰は妥協案を出しながらも、黒板に全て書ききっているので凄いを通り越して怖いと思う。ただし、全体的に下側に文字が書かれているのだが……。そこをつっこむと恐らく拗ねるであろう。


 今度は幸司も何も言わなかった。小さな声で「流石」と呟いているだけだ。


「もうやることないし、帰りのホームルームは50分からするから。それまでの間は、教室内で自由時間にしていいぞ。他のクラスはまだやってるんだから、うるさくするなよ?」


 松下先生は、相変わらず椅子に座って足を組み、寛いでいるように見える。


「「はーい!」」


 いい返事をした3組の生徒達だったが、数分後にはクラス内での会話が盛り上がってしまい、結局松下先生は後で、職員室で苦情を受けることになるのだった。

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