平和の終わり

「幸司くん……」


 今も泣きそうなのに泣けないでいる幸司を見て、洋子は物凄く悲しい気持ちになった。どうしたら気兼ねなく泣いてくれるのだろう。と考えても、洋子にはどうする事も出来なかった。


 無力さに胸が痛む。


(何も出来なくてごめんね…。)


 心の中でそう思いながら、洋子は幸司の両手をギュッと握りしめて、見つめる。


「私にできる事があればなんでも言ってね」

「ふふ。洋子ちゃんが明るく楽しそうに過ごしてくれたら、いいかなあ。もう壊したくはないからね」


 幸司も洋子の手を握り返して、ニコッと優しく笑った。普段見る偽物の笑顔ではなく、本当の自然な笑顔だ。


「……やっぱり綺麗」

「ありがとう。ねえ、洋子ちゃんの幸せは何?」


 それを聞いた洋子は、今朝の夢を思い出す。そして、同じ事を思った。


「私の幸せは…大好きな人達が幸せな事。だから、幸司くんも幸せじゃなきゃ駄目だよ?」

「……優しいね。ありがとう、洋子ちゃん。俺も…洋子ちゃんには幸せでいて欲しい」


 今度は罪滅ぼしでもなんでもなく、大好きだった人の大事な娘だから……。自分の幸せを願ってくれる優しい人だから……。


 何より、友達になりたい人だから。幸司は洋子の平穏を守りたいと思う。


「家まで送るね。ちょこっと遠くまで来ちゃったし」

「え? あ、そっか。そろそろ帰らなきゃだね」


 二人で立ち上がり公園を出たところで、洋子は不安になってソワソワと幸司を見つめる。


「幸司くんの方が危ないんじゃない? お金持ちさんだから誘拐されちゃうかも」


 むしろ洋子の方が守ってあげなきゃ。という気持ちになって、拳を握る。しかし、それは不要な心配だった。


「本宮を狙う命知らずはいないよ。普通の人はお金より命の方が大事でしょ?」


 そう言った幸司の顔がどことなく妖艶で、洋子はドキリとしてしまった。怖いのに綺麗で、やっぱり幸司からは目が離せない。不思議な感覚に陥ってしまう。


「幸司くんは綺麗すぎてドキドキしちゃう……」

「…よ、洋子ちゃんは素直すぎて、ある意味ではこっちもドキドキしちゃうよ……」


 面と向かって言われると照れくさいので、幸司はそっぽを向いて唇を尖らせている。


 そういうかわいい面もあるんだなあ。と、洋子は小さく笑った。すると、更に照れくさそうに不貞腐れてしまって、今度は我慢できずに声に出して笑ってしまうのだった。


。。。


「洋子ちゃんの家、どの辺?」


 機嫌を直した幸司がそう聞いた。今は本宮家の所有する林のそばを歩いている所だ。


「あっち! 歩道橋を渡った向こう側なの」

「うちと逆方面だったんだね。遠くまで歩かせてごめんね」

「ううん。幸司くんのお話が聞けてよかったって思うから、いいの」


 もうすぐ完全に日が落ちてしまう。その前に帰してあげたいと思っていたのだが、それは厳しそうだった。


「いい子すぎて心配になるね。洋子ちゃん……」


 幸司はそう呟いてすぐに、ゾクッと背筋が凍るような感覚がして立ち止まる。


「どうしたの? 幸司くん……?」

「な…なんで……こんな所に…………」


 他の呪いの気配を感じる。幸司は洋子の腕に手を伸ばしたが、一足遅かった。後ろから羽交い締めにされ、幸司の足が地面から浮く。


「えっ、幸司くん!? ……きゃっ!」


 振り返った洋子の周りには、いつの間にか暗めの色の風土ローブを着た男性が数人立っていた。洋子は驚いて、一歩後ずさる。


「幸司くんを……、は、離して。あ…あ、あなた達誰ですかっ!?」


 洋子はへっぴり腰ながらも、対峙しようと拳を握って風土ローブの数人を睨む。しかし、一歩、また一歩とローブの男達が近づくと、恐怖から足を後退させてしまう。


「せ、先代様……。おやめ下さい。彼女は私の友人です」

「ずっと見ておったわ。お主…我の教えを全て忘れて下賎な庶民に甘えをおってからに」


 洋子の真後ろにいつの間にか立っていた厳格そうな老人。彼は杖をガッと地面について、幸司を見下すような瞳で見つめる。


「教えを忘れた事など……。私は本宮家の人間として、昔犯した過ちの精算を……」

「何が過ちか。その者、現当主を惑わせた者の娘であろう。今のお主こそ誤りであると分からぬか?」


 そう言った老人の瞳が光った。幸司のものとは違って、どこか濁っている怪しい光を放っている。黄色は黄色だが、幸司を見た時のように、キラキラしているとは思えない。


 洋子は怯えてしまい、今度こそ足が竦んで動けなくなってしまった。


「違う……。当主は惑わされてなんかいない」


ガッ


 老人が強く地面に杖をつくと、幸司の肩がビクンと跳ねた。冷や汗が滲んでくるのを感じる。


「これは教育のやり直しが必要か」

「……っ。お、お言葉ですが先代。私の教育権は、既に当主様のものでございます。貴方様にやり直しの権利などございません」


 震え混じりの声ではあるが、幸司は真っ直ぐに先代当主を見つめて抵抗した。


「彼女は私の友人です。先代……。あまり怯えさせないでやってくださいませ」


 幸司はそう言うと、後ろから自分の身体を持ち上げている男性を振り返って睨む。その瞳は黄金に光り輝いて、直後に男性が幸司の身体を離した。


 幸司は地面に足をつくと、そのまま洋子を庇うようにして抱き寄せ、前に出る。


「幸司くん……」


 洋子は訳が分からない。と言うような顔で、幸司と先代。それから風土ローブを着た男性達を見比べる。


「やっぱり、先代様の側近だったのですね。いくらなんでも、使用人風情がいきなり私の身体を羽交い締めにするとは不敬ではありませんか?」

「……やはり、あの男のように手を打っておくべきだったな」


 幸司はその言葉にピクっと反応する。自然と表情が抜け落ちて、能面のような顔で先代当主を見つめた。

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