思い出した

 まさか。本当に? そう言いたげな訝しげな表情を浮かべて、洋子はまた幸司の事を見つめる。


「事実だよ。本宮家は呪われている。そして、その呪いは本家に近ければ近いほど、強力なものになるんだよ」


 幸司はそう言うと、すうっと心を落ち着かせるために深呼吸をした。そして、洋子を真っ直ぐに見つめて、言う。


「俺の呪いは、人の思考を壊してしまう」

「…………」

「本宮の呪いってね、人間離れした能力を得る代わりに、それを使う度に対価を払うものなの。具体的な能力…共通するのは肉体かな。俺、ちょっとした怪我ならすぐに治っちゃうし。普通の人よりも握力や足の力が強い。耳も鼻もいいし、野生の勘も効く。例えば幽霊が見えたり、呪いの気配を感じたり……。それから、個人によって能力が与えられる」


 幸司にとってのその個人能力こそ、洋子の人格を変えてしまった呪いだ。


「俺の能力は人の思考を操るもので、あの日の洋子ちゃんは…俺に脳をいじられたんだよ。だから、それをずっと謝りたかった」


 幸司はそう言うと、ベンチから立ち上がり、洋子の目の前に立つ。洋子が驚いている間にスっと綺麗な90度のお辞儀をして、謝罪の言葉を口にした。


「俺は、あの日に洋子ちゃんを呪ってしまった……。本当にごめんなさい」

「……まだ、わかんない」


 洋子が振り絞って出した言葉はそれだった。今もまだ、混乱している。幸司がした事を悪いことだったと思えない。謝罪の理由がわからない。


「私は、今も幸司くんに操られたままなの?」

「……それは」


 操られている訳では無いが、あの一件の時に既に思考が書き換えられた。性格が変わってしまっている。蓮司伝いに優香からそう聞いているので、幸司はギュッと拳を握った。


「俺が干渉したのはあの日のあの時だけだけど…その一度で、洋子ちゃんは性格まで変わってしまったから……」


 怖い。幸司は怖くて…顔を上げることが出来なかった。洋子がどんな表情でこちらを見ているのか、何を思っているのか……。


 嫌われても仕方がないし、許されないのも仕方がない。それだけ強力な呪いを、洋子にかけてしまった。


「いくら考えても分からないよ。私は…私だよ? 私は偽物の私なの?」

「根本的な性格までは変わってないはず。だから、洋子ちゃんが偽物って訳じゃないけど……。思っていることと行動が伴わない事は、あると思う。泣きたいのに泣けないとか。嫌いだったものでもまるで好きかのように振る舞うとか……」


 洋子は考える。確かに、悲しい時も笑顔でいるようになった。ただ、それで悲しい気持ちが吹き飛んだのだから…やはり悪い事だとは思えない。嫌いなものが好きに変わった事は確かにあるが、どうしても駄目なものは駄目だし、克服できないと区別は出来ている。


「うん。……私は私だよ」


 洋子はギュッと胸に手を当て、瞳を閉じる。ゆっくりと目を開いた後、今もまだ頭を下げている幸司の髪にサラッと触れた。


 夕焼け空に照らされてもなお、幸司の髪はどこか青色の光を宿している。それがサラサラと揺れて、綺麗だ。


「最初は確かに呪われてたかもしれないし、本当の私じゃなかったのかもしれないけど……。今の私は、ちゃんと私だよ。きっと、最初から私の中にあった性格があの時に引き出されたの。だから、幸司くんが勇気をくれた事に違いは無いんだよ」


 幸司は大人しく、洋子に頭を撫でられ続ける。動くことが出来なかったのだ。


「幸司くんにとっては酷いことをしたんだと思うから、もう感謝したりはしないけど……。幸司くんも、謝ったりしなくていいよ。私、怒ってないから……」

「……なんで」

「まだ現実感がないのかな。それか、幸司くんが優しい人だからかも!」


 洋子がそう言うと、幸司はバッと顔を上げる。腰は折られたままに、顔だけを洋子に向けた。


 幸司の瞳は、黄色く揺れて今にも泣きそうだった。どうしたって涙は零れないのだが……。洋子には泣いているように見えて、また洋子の手が優しく幸司を撫でる。


「優しい人だから、私にきちんと謝ろうって思ったんだよね。誠実な人なんだね。幸司くん」

「そんな事……」

「幸司くん。泣いてもいいんだよ?」


 そう言った洋子の表情が優しくて……。何よりも綺麗で……。幸司の瞳が一層揺れた。


「な、なんで……」

「何となく。幸司くんも、本当はあの時泣きたかったのかなって思って。思い出したの。あの時の幸司くん、今みたいに泣きそうな顔をしていた。笑ってなんか無かったね」

「……うん」


 今も涙は出ないのに、幸司の表情は本当に泣いているみたいだった。くしゃっと歪んで、洋子の優しさに甘えたくなって、幸司は素直に頷いた。


「理由を聞いてもいい?」


 洋子は子どもをあやす時みたいに、幸司を優しく抱き寄せた。


「幸司くんが呪いをかけた理由……。何となくわかる気がするけど、聞かせて欲しい」

「…………」

「言いたくない?」


 幸司はゆっくり首を横に振ると、洋子に埋めていた顔を上げて、ベンチに座り直す。


「……嫉妬してたの」

「うん」

「俺は今の当主じゃなくて、先代に育てられてて…どんな時でも、ただ静かに微笑む事を強制されてたんだ……」


 洋子が悲しげに目を伏せる。


「あの日、大声を上げて泣いている洋子ちゃんが羨ましかった。それに、声をかけた時に言ってたよね?」

「え?」

「もう会えないのに、みんなは悲しくないの? って言ってた……。あの時、あんな風に泣いているのは洋子ちゃんだけだったもんね」


 静かに泣く人はもちろんいた。しかし、達也の仕事の関係で、あの場にいたのは幸司と同じく、本宮家の当主である蓮司だったり、本宮系列の家柄の人物だった。感情を素直に表に出す事を良しとしない人物ばかりだったのだ。


「俺も洋子ちゃんみたいに泣きたかったよ。達也さんの事、大好きだったから……」


 遠くを見つめる幸司の表情がとても優しくて、悲しくて。


 洋子は幸司と同じように、視線を遠くの空へと向ける。


「それで、羨ましくて…妬ましくて……。素直に悲しめる洋子ちゃんの事が憎いと思った。本当にごめんね」

「これも思い出した……。あの時、私は確かにモヤモヤしてたんだ。みんな仮面を被ってるみたいに静かで、表情が無くて……。みんなお父さんの事なんて気にしてないみたいで、悲しかったの」


 気がついたら、洋子の目には涙が溜まっていた。


「私もごめんね……。泣けない事が苦しかった事、知らなかったから」

「うん。洋子ちゃんは今もちゃんと泣けるみたいで…良かったよ」


 幸司の瞳が輝くように揺れて、洋子を見つめる。涙を優しく拭ってくれたから、洋子は一層気持ちが溢れ出してきて、泣きそうになる。

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