あの日の公園

 約束の放課後、洋子は圭子と挨拶を交わして別れると、後ろの席の幸司を振り返る。


 幸司は今もまだ緊張していて、固い表情で座っている。斜め前にいる彰からの視線が痛いので、唇を噛んで洋子の顔を恐る恐ると言った感じに見あげた。


「幸司くん?」


 洋子がカクンと首を傾げる。その間に、彰はスっと教室を出て行ってしまった。


 幸司はギュッと胸を押さえ…覚悟を決めた。


「一緒に行きたいところがあるんだ。少し歩くけど…いいかな?」

「うん。いいよ! どこ行くの?」


 自分も知っている所だろうか。洋子はそう思って、足取り軽く幸司の後ろを着いていく。優香も言っていた通り、幸司の事を信頼しきっているのだ。


 数人が残っていた教室内では、やはり幸司と洋子が一緒に出て行ってしまったのでざわついていた。廊下を歩く時も、昇降口でも、ヒソヒソと噂する声や、ショックを受けている声がチラホラ聞こえてくる。


「……何だか見られてるね」

「うん。ごめんね」


 洋子が居心地悪そうに後ろをついてくるから、幸司はまた別の意味で罪悪感を抱く。


「ううん。幸司くん、凄く人気者だね」


 周りからの注目は、学校出て暫くすると止む。流石に野次馬精神で着いてくる…なんて無粋な真似をする生徒はいないようだった。幸司は幾らか安心して、洋子の歩幅に合わせるようにして隣に収まる。


「洋子ちゃん……。俺達が初めて会った時の事って、どれくらい覚えてる?」


 歩きながら、幸司はふと空を見上げてそう言った。今日はあの葬式の日と同じ、快晴の青空だった。


 眩しいくらいの光に照らされて、幸司の髪がサラッと青く輝いて見える。洋子は「綺麗……」と小さな声で呟いてから、幸司の質問に答えた。


「あの時の幸司くんもすっごく綺麗だったね。この空みたいに青くて、もっと髪の毛が長かったから、ふわふわって歩く度に揺れるの。それで……。優しいお顔で笑ってた」


 洋子が言ったのは夢の中の光景だ。実際にあった出来事とは、異なる理想の光景。幸司はそう理解して、悲しくなる。目を軽く伏せると、洋子にもそれが移ったみたいに眉が下がった。


「幸司くんは、あの時……」


 最近見た夢の中の幸司は、泣いている事が多かった。いつも悲しそうな顔をしていた。それを思い出して、洋子は幸司に手を伸ばしたくなる。


「もうすぐ着くよ」


 そう言った幸司の顔も、どこか悲しげだった。普段はニコニコと優しい笑顔を浮かべていて、いつも綺麗に微笑んでいる。そんな幸司がとても悲しそうな顔をして、控えめに笑みを作っているのだ。


(それが本当の幸司くんなの……?)


 洋子は、今思ったことが正解だと確信していた。理由は分からないのに、この表情は本物だと強く感じていた。いつもの幸司は作り物で、仮面を被っているだけなのだ。


 そう思って、胸を締め付けられるくらいに苦しくなる。


「ここ」


 幸司はそう言って、不意に立ち止まる。いや、不意にでは無いだろう。本当は洋子も途中から気がついていた。この場所で立ち止まると、分かっていたのだ。


 ここは、の公園だったから……。


 夢の中にも出てきたあの日の公園が、そのまま目に映っている。少し視線をずらせば、父の葬式が執り行われた斎場も見えた。


 今日は特に葬儀の執り行いは無いようで、とても静かだ。


「ここであの時の事を謝りたかったんだ」

「え?」


 幸司の言葉を聞いて、洋子の戸惑う瞳が揺れた。対して、幸司の瞳は真剣で、冗談では無いことが窺える。


 ザアッと風が吹き、洋子が瞬きの為に目を離したその隙に、幸司の瞳が焦げ茶色から黄色に変化していた。


「夢と同じ……」

「ねえ、洋子ちゃん」


 幸司は静かなトーンで名前を呼ぶと、ゆっくり公園内を歩いて、ベンチの傍でピタッと立ち止まる。洋子が近づいて来たので、幸司は先に洋子を座らせてから、自分も腰掛けた。


 幸司はさっきと同じように、快晴の空を見上げた。時刻が四時過ぎなので少々日は傾いているが、まだ明るい綺麗な青色だった。


「あの時の俺は、本当に笑ってた?」

「幸司くんは……。だって、優しい顔でニコニコ笑ってて……。励ましてくれて……」


 本当にそうだっただろうか。ついに、洋子も疑問に思ってしまった。


 ニコニコと笑顔だったのは、夢の中の話。励ましてくれたのは、日記帳に書かれていた事……。何を言われたのか、明確には覚えていなかった。


「何から話すべきかな。謝りたいって言っても、きちんと説明しないと意味がわからないでしょう?」

「う、うん。何で幸司くんが私に謝らないといけないの? 私、優しくして貰った記憶はあるけど、何も酷いことされてないの……。そんな記憶、どこにもないの」


 洋子はそう言って、ギュッと胸の前で手を組んだ。そして、ゆっくり幸司の方に視線を向ける。


「まず、最初に俺の素性から話すと…俺は本宮の人間なんだ」


 そう言うだけで、洋子にも伝わる。それが本宮家だ。日本で一番大きな家。一番有名な一族の名前だから。


 洋子がゴクリと息を飲む。緊張しているとわかる態度に、幸司は軽く自嘲する。


「だから、幸司くんのお家は厳しいって……。お母さんが言ってた。それに、入学式の時に幸司って」

「うん。まあ、厳しいのは家もだけど、一族全体で決まり事があったりするからね。優香さんが俺の事をさん付けで呼ぶのも、やっぱり本宮家の人間だからだと思う」


 幸司は頷きながらそう言った。


「それから…きっと優香さんは、あんまり俺に近づいて欲しくなかったんだろうね。大事な娘が、また壊されてしまうかもしれないから……」


 そう言うと、瞳の色がもっと黄色く、黄金のような輝きを放つ。綺麗で目が離せないのに、どこか危うい。見ていたいような、逸らしたいような、不思議な感覚に陥り、結局幸司を見つめたままだった。


「この目の色、おかしいでしょ?」

「おかしい…かな? 不思議だとは思うけど……。綺麗だよね」


 不思議だけど綺麗で、やっぱり洋子は幸司から目を離せないでいる。


「呪いの証」

「呪い?」

「聞いた事ない? 本宮の噂」


 幸司がふっと笑うと、洋子がハッとして口元を押さえた。

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