生まれて初めての感情

 龍介が並んでいる間、上の階から降りてきた他校の女子生徒達が「かっこいい人がいた」と噂しているのを耳にした。それがきっと幸司の事だと思ったので、龍介は妙にソワソワとしてしまう。


「お次にお並びのお客様ー!」

「あ、はい」


 階段の方にばかり目をやっていた龍介は、突然呼ばれて、驚いた様子でカウンターに向かう。そして、注文を終えると急いで幸司の元へと戻った。


「どうしたの。そんなに慌てて」

「いや、お前が言い寄られてるんじゃないかと思って……」


 心配で。とは口にしなかったが、幸司はそれも察してしまったので、口元が複雑そうに緩んだ。


「心配だったの?」


 今度はからかい口調で、幸司は龍介に笑いかける。龍介は席に座ると、軽く幸司を睨んできた。


「お前、ここに来るの初めてなんだろ?」


 肯定とも取れる言葉をかけられて、幸司は嬉しい気持ちを隠しきれない。


「へぇ…そっかぁ。ふぅん……」


 ニヤケ顔が隠せていない。幸司があんまり嬉しそうな顔をするので、龍介まで気分が移ってくる。気恥しくなったので、とりあえず幸司には早く食べるように促した。


「……フォークは?」


 ハンバーガーの包みを指で軽くつついて、幸司はお盆にカトラリーを探した。


「本当にお坊ちゃまだな。これは手で食べるんだよ。こうやって…包みを開いて……」


 龍介が実践してハンバーガーを口に含むと、幸司は最初こそ躊躇うようにハンバーガーを見つめていたが、思い切り大口を開けてかぶりついてみた。


「もぐ……。面白い味」


 初めて感じる味が口いっぱいに広がる。


「やっぱり、金持ちには不味いのか?」

「別に庶民の味が合わないわけじゃないんだけど。これは今までに食べたことがない味」


 幸司はそう言いながら、ハンバーガーを平らげる。意外にも、幸司は全て食べきった。お金持ちのお坊ちゃんなら、気に入らない食べ物は残すものだと、龍介は思っていたのだ。


「初めてのエムド、どう……?」

「楽しいよ。和気あいあいとした空気って、こういう所でしか味わえないよね」


 幸司は、今度はポテトを口に含んだ。龍介が先に手づかみで食べていたから、これも手で食べるもの。という認識で、軽く手でつまんでいる。


「しょっぱい……っ」


 幸司は驚いたのか、目を丸くして口を押さえている。


「大丈夫か? ジュース飲めよ」

「うん。オレンジジュースだ。美味しい……」


 好奇心からエムドに入ったが、幸司にとっては酷だったかもしれない。龍介はそう思って、心配そうに幸司の世話を焼く。


「塩を落とせば美味しいと思うんだけどな」

「ペーパー使う? そこでちょっと塩を落としてさ」

「いいの? ありがとう」


 今度はちゃんと美味しいと思ったらしく、顔が綻んでいた。


「最初は人形みたいだと思ってたけど…お前って意外と表情豊かだよな」

「龍介くんの前で猫被る必要ないでしょ?」


 と、幸司からは軽い返事が返ってきた。


「あ! やっぱりいたー!」

「遠田。体力ないくせに足は速いんだから」

「小柄だから人の間をすり抜けられるのよ」


 真由美と明人だった。2人はほぼ同時に片付けを終えたので、一緒に帰ってきていた。その途中、窓から幸司と龍介の姿が見えた。と真由美が言うので、2人で乗り込んできたというわけだった。


「お前ら……」

「お疲れ様。片付けは終わったの?」

「うん」

「終わったよ!」


 2人は有無を言わさず、幸司と龍介がいるテーブル席に座った。


「何か頼んでこいよ」

「俺、オレンジジュースを追加で買ってこようかなー」

「私も飲み物買ってくる!」


 龍介は1人取り残されて、静かにスマホをいじって3人を待つ事になった。


。。。


「幸司くんのお口に合った? こういう所、初めてなんじゃない?」

「うん。初めて来たよ。食べられなくはないし、大丈夫だった」


 幸司は美味しい。とは言わなかったが、不味い。とも言わない。ただ、楽しかったので笑顔だった。


「カウンターとか初めてだ。こうなってるんだね」


 今の幸司は、初めての遊園地にはしゃぐ小学生のようにキラキラとした瞳で店員達の方を覗いている。


「目立つよ」

「何もしなくても目立つから、余計にね」


 2人に指摘されても、幸司は気にせずキョロキョロと店内を見回している。騒いだり走り回っている訳では無いので、セーフだと言うのが幸司の主張だった。


「鋼のメンタルだね」

「この程度で本宮の評判が下がるわけないしねー」


 と開き直っているくらいである。


「俺、こういうの初めてだから本当に楽しい!」


 そう言って笑った幸司の笑顔は、眩しかった。恐らく本心。そして、心からの自然な笑顔だった。


「さっき以上に目立ってるね」

「笑顔…かわいい……」


 そう言われると流石に照れてしまったのか、ほんのりと顔が赤くなる。そんな姿までかわいらしいので、店内にいた人達にまで赤い顔が移ってしまった。


「真由美ちゃんに言われたくないんですけどー?」

「へぁっ!?」


 幸司がぷくっと頬を膨らませて、真由美を捉える。真由美がアワアワと明人に助けを求めると、明人がクスッと笑って、形だけ幸司を咎めるように指さした。


「恥ずかしいからってうちのお姫様を虐めないでよ。幸司くん」

「もう。本当に明人くんにはお見通しなんだから」


 幸司は今度こそ、本当に不貞腐れたような表情でぷいっと顔を逸らした。


。。。


「おかえりー」

「ただいま。リュウ。ついでに、クッキーサンド買ってきたよ」

「お。俺それ好きなんだよね」


 帰ってきた3人が座り、龍介がクッキーサンドを頬ばりながら、幸司に目を向ける。


「で? どうしたんだ? お前」

「明人くんに全部見透かされるからって、別に拗ねてないもん」

「拗ねてんのか」

「かわいいよね。幸司くん」


 明人はふんわりと笑うと、幸司を軽く撫でる。


「不敬だ」

「本当にそう思ってる?」

「思ってないよ。分かってるくせに。意地悪!」


 幸司の本音は、本宮だと知っていながら友達として接してくれることが嬉しい。である。しかし、からかわれることに対して拗ねている気持ちは本物だった。


「白川。本宮くんがかわいそうだよ」

「ごめんごめん。俺もね、嬉しいんだ。幸司くんとこんな風に寄り道したり、ふざけ合ったりしてみたかったからね」


 明人にニコリと笑みを向けられ、幸司は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはにかんだ。


「俺、みんなが思ってるより性格悪いよ?」

「それはわかる」


 龍介にバッサリとそう言われ、幸司は衝撃を受けたかのように固まる。


「でも、まあ。完璧な男よりは親しみあるよな」

「それに、高橋だって性格悪いしね」

「おい?」

「性格が悪いからって、その人が物凄い犯罪者だったら、悪者って訳じゃないじゃない?」

「……ありがと」


 幸司はそう言うと、一度オレンジジュースに口をつけ、改めて3人を見た。


「俺の名前……」

「うん?」

「本宮って、その…そんなに好きじゃないから」


 もじもじとしつつ、幸司は3人を忙しなく見回す。


「明人くんみたいに名前呼んで欲しいなって」


 2人からの返事がないので、幸司はドキドキしながら2人を見つめる。龍介と真由美は顔を見合わせると、ニヤーッと笑った。


「かわいいところあるよな。幸司」

「これからよろしくね。幸司くん」


 幸司はまた恥ずかしくなって、オレンジジュースを無言で飲み続けるのだった。

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