明るくて純粋で

ジリリリリ


 また目覚ましの音だ。そう思った。しかし、洋子が手を伸ばした目覚まし時計が示す時間は、いつもセットしている時間よりもかなり早い。これは隣の部屋から聞こえてきているものだった。


「お兄ちゃん……?」


 洋子はそうして兄、恭弥を起こしに行き、何故か急に抱きしめられた。幸せになって欲しいと言われた。


 兄も何か、夢でも見たのだろうか。そう思いながら、洋子は身支度をして家を出る。


「んー……」


 今日も同じ時間に家を出たが、圭子には会えなかった。少し残念に思っていると、信号のところで立ち止まっている、キラキラと輝いて見える人物に気がついた。


「彰くんだ!」


 洋子はパァっと明るい笑顔になって、彰に追いつこうと走り出す。彰はそれを察したのか、青になった信号を渡らずに、洋子が信号機の前に来るのを待っていてくれた。


「おはよう。洋子ちゃん」

「おはよう!」

「朝から元気だねえ」


 彰はニコニコと笑顔だった。それがどこか幸司に似ている。洋子はなんとなくだが、そう思った。


「元気だよ。今日は体力測定があるじゃない?」

「そうだけど、洋子ちゃんは体育が好きなんだ?」

「うん! 好きだよ!」


 洋子はそう言って無邪気に笑う。彰は自分が童顔だという自覚も、かわいいという自覚もある。しかし、洋子の子どものようにかわいらしい笑顔を見ると、自分ではこんな顔は出来ないなあ。とぼんやり思った。


「彰くんは好き?」

「僕は……。普通かなあ」


 ふふふ。と彰は笑う。洋子の目から見ても、彰はやっぱりかわいかった。そして、やっぱり綺麗だ。と思う。


「なあに? 見蕩れてるの?」


 洋子がポーっと彰を見つめていると、彰にニヤッと意地悪な笑みを向けられた。そんな顔をされても憎めない程にかわいらしいから、彰はある意味では最強だった。


「彰くんは綺麗だね」

「ふふ。ありがとう。洋子ちゃんこそ。純真で…無垢で……。かわいらしいね」

「え?」


 そう言って笑う彰は少し寂しそう。洋子の目にはそう映った。しかし、出会って間もない今、そんな彰に何が出来るかなんて分からない。洋子にも少しだけ、寂しい気持ちが移る。


「ありがとう」


「寂しいのか」なんて聞けなくて、洋子は小さく笑うと彰に別の話題をふる。


「でも、身体測定は憂鬱だなあ。私、最近食べすぎちゃったから」

「そっかぁ……。実は僕も嫌なんだ。身長低いし」


 彰は下手すれば女子にも負けてしまうことがあるくらい、身長が低い。彰が嫌がるのも頷ける。


「でも、男の子は成長が遅いって言うでしょ?きっと、来年か再来年にはすっごく大きくなってるよ!」


 洋子はバッと手を広げて、そんな事を言った。彰はそれを見ると、クスクス笑い始める。そんな彰は、まるで天使か何かと見間違うほどに綺麗で…やはり洋子の目には輝いて見える。


「洋子ちゃんといると面白いなあ。本当に…純粋でいい子なんだろうね。君って」


 手でおしとやかに口元を隠し、彰は笑い続けている。そのせいで、彰を見て惚けていた洋子も流石に恥ずかしくなってきた。歩きながら照れた顔で俯いてしまう。


 そのままほとんど無言で歩いて、2人で登校をした。


 学校の教室に着いた途端、彰は松下先生から呼び出されてしまい、教室を後にする。洋子はそのまま自分の席について、隣に座っている一郎に話しかけた。


「おはよう!」

「おはよう。水森」

「おはよー」


 一郎の前に座っているのが翔太だ。洋子はそれに気づいて、笑顔で挨拶をした。


「今日はもう1人の水森さんとは一緒じゃないの?」

「圭ちゃんとは会えなかったの。いつもは橋の傍で会えるんだよ?」


 翔太の問に、洋子は肩を落とした。翔太は「そっかあ」と一言言うと、洋子を慰めてくれる。


「水森…圭子さんの方は、多分早く来たんだね。また、いつでも会えるよ」

「あ、そっか。お仕事があったんだね。ふふ。教えてくれてありがとう。翔太くん!」


 謎が解決した。と言わんばかりに洋子はパッと明るくなった。その直後、他の謎が洋子を襲う。


「あれ? 翔太くんは保健委員のお仕事ないの?」

「うん。身体測定は午後だから。昼休みにちょーっと呼び出されてるくらい」


 そして、真由美の方を軽く指さした。


「ほら。遠田さんもいるでしょ?」


 そう言ってから翔太は手をおろし、洋子に笑いかける。洋子もニコッと笑うと、少しだけソワソワしてから2人に断りを入れた。


「真由美ちゃん達にも挨拶してくる!」


 そしてササッと駆けて行くので、翔太と一郎はそれを眺めて「元気だねえ」と和んでいた。


。。。


「真由美ちゃん! 高橋くんもおはよう!」

「おはよ。元気だなー」

「洋子ちゃん…。お、おはよう……」


 龍介は普通に、真由美はもじもじと恥ずかしそうに洋子に挨拶を返してくれる。明人は圭子と同じ理由で今はいなかった。洋子は真由美の照れたような、困ったような顔を見ると、またポーっとしてしまう。


「真由美ちゃんってモデルさんみたいだね」

「え?」

「だって、とっても美人さんだし、細くて羨ましい」


 洋子はそう言うと、チラッと真由美の身体に視線を向ける。そして、自分の身体と比べてしまい勝手に凹んだ。


「そんなこと……。水森さんだって…かわいい、から」

「わぁ、嬉しいなあ。あのね、あのね。私の事、下の名前で呼んでくれたらもっと嬉しい!」


 真由美の手をギュッと握り、洋子はニパーっと笑いながらそう言った。そんな洋子の無邪気さに、真由美は眩しいとすら感じてしまう。それでも洋子の言葉が嬉しくて、真由美は恥じらいながらも洋子の名前を呼んだ。


「洋子…ちゃん」

「えへへ。真由美ちゃん!」

「あの……。私も…嬉しいな」


 真由美の保護者的立ち位置にいる龍介は、やり取りを眺めているうちに和んでしまった。


 しかし、花が飛ぶようなこの雰囲気は、多数の女子生徒によって破られた。


 幸司が教室に入ってきたからだ。他のクラスの女子も含めて、片手で数えられないほどの人数を引き連れながら、幸司は席に着く。


「幸司くん。人気者だね」

「う、うん……」


 洋子は気にした様子は無いのだが、真由美は、なんとなく同情的な目で幸司を見つめていた。


「そう言えば、3人は幸司くんと同じ学校だったんだっけ?」

「ああ、うん。そうだよ」


 洋子の質問に答えたのは龍介だ。ここに明人はいないが、3人と言うのは明人を含めた3人のことだろう。


「幸司くんって中学でも人気者だったの?」

「ああ。人気だったな。クラスが違う俺の耳にも噂が入ってくるくらいだし。マジで有名だったよ。本宮」

「へぇー! 幸司くん、かっこいいお顔してるし…優しいもんね!」


 洋子はそう言って笑うが、真由美と龍介は少しだけ複雑そうな表情をしてしまう。もちろん、優しくないとは言わないが、幸司には裏がある。と2人は理解してしまっているのだ。決して、優しいばかりでは無いと、知ってしまっている。


「水森は本宮とどういう関係?」

「私? 幸司くんはね、私の事を慰めてくれたよ? 泣いてた私が笑えるように。助けてくれたの」


「恩人なんだよ」と、洋子は本当に幸司を信頼した笑顔で、笑う。魅せるための綺麗な笑顔ではない。しかし、真由美と龍介はどこか惹き込まれる洋子の笑顔に、軽く見蕩れてしまっていた。

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