壊れた君の幸せを望む
優香は悲しげに目を伏せ、続きを話してくれる。
「双子の兄妹のお兄ちゃん……。幸司さんにとっては弟ね。彼は本宮きっての天才で、何も教わらずとも自力でなんでも解けてしまったそうよ」
「す、凄いな……」
「でも、純血では無い彼が優秀であると認めたくなかった人は多かったらしいの。天才の役目を、同い年の幸司さんに押し付けたんですって」
「今度は当主の子どもを縛り付けたってこと?」
「そうよ。幸司さんの教育権は、当主様の精神状態を理由に先代に取られた。そして、天才の弟を負かすために必要以上に教育を施されたの。勉学だけでなく、双子の立場を悪くする噂話を信じ込ませたり、マナーや娯楽…その全てを完璧にこなせるように。全てをあの双子よりも出来るようにって」
「かわいそうだ」
「昔の幸司さんは、一度も親に甘えたことがなければ、涙を見せたことも無いんですって」
恭弥はショックを隠そうともせず、眉を下げている。
「そんな時、双子の…妹の方が何者かに殺害される事件が起きて、幸司さんは相当ショックを受けたみたい」
「家族が死ぬのは……」
父、達也を思い出して、恭弥は悔しそうに拳を握る。
「何よりも、弟や父親が壊れていくのを近くで見ていたから、衝撃的だったんでしょうね。本宮に強制されたのは、人前で感情を顕にしないことも含まれていたから。幸司さんには、何故みんなが壊れていくのかが理解できなかった」
「…………」
「幸司さんは洗脳されすぎて、とっくに壊れていた事に自分じゃあ気づいてなかったの」
「それって……」
「達也のお葬式で、幸司さんは完全に壊れたみたい。洋子が泣いているのを見て、タガが外れたんだと思う。洋子の性格が変わったのも、あの頃だったでしょ?」
「それが、洋子を壊したって話に繋がるの?」
優香は返事の代わりにひとつ頷いて見せた。
「もうひとつ、本宮には呪いがあるって噂を知ってる? あれも本当のことなのよ」
「呪い……」
「幸司さんは、洋子の思考を強制的に変えたの。あの葬式の日にね」
「性格が簡単に変わるほど……」
「人によってはいい方向に変わったと思うわよ。明るくなったし……」
「でも、もしかしたら今の洋子は…本宮幸司に作り替えられた洋子かもしれない……」
優香は何も答えなかったが、唇が悲しげに弧を描いた。
「当主様にその事を打ち明けた後、幸司さんはまるまる1週間眠り続けた。呪いの副作用みたいなものだって仰っていたわ。目覚めた幸司さんは元に戻してあげないといけないって思ったらしいんだけれど…精神状態が悪いってことで当主様にも会わせて貰えず、先代本宮達に束縛され続けて、そのまま……」
優香はそこまで言うと、目を伏せる。
「洋子に会ったのは高校生になってから……?」
「幸司さんは、今更どうしていいか分からないんだと思うわ。この前お会いした時、洋子を見る目が凄く切なくて、苦しそうだったもの」
それでも、恭弥は洋子を思うと幸司が憎い。そう思ってしまって、自分の心の狭さに自己嫌悪する。
「俺は酷いな」
「私も優しく出来なかったから、恭弥の気持ちは分かるわ」
「え?」
「私、言ってしまったの。洋子はあなたを信じているんだからね。って。それが幸司さんをどれだけ苦しめる言葉なのか分かってた。罪悪感で今にも泣きそうな顔をしていたわ。幸司さん」
「泣いたの?」
「ううん。幸司さんは今も、人に涙を見せたことは無いって。そのラーメン屋の親戚の方とは、私も連絡を取るから……。幸司さんの話は色々と聞いているわ。当主にも、多分自分にも本心は見せないんだって」
「壊れてる……」
恭弥は小さく呟いた。
「洋子には内緒よ? きっと、幸司さんのことを助けたいって言うわ。あの子はそういう子だもの」
「うん。妹を本宮の問題に突っ込ませる訳にはいかないよ。あの家は大きすぎる。幸司くんはかわいそうだが……。こればかりは、俺達にはどうにも出来ない」
「ええ。私達の敵う相手じゃない。当主…
内部崩壊している。恭弥はそう理解した。しかし、恭弥は水森であって本宮では無い。自分達に出来ることは憐れむことだけであり、本宮家に何かをしてやれることは何ひとつないのだ。父と違い、恭弥は本宮家の子息とは仲が良くないのだから、尚更。
「母さん。俺にこの話をしたのは洋子のため?」
「そう、ね。洋子は少し鈍感だけれど、決して馬鹿な子じゃない。いつかきっと気づく。その時に……。恭弥。あなたは洋子にどうしてあげられる? 私は何をしてあげればいい? 息子に頼るダメなお母さんだけど……。恭弥。洋子を守ってあげて……」
優香が目を伏せると、恭弥は優香をそっと抱き寄せる。
「今じゃ、この家には俺しか男がいないからね。守るよ。2人とも。父さんほどは頼りにならないだろうけど……」
「ありがとう……。愛しているわ。私達のかわいい子」
中途半端にした片付けは、恭弥が変わってくれた。明日も仕事がある優香は、恭弥を気にしながらも先に部屋へと戻っていく。
「俺も、父さんみたいな凄い人だったなら……。洋子のことも、幸司くんのことも救えたかもしれないなあ」
片付けを終えた恭弥は、窓の外を眺めて小さく呟いた。そして、祈るように目を瞑ると、家族を思い浮かべる。
「どうか幸せに……」
そう呟いてから恭弥は自室に戻って、寝間着に着替える間もなくベッドに倒れ込むようにして、眠りについた。
。。。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「んー?」
「お兄ちゃん、起きた?」
「っ!? 洋子! どうしたんだ?」
恭弥が目を覚ますと、洋子が頬を膨らませてこちらをジッと見下ろしているのが見えた。
「どうしたんだって……。お兄ちゃん、目覚ましが鳴ってるのに全然起きないから。今日は大学、遅いの?」
「……あ。今日サークルの朝練だ」
「え!? ま、間に合う……?」
「もう間に合わないから、休むよ。洋子。起こしてくれてありがとう」
珍しい。と、洋子は心配そうに恭弥を見つめた。恭弥も、洋子の事が心配だ。そう思いながら洋子を抱きしめる。
「わあ! どうしたの? お兄ちゃん……?」
洋子の戸惑った声が聞こえる。兄妹仲がいいとはいえ、流石にこの歳の妹を抱きしめるのはやりすぎだろうか。そう思いつつも、恭弥は洋子への想いがいっぱいで、きつい抱擁を止めることはしなかった。
「苦しいよ?」
「洋子」
「うん?」
「洋子は今、幸せか?」
「え? なあに? 急に……」
やっぱりいつもの兄ではない。洋子は恭弥を心配して抱きしめてくれている腕にそっと触れる。
「俺はね。家族が幸せなら、俺も幸せだよ。洋子にとっての幸せは…何?」
「私は……。私もお母さんやお兄ちゃんのこと大好きだから、2人が幸せなら私も幸せ! あ、あとね、圭ちゃんとか…幸司くんとか。私が大好きなみんなが幸せだったら嬉しいなあ!」
「そうか」
「やっぱり、洋子はいい子だ」そう声に出して、恭弥は洋子の頭を優しく撫でる。顔は見えていないが、洋子が嬉しそうにはにかむのがわかってくすぐったかった。
「きっと、幸せになれたらいいね」
そう言うと、やっと恭弥は離してくれた。洋子はきょとんとした顔で、でも、恭弥に共感するように微笑む。いつもの無邪気な洋子とは違う、母にも似た慈愛に満ちた美しい微笑みで、洋子は「うん」と肯定した。
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