てっちゃんのラーメン屋

 手を挙げて降伏のポーズをしながら、鉄二は眉を下げて笑う。鉄二は年齢こそ、この場にいる全員の親よりも上だろう。しかし、顔がかなり整っている。笑っている顔は絵になるのだ。


 そのせいだろうか。それとも他に要因があるのか。洋子は不思議と嫌な感じはしなかった。ただ、驚いて固まってしまっている。


「ごめんよ。なんてーか懐かしくて……」

「店主さん?」


 洋子は今も驚きで固まっていた。ゆっくりと顔を上げて、鉄二を見つめる。


「いやあ。大きくなったよなあ。もうあれから10年経つんだもんな」


 鉄二は頭をかいてガハハと笑い、厨房の方へ引っ込んでいった。


「水森さん、知り合いだったの?」

「ううん……」


 明人に聞かれ、洋子は唖然と首を振る。幸司の顔色が心做しか青く、明人は幸司をジッと見つめた。幸司は目が合うとニコッと笑ってくれたが、明人から見ると何かを我慢をしているように見えて、余計に気になってしまった。


。。。


「明日から部活動見学よね。洋子はどこか見に行くの?」


 先程のことは忘れ、圭子と洋子は明日の話題で盛り上がっている。いや、全体的にそんな風に盛り上がっていた。


「私、部活はしないよ。圭ちゃんは?」


 洋子はバイトも家事も頑張ると決めたから、部活動には参加しないことにしていた。フルフルと首を横に振る。


「んー。私もいいかなあ……。ねえ、遠田さんはどうなの?」

「へっ!?」


 圭子がひとつ隣のテーブルに座る真由美に話しかけると、真由美はビクッと肩を跳ねさせた。


「大丈夫だよ。遠田」

「ごめんな。こいつ人見知りの激しいやつでさ」


 いつも真由美、龍介、明人の3人でいる理由がこれだった。真由美は極度の人見知り…というか、人が苦手なので、信頼のおける相手としか基本的には話していない。


「私、茶道部」

「それってお茶を作ったりするんでしょ?」

「う、うん。てるの」

「凄いね」

「あ、でも…私なんかより本宮くんの方が……」


 アワアワと口を動かし、洋子の視線から逃れたくて幸司の方を見つめた。


 すると、幸司は真由美をジッと無表情で見つめる。


「なんで知ってるの?」

「え……」


 幸司の声のトーンは一定で、冷たい。真由美は思わず隣に座る龍介の影に引っ込んだ。


「ご、ごめ……」

「幸司くん? どうしたの?」

「……なんでもないよ」


 洋子が幸司の顔を覗き込むと、幸司は洋子を一瞥してからニコッと微笑む。


「変な聞き方してごめんね。真由美ちゃん」

「あ、あの。ごめんなさい。 」


 龍介の腕を掴んで盾にしながら、真由美は小さな声で謝る。相当臆病な性格をしているようだ。


「ううん?」


 幸司は相変わらずニコニコと笑顔だった。しかし、目が全然笑っていない。と真由美達にだけは分かってしまう。


「そ、そんなに怒ることかよ」

「なあに? 怒ってないよ?」


 龍介の言葉にもニコニコとした笑顔。だがしかし、やっぱり目は笑っていなかった。逆に不気味である。


「ねえ、幸司くん」

「……え?」


 明人がスっと席を立ち、幸司に近寄る。幸司に何かを耳打ちすると、幸司は驚いたようで明人を見つめて固まってしまった。


「それって脅し?」

「かもね?」


 幸司が小さく笑うと、今度は明人の方がニッコリと笑って、そう言った。


 洋子達は2人をハラハラした気分で見ていた。その視線に気がついて、幸司はまたニコッと笑顔を作る。


「そう……。じゃあ、明日ね」

「うん。楽しみにしてるよー!」


 幸司と明人はそう言うと、仲良く握手を交わした。


「白川?」


 今回の原因は真由美である。真由美は不安げな表情を浮かべ、席に戻ろうとしていた明人の服をちょこんと掴む。真由美と視線を合わせた明人は、作り物では無い優しい笑顔で真由美の頭を軽く撫でる。


「明日、一緒にもう一度謝ろうね」

「明日でいいの?」

「うん」

「……ありがとう。白川」


 明人の笑顔にホッとしたらしく、真由美にも笑顔が戻る。


「それより、龍介がほっとかれて寂しそーにしてるよ?」

「誰が!?」

「龍介だってば」

「そうなの? 私達がいないと寂しい?」

「うるせえ!」


 仲良し3人組の中では、龍介は完全なるいじられキャラのようだった。楽しそうにケラケラと騒いでいる。


「ねえ、コウちゃん。大丈夫ー?」

「……鉄二」

「は、はい?」


 慰めてやろう。という軽い気持ちで幸司に声をかけた鉄二は、幸司の機嫌が思っていた以上に悪かったので身震いをした。


「俺ってやっぱり普通じゃないな」


 幸司はそう言うと、スっと席を立って厨房の奥へ歩いていく。


「あれ? 幸司くん?」

「…………」


 洋子の問いかけを無視して、幸司はそのまま見えないところまで歩いていってしまうのだった。


。。。


 鉄二はみんなを帰したあと、幸司がいるであろう鉄二の生活スペースへ足を踏み入れる。厨房の奥の扉を開けると階段になっていて、2階は鉄二が寝泊まりする場所になっているのだ。


「どうしたの? 幸司」

「鉄ちゃんは怒るだろうな」

「あの子に何言われたのさ」


 鉄二が優しく問いかけると、幸司は眉を顰めて自分の膝に頭をぶつけた。


「俺、何も言ってなかったんだけどな。本宮のこと」

「バレてたの?」


 鉄二は驚いた顔でそう聞き返す。返事は返ってこなかったが、沈黙が肯定を示していた。


「そう……。あの子、潰す?」

「鉄ちゃんの方が物騒じゃん」


 鉄二の抑揚のない声に、幸司は顔を上げて弱々しく笑う。


「そりゃあ、俺も本家筋の人間ですし。」

「記憶、改ざんしようかなーって」

「コウちゃんも中々やばいこと考えてるじゃんよ」


 幸司の言葉に、鉄二はケラケラと笑う。が、幸司にとっては全く笑い事ではない。キッと睨まれ、鉄二は軽く縮こまった。


「向き合うべき?」


 そう言った幸司の表情は何を考えているのか分からない、生気のないもの。声も、独り言を呟いているかのような小さな声で、抑揚もない。一言で表すなら不気味だ。


 幸司はあの<本宮家>の中でも特別な存在として育てられてきた。鉄二から見ても、幸司はどこかが異質だ。


「俺はコウちゃんの気持ちを優先しますよー。コウちゃんももう15歳だもんね。に決めな」


 鉄二はそう言うと、幸司を軽く抱きしめる。


「解決してないんだけど。そう…俺があの子に何しても、鉄ちゃんは気にしないんだ」

「俺はコウちゃんが心配なんだよ」

「いつもありがとう」


 大人しく抱きしめられている幸司が、ポソッとそう呟いた。


「あれ? 珍しい。コウちゃんがデレた」


 すかさず鉄二がからかい口調でそんなことを言うので、幸司は思わずイラッとしたようだ。鳩尾にいい具合のパンチが入る。


「こ、コウちゃん……。超痛いんですけど…………」

「明日、決める。話を聞いてから決めるよ」


 幸司はそう言って、大の字に寝転がった。鉄二の部屋は畳で、い草のにおいがふわりと幸司を包んだ。


「畳変えたんだ」

「あ? ああ、うん。つい先週ね」


 そんなやり取りをしていたら、すぐに夕方になってしまう。使用人の智に鉄二に送って貰う。とチャットでメッセージを送ると、幸司は帰り支度を始めた。


「ずっとこんな所にいたけど良かったの?」

「なあに? 俺が邪魔だった?」

「そんなことないけど。むしろもっと甘えていいんだよ。幸司」

「…頼りないからなあ」


 そんな軽口を叩きつつも、幸司は嬉しそうに微笑んだ。恥ずかしいから俯いて、鉄二には絶対に見せてやらない。

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