輝きは視線を奪う
「ご馳走様でした。甘くて美味しかったー!」
「ええ、お粗末様。そうそう。洋子、これ」
ご飯を食べ終えた洋子の目の前に、優香は一封の封筒を差し出した。
「私、入学式の後はシフトが入っているの……。ごめんなさい。折角のあなたの晴れの日なのに」
父がいいところに勤めていたお陰で、今のところはお金にも多少の余裕がある。しかし、生活のために、稼ぎは絶対に必要だった。
優香はスーパーでパートタイマーとしてずっと働いてきたし、恭弥だって、特待生で成績をキープし続ける必要があるのにバイトをしている。兄に至っては、そのうえで知り合いから単発でお金を貰える手伝いをやっている時もあるのだ。
「そんなこと気にしないで。私も誕生日が来たらバイトするからね!」
そんな2人の手伝いをずっとしたいと思っていた洋子。いつもは家事の手伝いを積極的にしているだけだが、今年の秋頃からはバイトが出来る。大好きな家族の力になれる日を、洋子はずっとずっと楽しみに待っていた。
「ありがとう、洋子。あなたも恭弥も…本当にいい子に育ってくれたわ」
優香は洋子の頭を撫でながらそう言ってくれた。高校生にもなってなんだが、こうやって母に頭を撫でられるのは幾つになっても嬉しいものだった。自分でも顔が綻んでいくのがわかって、少しだけ気恥しい気分になってしまったことは、母には内緒である。
。。。
ご飯を食べ終え、玄関で優香と別れた洋子は、一新した気持ちでいつも通る道を歩く。途中までは中学校への通学路と一緒なのだが、歩道橋を渡ってからは全く慣れていない道だ。気持ちは更に新鮮だった。
この道を通るのは受験以来。まだ説明会などを入れて数回しか通ったことの無い道だった。
洋子はちょっとした冒険気分で、この辺りの街並みを観察している。駅の方からはチラホラと、洋子と同じ学校の制服を着た人が歩いてきている。逆に駅の方へは別の学校の制服を着た人が歩いていく。
「おーい! 洋子!」
色々と辺りを見回しながらゆっくり歩いていると、上の方から声をかけられた。洋子のよく知る少女の声だ。よく響く、中性的な声である。
洋子は先程通った歩道橋を見上げ、声の主を探した。太陽光のせいでシルエットしか見えないけれど、洋子の予想通り、三つ編みの少女が大きく手を振っているのがわかった。
「圭ちゃん! おはよう!!」
中学2年生の頃に仲良くなった友人。
洋子と圭子は、苗字が同じ『水森』だったために席が近く、よく話すうちに、いつの間にか常に共にいる程にまで仲良くなっていたのだ。
洋子が大きく手を振り返したので、圭子は振っている手を止めて、今度は足を大きく動かす。
彼女が歩道橋を駆け下りてくると、今度はきちんと顔が見えた。春休みに一緒に映画を見に行って以来なので、約1週間前ぶりの圭子の顔である。洋子は圭子の顔をじっと見ると、自分の目を指さしてこう聞いた。
「眼鏡、変えた?」
中学までの圭子は、縁が薄い白の眼鏡を身につけていた気がする。洋子はそう記憶していた。今は、無色透明で縁がないようにも見える眼鏡をかけている。
「うん。よく気づいたね。似てる物を選んだつもりなのに。」
そう言いながら、圭子は眼鏡を一旦外してそれを観察し始めた。自分でもよく見ないと違いは分からないかもしれない。
「弟は気づかなかったわよ?」
圭子には1つ違いの弟がいる。名前は
「圭太くん。最近冷たいって言ってたもんね……」
圭子と圭太は姉弟だけどあまり似ていない。圭子はそばかす顔がコンプレックスで、自身の容姿にも自信はない。しかし、圭太の肌はたまのように綺麗だ。更に、圭太は目がいいので、今までに眼鏡をかけた経験もなかった。それが、圭子との容姿を更に似つかないものにしている。圭太は勉強も得意。ただし、運動は好きではないらしい。圭子の方は、見た目でガリ勉と思われがちだが全くの逆。勉強は嫌いで、成績も桜川高校の受験の時が中学生活で圭子史上一番の高成績だった。ただし、体育は得意。よく見た目とのギャップがありすぎる。と言われている少女だった。
「お母さんは男の子はこの時期難しいって言ってたから。まあ、仕方ないのかもねえ」
「はあっ」と軽くため息をついた圭子だが、洋子に目を向けると、全く気になどしていないかのように笑顔を作った。
「洋子が気づいてくれたし、別にいいんだけど! 早く行こ」
そう言って足取り軽く、圭子は洋子の前をスタスタと歩いていく。洋子は少し遅ればせながら、早足で圭子を追いかけた。圭子は洋子よりも3センチ程身長が高く、歩幅も少しだけ圭子の方が大きい。油断をすると置いていかれてしまうのだ。
「また同じクラスになれたらいいね」
「そうね」
圭子はお姉さんみたいに落ち着いた人である。洋子の会話に優しく微笑んでくれるのが嬉しくて、つい色々な話をしてしまうくらいだ。
「それに、中学校の時よりもたくさん帰り、一緒にいられるよね!」
圭子の家は中学校の近所にあったので、一緒に帰宅してもすぐに別れなければならなかった。しかし、桜川高校は圭子と洋子の家の、ほぼ中間距離に位置している。少しでも長く友達と一緒にいられる。そう考えると、洋子は嬉しくて、ステップを踏み出してしまいそうな程に浮かれた。
「……え」
しかし、浮かれていた洋子の足は急にピタリと止まる。圭子は急に止まることが出来ず、1歩先へ歩いてから洋子を振り返った。
「どうしたの?」
「あの人……」
洋子はある一点を見つめ、呟くように言った。
「あの人、綺麗……」
「え?」
突然の友達の呟きに、圭子は目を見開いた。そして、洋子の視線の先を見てみるが、何を見て綺麗と言っているのか、理解ができない。何故なら、洋子が見つめている人物と自分達では、距離が開きすぎているから。
信号待ちで止まっている、男か女かすら分からない人物が立っているあの場所へ辿り着くには、今赤であるあの信号が青になって、もう一度赤になり、更にまた青になるくらいの時間を要する。
「キラキラしてるね!」
急に不思議なことを笑顔で言い出す洋子に、圭子は戸惑ってしまう。知り合った頃から少し不思議な部分はあったのだが、後ろ姿しか見えない、男か女かすらも分からない人物を見て「キラキラしていて綺麗」だなんて、圭子にはやはり、理解が出来なかった。
「そうなの……」
とテキトーに話を合わせる事しかできず、洋子がまた歩き出すのを、圭子は静かに待っていた。
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